Don't Let Me Down

日々の雑感、引用。
言葉とイメージと音から喚起されるもの。

クジラ

2009-04-23 20:59:17 | 日記

★ しかし、そのクジラはぼくにとって特別だった。船からゾディアック(ゴムボート)でクジラ探しに出て、ずいぶん遠くまで行った。仲間がみなクジラを求めて水に入っている時に、ゾディアックのすぐ横にそのクジラが来た。ぼくはすぐにマスクだけを付けて水に飛び込み、目の前を悠々と通りすぎてゆくそのクジラを見た。水中で見るクジラは心を躍らせるほど大きく、優雅で、あたふたとした動きがまったくないにもかかわらず速かった。

★ それからもう二年以上になるけれども、その時のクジラのことをよく考える。あいつは今どこで何をしているのだろう。大西洋のザトウクジラは北の方の寒い海とカリブ海あたりの暖かい海の間を回遊している。春に南に行って交尾し、出産し、しばらくの育児の後、子を連れて北の海に帰る。今ごろは北に行っている時期だろうか。

★ クジラを思うことでよい時間が過ぎる。つまらないことに右往左往しながら、その忙しい日々の間にふっと一瞬、クジラのことを考える。あの悠然たる泳ぎを思い出す。そこで、これは一瞬の思い出にしてしまってはいけないことなのだと考えなおし、坐りなおし、しっかりとクジラを思う。人間だってあの生きかたでいいはずなのに、われわれは何を焦っているのだろう。

★ クジラだけではない。尾瀬の山沿いに立っているオオシラビソの巨木も同じことを考えている。百年二百年を単位に、毎年の降雪に耐えて枝を低く長く伸ばして、厚い雲からの僅かな日の光を細い黒い葉に受けて、ゆっくりと考えている。

★ そして、それら自然の側で生きるものの全部が同じ答を出す―生きることは喜びである、と。大いなる肯定の姿勢。その列に加わるために、生きることは喜びであると言えるようになるために、われわれがまず頼るべき相手はクジラであるらしい。

<池澤夏樹“あのクジラのこと”―『明るい旅情』(新潮文庫2001)>


全裸

2009-04-23 18:38:00 | 日記
裸で何が悪い!

視聴率100%





<注記>

この際、“ジャニーズ事務所”というのが何であるのかをWikipediaで調べてみた。

まず“ジャニーズ事務所”で引くといきなり以下のような説明がある;

★名称の由来
ジャニー喜多川は渡米した時、劇場のステージマネージャーをしており、袖口から劇を見ていて感動したという。そして帰国後、知人が野球チームを作っていたために、これを真似て自らも「ジャニーズ少年野球団」というチームを作った。そして、この中から選んだ4名の少年でジャニーズを結成させ、ジャニーズ事務所の設立に繋がった。
当初はマネジメントを渡辺プロダクションに委託していたが、1962年6月に独立して「ジャニーズ事務所」として創立。それ以降ジャニー喜多川と姉のメリー喜多川がジャニーズ王国を築き上げた。但し、元々は代表・ジャニー喜多川の個人事務所で正式名はなく“ジャニーズの所属事務所”の意でこの名を使用していた。
(以上引用)


どうやら“ジャニー喜多川”というひとが代表のようなので、“ジャニー喜多川”で引いてみる;

★生い立ち
真宗大谷派東本願寺ロサンゼルス別院の僧侶・喜多川諦道(1946年から1949年まで、プロ野球チーム「金星スターズ(元・ゴールドスター)」のマネージャーだった人物) の次男として、1928年10月23日にアメリカ・ロサンゼルスに生まれる。母親は幼少時にアメリカで死別している。ちなみに子供の頃のあだ名は「ヒー坊」だった。
太平洋戦争開戦後、日系人の強制収容により、父、姉(メリー喜多川、当時の本名: 喜多川泰子)、兄(あだ名は「マー坊」。NASAでアポロの設計もしていた科学者だったが現在は故人)、そして弟と共に、カリフォルニア州内に抑留されるが、1942年6月18日の第一次日米交換船で帰国した。終戦まで日本で過ごし、両親の出身地・和歌山県和歌山市に在住していた。しかし、1945年7月9日の和歌山大空襲で焼け出される。戦後は姉とともに再渡米、ロサンゼルスの高校を卒業。
そして1952年、陸軍犯罪捜査局(CID)の情報員として、ロサンゼルス市立大学[1]を卒業した姉と共に日本に再帰国する。米軍関係の仕事の一環として、当時勃発していた朝鮮戦争による戦災孤児に英語を教えるために、日本でわずか10ヶ月で朝鮮語をマスターし、すぐ韓国の板門店に出向き、1年2ヶ月間に渡って子供達に英語を教えた。日本への帰国後は、アメリカ大使館で軍事顧問団に勤務。
その後、上智大学国際部[2] に進学し、卒業。大学在学中の1955年にバンドを結成し、芸能界へ参入。

★ジャニーズ事務所の設立
1960年代初頭、ジャニー喜多川は自分の住んでいた東京の在日米軍宿舎「ワシントンハイツ」(現在は代々木公園)にて、近所の少年たち約30名を集めた少年野球チームのコーチをしていた。そのチーム名は、喜多川擴のアメリカ国籍での名前「ジャニー」からとって「ジャニーズ少年野球団」と名付けられた。このチームのメンバーには、浜田光夫・小畑やすし・設楽幸嗣らもおり、応援団には松島トモ子までもが居た。しかもプロ球団や力道山などに支援されていて、練習場も後に池袋の立教大学のグラウンドへと移行した。
ある日、このチームのメンバーの中から代々木中学校に通う4名を選び、映画館に連れて行く。そして、そこで観た『ウェストサイドストーリー』に一同感動し、エンターテインメント事業を興そうと決意する。そしてこの4名の少年で、最初のグループであるジャニーズを1962年4月に結成。最初は池袋西口にある芸能プロダクション「新芸能学院(現:名和プロダクション)」に籍を置いていたが、1962年6月にジャニーズ事務所を創業。1975年1月になって正式に株式会社として法人登記される。
姉のメリー喜多川は、1950年代から四谷三丁目の円通寺坂入口右手の角にあった「スポット」という名のカウンターバーを経営しており、バーの客だった東京新聞記者(後に作家)の藤島泰輔と結婚した。ジャニーがジャニーズ事務所を興すとバーを閉店し、事務所の経理を担当するようになった。
事務所の黎明期には、フォーリーブス・たのきんトリオ・シブがき隊・少年隊・光GENJIなどで正統派男性アイドルの礎を築き、また正統派だけでは通用しなくなると、SMAP以降の男性アイドルの活躍の場をバラエティの分野にも拡げた。

★男性タレントに対する同性愛行為について
ジャニー喜多川が同性愛者であり、事務所に所属する男性タレントに対してデビューや売り出しと引き換えに同性愛行為を行っているとの話は、1960年代から散発的に繰り返し報道されていた。
(などなど、以上引用)


なかなか興味深い人物ですね。
“戦後史”というのは、こういうところにもあるんだ。


なぜ“国家”には“家”がふくまれるのか

2009-04-23 12:00:49 | 日記

トリビアなことかもしれないが、昨日自分が書いたブログのタイトルを見て気づいた。

<国家に殺されるひと>である。

このブログの“きっかけ”は、<林被告「国には殺されたくない」>であった。


なにが問題なのか。

<国家>と<国>である。

ぼくは、ふかく考えて<国家>と書いたのではない(“邦”という表記もある)

しかし“くに”とか“国”とか“国家”というのは、いったい“何”であるのか。

前のブログで書いたことがあるのだが、ぼくは、電子辞書“ジーニアス和英辞典”で<国家>を引いて、びっくりしたのだ;

state:(主権を有する)国家、国;(しばしば)国政、政府
nation:(民族または政治的結合体としての)国、国家
country:(地理的な意味での)国、国家、国土
* countryは地理的な国土としての国、nationは歴史的共同体としての国民からなる国、stateは法律的・政治的な概念としての国家をさす


この定義が絶対かどうかはしらないが、かなり明瞭な定義がなされていると思う。

ならば、ぼくたちがふだん“国とか国家”とか呼んでいる(書いている)ものは、上記の“どれ”なのだろうか。

また上記辞書にもあった<民族>とは、どういう“意味”なのだろうか。
これもジーニアスで引いてみる;
people:人種、民族、(形容詞的に)人種の
nation:(集合的に;単数・複数扱い)共同体、民族、種族、《共通の言語・歴史・宗教・文化を持つ人々の共同体。必ずしもひとつの国家を形成しているとは限らない》


さて、<民族>と<人種>はどうちがうのだろうか。

広辞苑でも引いてください(笑)

ぼくはここで、“辞書”の批判をしているのではありません。
ぼくたちは、こういう“言葉”(概念)の定義を、いつ習ったのでしょうか。
ぼくたちは、こういう言葉=概念を、わかった上で使用しているのでしょうか。

この“ぼくたち”には、もちろん、マスメディアや学者先生も含まれます。

だからぼくは、“基礎の基礎が大事”と思うのであります。

さらに“感覚的な”違和感を表明します。
このブログのタイトルにしたことです;

“なぜ“国家”には“家”がふくまれるのか“


つまり、今日の天声人語と読売・編集手帳は、またしても同じ“テーマ”を扱っています。

“世襲”とか“親の七光り”とかの問題です;

《▼高い枝に果実がぶら下がっている。普通の身の丈では手が届かない。そこへ親譲りの竹馬に乗った者が現れて悠々と実をもいでいく――。それが世襲の印象だ。竹馬どころかクレーンのように盤石な七光りも多い。ここ3代の首相など、そのくちだろう》(天声人語)

《◆紀文二世ばかりの国会では困る。さりとて未来の名宰相になるやも知れぬ器が、世襲だからと野に埋もれてもまた困る。「じつにどうもむずかしいもので、てへッ」と、円生さんの声が聞こえてきそうである》(編集手帳)


しかし“世襲”や“親の七光り”というのは、“政治家”の問題だけではない。

“家系”の問題なのだ。

日本という<国>の象徴的中心にいる“家系”が、“万世一系”であるなどという虚偽を担っている<国家>において、どうしてあらゆる“虚偽”を否定することができるのだろうか。

虚偽を告発する“ゲーム”だけが、延々と繰り広げられているだけではないのか。

この国でない国については、また別の話である。




4分間のピアニスト

2009-04-23 09:16:18 | 日記

数日前、テレビで「4分間のピアニスト」という映画を見た。

例によって、ぼくは映画の解説を書くのが、面倒なのでWikipediaから引用する;

『4分間のピアニスト』(Vier Minuten)はクリス・クラウス監督、モニカ・ブライプトロイ、ハンナー・ヘルツシュプルング主演の2006年のドイツ映画である。
キャスト
· モニカ・ブライプトロイ:トラウデ・クリューガー
· ハンナー・ヘルツシュプルング:ジェニー・フォン・レーベン
· スヴェン・ピッピッヒ:ミュッツェ
· ヤスミン・タバタバイ:アイゼ
· リッキー・ミューラー:コワルスキー
あらすじ
80歳のピアノ教師トラウデ・クリューガーは、女性刑務所内で、殺人罪の判決を受けた21歳のジェニーと出会う。ジェニーは天才ピアニストと騒がれた過去があったが、道を踏み外し、刑務所内でもたびたび暴力を振るう問題児となっていた。しかしジェニーの才能を見たトラウデは、所長に頼み込んでジェニーとの特別レッスンを始めた。
(以上引用)


ぼくはドイツ映画にもドイツ俳優にも、最近の映画全般にも詳しくない。
またこの映画の公開当時、日本でどういう反響があったかもしらない。

ぼくは、ただなんの予備知識もなく、この映画を見たのだ。

そこで感じたことは、大雑把に言えば以下のようなことだった;

① この映画は、最近ぼくがテレビで見ているアメリカ映画(ドラマ)や日本映画や韓国映画と、ずいぶん“ちがう”のだが、それはどうしてか?
② ドイツ(ヨーロッパ)における“クラシック(音楽)”の意味


ぼくは①で、“ずいぶんちがう”と書いたが、この“ヨーロッパ映画”は、ぼくがこれまで愛好してきた“ヨーロッパ映画”とも、ちがっているところと、ちがっていないところがあった。

全般の印象をひとことで言えば、この映画を、ぼくはそれほどいいとは、思わなかった。
展開が図式的で、とくにクライマックスのラストの“4分間”のピアノ演奏(パフォーマンス)もわざとらしく感じられた。

つまり“ハリウッド的”である。
そうけなしたうえで、やはり、ヨーロッパ映画の伝統の片鱗(すなわち長所)について書きたい。

ひとことで言えば(陳腐な言葉で申し訳ないが)、この映画の登場人物(ピアノ女教師とその“弟子”になる少女)には、情熱がある(つまりこの情熱が映画として表出されている)

この“情熱”こそ、「24」の主人公やウディ・アレン映画の主人公が決して持ち得ないものである。
もちろんスピルバーグ映画の主人公も、イーストウッド映画の主人公も持ち得ない。
(アメリカ映画であっても、ペキンパーやカサヴェテス映画の人物たちは“これ”を持っていた)

いったいこの“情熱”とは何であるのか?

これまた陳腐な考え(ぼくの)であるが、それは“伝統”(歴史的“文化”の厚み)ではないのか。

ゆえに、“クラシック”が問われる。

ぼくはクラシック音楽の愛好家ではない(どちらかというとロック・フリークである)

しかし、こういう映画を見ていると、ぼくのふだん聴かない(つまり好きじゃない)シューマンだかシューベルトだか分からない“音楽”がこころに沁みるのであった(笑)
もちろん“たまに”知っているモーツアルトのピアノ曲が出てくれば、カイカン!であった。

もちろんこの映画は、ぼくのようにピアノが弾けず、それを“鑑賞”するようないいかげんなひとの映画ではないのである。

“自分で弾くひと”の映画なのである。
しかも老教師は、フルトヴェングラーの弟子であったらしいし、刑務所にいる少女は“天才ピアニスト”の可能性があるのである。

この映画の最初のほうに、老教師が凶暴少女に言う印象的なセリフがあった。
うろおぼえだが、“わたしはあなたを良いひとにすることはできないが、良いピアニストにすることはできる”というふうなものであった。

このセリフ自体も“重層的な”意味を持つだろう。

もちろんこの凶暴少女の“現在”と老教師の“過去”(ナチス体験とレズビアン)というよなことに“意味”を感じる人がいてもよいのである。

つまり、このような“意味”を、“ああまたか”と感受することも、再度、なにかを考えはじめるきっかけにすることも可能である。

しかし、“ドイツだから”、ナチという過去があるのではないだろう。

ぼくたちの“過去”というのは、いずれにせよ、不気味なものの重層性としてある。
それが伝統であり、文化であり、歴史である。<注>

その“厚み=重層性”を、現在において感受できるか否かが、たぶん、“文化の差”なのである。

自分の感覚の核に、“それ”をもちうるか否か。
ぼくはふだん、“この日本”をバカにしているが、それは“現在”の状況のことであって、この場所の歴史的重層性は(ただしく感受するなら)けっして、“みすぼらしい”ものではないと思う。

ただ、その重層性を感知する回路は、ますます閉ざされつつあると感じる。



書き忘れた。
この映画のウェッブ・サイトを見たのだ。
そのキャッチ・コピーは以下のようであった;

《弾く時だけわかる。何のために生まれてきたか》



<注>

もちろんこの“文化=カルチャー”というのは、危険な言葉(概念)である。

単純なはなし、ひところ“カルチャー”と“サブカル”の差異というようなことが問題であった。
最近、なぜかこの問題は消えてしまった。
サブカルがカルチャーを圧倒した(消滅せしめた)のであろうか。
そんなことは、ないのである。
なんかたいそれた“大美術展”などには、たくさんの人々が(今も)押しかけているらしい。

しかし、ぼくにとっても“そんなこと”は問題ではないのである。
だいいち、“映画”について、純粋芸術映画と大衆娯楽映画の差異を論じてもたいして意味はないと思う。

つまり、ぼくにとっては、映画は映画である(よい映画と悪い映画がある)
もし映画を、“低次元のカルチャー”として軽蔑するひとが“まだ”いるなら、その人が馬鹿(鈍感)なだけである。

もしクラシック(音楽)より、ロックが良い音楽だなどというのなら、このロック・フリークのぼくはそのひとを、ただ軽蔑するだけだ(逆もいえる)

まさに現在のぼくらは、ジャンルなど無視した重層的・ゴチャマゼ的“カルチャー”を貪婪に感受すべきだ。
“カルチャー”の唯一の定義は、この混沌的エネルギーの運動そのものである。
それは時間と空間を越境する。
ひからびた固定観念を超えていくのだ。


昨日よい言葉を読んだ;

《やがて去ってゆく旅行者として見る時、人生の快楽は増してくる》

この言葉はE.M.フォースターが自分の著書に引用したフィロンというひとの言葉だそうだ。
ぼくがこの言葉を読んだのは、フォースター『アレクサンドリア』(晶文社1988)の最後に付された“方法としてのアレクサンドリア”という鶴見俊輔氏と長田弘氏の対談においてだった(その鶴見氏発言)


ぼくはなかなか、この人生を“快楽”として感じられないのだが、残りの人生をこの言葉のように生きられたら、と思うのだ(笑)