Don't Let Me Down

日々の雑感、引用。
言葉とイメージと音から喚起されるもの。

地理的思考=越境

2009-04-02 12:33:12 | 日記
カントの話題が続き恐縮だが、下記ブログで取り上げた黒崎氏の本の‘エピローグ’によると、カントが生まれ一生そこから離れることがなかった“旧ケーニヒスベルク”という町は現在ロシアのカリーニングラードと呼ばれているという。

つまり、現在、カントはロシア人である(笑)


話題が飛躍するが、前に網野善彦氏が講談社版・日本の歴史00巻『「日本」とは何か』の最初にカラーで「環日本海諸国図」というのを掲載していたのを思い出した(現在このシリーズは講談社学術文庫で刊行中である)

この地図では、日本列島が南を上にして逆さまに表示されている。
地図の上に逆さまの日本列島があり、“内海”(日本海と日本では呼ばれる)をはさんで(抱いて)朝鮮半島からつらなる大陸がこの地図の下部にある。

ことばで表現するとやっかいだが、地図で見ると一目瞭然である。
“内海”ということの意味がである(本のコピーにはこうある;“「日本海」は大きな「内海」だった”)

だからどうした、のであろうか?

ぼくはこの地図を見て驚いたのだが、こういうものを見ておどろかないひとは、ぼくは好きじゃないね(笑)

もっと一般的には、ぼくたちが普段見ている“世界地図”というのは、例の日本と太平洋が真ん中に表示されてるやつだ。
右にアメリカ2大陸、左にヨーロッパ、アフリカ。
しかし、世界はこういうふうに配置されてばかりいるわけではないのだ。
この“日本中心地図”ではヨーロッパとアメリカの距離感がわからない。


ここから一挙に飛躍して、ぼくは“歴史認識”とともに“地理的認識”とでも呼ぶべきものがあるべきだと提言したい。

それは、もちろん現在ある国境(線)を確認するためではない。

かつて、“ヨーロッパ”が、自分たちの外の世界へと“越境”したことは、現在、植民地主義、帝国主義、コロニアリズム、オリエンタリズムとして批判されている。
その批判は正当である。
要するにそれは資本主義的な拡大であり、キリスト教の布教であり、デモクラシーの押しつけであった。
野蛮な人々が別種の野蛮な人々を、開化、啓蒙しようとしたのだ。


ただし、そういう負の行為の中で、“越境”はなされた。

未知への探究心があり、それまで出逢うことがなかった人々が出逢ったのである(それが悲惨な暴力過程でしかなくとも)

それはたしかに“市場”の拡大に過ぎなかったが、驚くべき多様性の出現でもあったはずだ。

柄谷=マルクス的概念では、それを“交通”と呼ぶ。

“交通”は抽象的巨大概念としてもあるだろうが、国籍不明の子供たちが産みだされるという具体性のレベルでもあった。

ぼくたちは、この歴史的-地理的“多様性”についてもっと敏感であるべきである。

まさに“日本人”に欠落しているのは、この世界史-世界地理の感覚である。
おどろくべきことに、この“列島民族”は、“世界に進出し”、世界をレジャーランドとみなして“観光”していても、いつまでも“井の中の蛙”にすぎないではないか。

もし、ヨーロッパとか“世界”がお嫌いなら、ぼくたちはいったい“アジア”について何を知っているのか、“オリエント”について何を知っているのか。

ぼくたちが知っていることが、アメリカ野球や、デズニーランドや、スピルバーグ-イーストウッド映画“のみ”であっては、あまりにも貧しい。

決定的に貧しいのである。

たしかに“経済的な貧しさ”を克服するのは、政治にとっても個人にとっても至難である。
しかし、“こころの貧しさ”は、ただちに克服に向かえるのだ。

あなたが、ちょっと視点を変え、いままでとはちがった関心を持てばよいだけである。

あなたは、“出会う”べきである、未知に。


もちろん、自分の生まれた町から1歩も出ずに“越境”したひともいる(笑)



<追記>

もちろん、ぼくが”この列島的(劣等的)空気”に息が詰まるだけであるとしても、越境したい。




“哲学”入門

2009-04-02 09:59:05 | 日記

そもそも“哲学”とは何だろうか(笑)
まずここでぼくが思っているのは、“西洋近代哲学”のことである。

“東洋の叡智”のような哲学については、ぼくは考えたことがない。

現在、新書などを中心におびただしい“哲学入門書”が書店に存在している。
“哲学”というものへの入門もあるし、“現象学”というようなものへの入門もあるし、個別の“哲学者”への入門や哲学史というものもある。

ぼくは、けっこうこういう本のお世話になってきた。
が、さっぱり哲学に“入門”できないのであった(笑)

ぼくは、“日常の悩みや疑問から哲学に入門できる”というような本にはあまり魅力を感じなかった。
“哲学”は人生相談ではない、と思っていた。
むしろ“ある哲学者”の生涯と思考のプロセスを追うような本が好きだった。


けれども(こっちもわるいのだろうが)なかなか納得できる本に巡りあわなかった。

黒崎政男『カント「純粋理性批判」入門』(講談社選書メチエ2000)は、ぼくにとって“ピンとくる”本だった、引用しよう。

その前にちょっとつけ加えておくが、 “西洋哲学”というのは、ぼく自身を含めて、“日本人”には、きわめて不向きな思考だと思える。

その理由もこの本を読んでいてわかった。
つまり日本人の普通の思考というのは、“自己吟味しない”思考なのだ。
かたい言葉でいえば、自分の“認識の構造(仕組み)”自体を問わないで、いきなり“思考”しているのだ。
こういう“思考”は、そもそも、西洋哲学的には“思考”ではないのである(笑)

なぜそうなるかも考えた。
つまり“われわれ”は、世間との関係性だけで“思考”するようになっているのだ。
まあ“西洋人”でもそういうひとは多いだろうが。

いずれにせよ、“世間との関係性のみで思考する”というのも、“人間の条件”なのだ。
だから、この世間との関係が、“破れる”ときにはじめて、“哲学的な思考”は開始される。
哲学とは、孤独な作業=思考なのだ。

(しかし“孤独でない認識”などあっただろうか!)


黒崎氏の本の最終章から引用する;

★ これまで本書で見てきたことから明らかなように、『純粋理性批判』とは、まず第一に<人間>的認識の基礎づけだということである。カントは、『純粋理性批判』において、常に、<神>的認識(ここでは認識することは対象を産出することであり、そのために認識と対象との一致は初めから保障されていて、認識が誤謬におちいる可能性は一切存在しない)との対比において、人間による<有限的>認識を問題にしてきた。

★ この場合、カントは<人間>的認識の真理性の保証を神に求めることはしなかった。最終的な根拠だけは神に頼ろうとする「機械仕掛けの神」を、カントはもっとも不合理なものとしてしりぞけた。神的知性によってではなく、人間の知性(悟性)によって成立する現象に、認識の対象を限定することによって、人間的認識の客観性を保証することになった。

★ この場合、我々の認識の真理性を保証するのはもはや神ではなく、我々自身なのである。あの<沈黙の10年>の労苦をへて成立した『純粋理性批判』の決定的な意義は、真理成立の根拠を、神から人間に奪いとったこと、というように表現しうる。


★ 『純粋理性批判』によれば、真理は最初から誤謬や仮象と峻別されてア・プリオリに与えられているようなものではなく、実験や経験の検証を重ねる運動のうちからえられてくるものである。このような真理のダイナミックな性格は、感性と悟性とをともに人間認識の不可欠な契機とし、真理の成立根拠を人間自身のうちに置くことによって、はじめて確立され、基礎づけられたものである。そして、この真理獲得の運動を根底からささえているのが、カントの<超越論的真理>ということなのである。

★ 真理は、ア・プリオリな形で先取的に枚挙されたり、体系性の「高い塔のうち」に存するのではなく、その存する場所は、「経験という実り豊かな低地」なのである。


★ さて、カントには二つの傾向が同居しているように思われる。一つは人間的認識の有限性を自覚し、いわば、<与えられる>という感性的契機を重視する態度。もう一つは、人間の悟性をできるだけ拡大して、その合理性で世界をア・プリオリに汲みつくそうとする態度である。カント自身の用語で言えば、「悟性の自発性」と「感性の受容性」との戦い、ということもできるだろう。

★ この二つの傾向は、絡みあい、交差しつつ、『純粋理性批判』の記述そのもののうちにも、あるいはその後の思索にいたるまで、解消しえずに残り、そして、まさに、この相克がカント哲学の思考を強いる真の原動力とさえなっている、と私には思われる。この相克は、言いかえれば、「合理性の圧力」と「それを拒むもの」との間の相克である。

★ この相克は『純粋理性批判』の第1版と第2版の間でも見られたものである。第2版になると、悟性の側の「合理化の圧力」は明らかに強まっている。さらに『純粋理性批判』以後のカントの思索は悟性の一元論的傾向をますます強めていくように思われる。つまり、経験に先立って、悟性がア・プリオリに世界を構成し、真理を「経験のうち」にではなく、むしろ「ア・プリオリな体系のうち」に求めようとする要求が強まっていくのではないだろうか。


★ 『純粋理性批判』第1版で開かれた<明るみ>は、その後の進展のうちでふたたび閉ざされてしまった。なぜカントは、このような悟性(理性)一元論に走らなければならなかったのか。
真理成立が、「感性と悟性の合一にあり<経験>が重要視される」のと、「理性の体系のうちであらゆる真理は基本的に確定している」というのでは、確かに安定感は違う。理性一元論のほうが、実はきわめて安定しているのである。感性と悟性の合一という<運動>のうちに真理があるというのは、<宙ぶらりん>であり、その不安定さに耐えるパワーとエネルギーに満ち満ちていたのが『純粋理性批判』なのである。しかし、人間は、常に<強さ>のうちに存在しているわけではない。そして、思想だとて同じことである。

★ そしてパワーとエネルギーが減退したときに襲ってくるもの。それは、カントの場合、<根源的誤謬への恐れ>といったものではなかったろうか。


★ あの「真理の国」を根底から支え、経験の地平をひらくはずの悟性概念は、それ自身で確実なのではなく、むしろ、<可能的経験>の存在を前提にしている。しかし、他方、この可能的経験が成立するための条件が純粋悟性概念の存在だったはずだ。ここには、明らかに<循環>が存在している。
<条件づけるもの>と<条件づけられるもの>が、互いに他を前提しているのである。このなかではじめて、あの「真理の国」が成立しているとしたら、それは「無条件的な必然性」を有してはいないことになる。そこには、「人間理性にとっての真の深淵」がぱっくりと口を開けているのである。