カントの話題が続き恐縮だが、下記ブログで取り上げた黒崎氏の本の‘エピローグ’によると、カントが生まれ一生そこから離れることがなかった“旧ケーニヒスベルク”という町は現在ロシアのカリーニングラードと呼ばれているという。
つまり、現在、カントはロシア人である(笑)
話題が飛躍するが、前に網野善彦氏が講談社版・日本の歴史00巻『「日本」とは何か』の最初にカラーで「環日本海諸国図」というのを掲載していたのを思い出した(現在このシリーズは講談社学術文庫で刊行中である)
この地図では、日本列島が南を上にして逆さまに表示されている。
地図の上に逆さまの日本列島があり、“内海”(日本海と日本では呼ばれる)をはさんで(抱いて)朝鮮半島からつらなる大陸がこの地図の下部にある。
ことばで表現するとやっかいだが、地図で見ると一目瞭然である。
“内海”ということの意味がである(本のコピーにはこうある;“「日本海」は大きな「内海」だった”)
だからどうした、のであろうか?
ぼくはこの地図を見て驚いたのだが、こういうものを見ておどろかないひとは、ぼくは好きじゃないね(笑)
もっと一般的には、ぼくたちが普段見ている“世界地図”というのは、例の日本と太平洋が真ん中に表示されてるやつだ。
右にアメリカ2大陸、左にヨーロッパ、アフリカ。
しかし、世界はこういうふうに配置されてばかりいるわけではないのだ。
この“日本中心地図”ではヨーロッパとアメリカの距離感がわからない。
ここから一挙に飛躍して、ぼくは“歴史認識”とともに“地理的認識”とでも呼ぶべきものがあるべきだと提言したい。
それは、もちろん現在ある国境(線)を確認するためではない。
かつて、“ヨーロッパ”が、自分たちの外の世界へと“越境”したことは、現在、植民地主義、帝国主義、コロニアリズム、オリエンタリズムとして批判されている。
その批判は正当である。
要するにそれは資本主義的な拡大であり、キリスト教の布教であり、デモクラシーの押しつけであった。
野蛮な人々が別種の野蛮な人々を、開化、啓蒙しようとしたのだ。
ただし、そういう負の行為の中で、“越境”はなされた。
未知への探究心があり、それまで出逢うことがなかった人々が出逢ったのである(それが悲惨な暴力過程でしかなくとも)
それはたしかに“市場”の拡大に過ぎなかったが、驚くべき多様性の出現でもあったはずだ。
柄谷=マルクス的概念では、それを“交通”と呼ぶ。
“交通”は抽象的巨大概念としてもあるだろうが、国籍不明の子供たちが産みだされるという具体性のレベルでもあった。
ぼくたちは、この歴史的-地理的“多様性”についてもっと敏感であるべきである。
まさに“日本人”に欠落しているのは、この世界史-世界地理の感覚である。
おどろくべきことに、この“列島民族”は、“世界に進出し”、世界をレジャーランドとみなして“観光”していても、いつまでも“井の中の蛙”にすぎないではないか。
もし、ヨーロッパとか“世界”がお嫌いなら、ぼくたちはいったい“アジア”について何を知っているのか、“オリエント”について何を知っているのか。
ぼくたちが知っていることが、アメリカ野球や、デズニーランドや、スピルバーグ-イーストウッド映画“のみ”であっては、あまりにも貧しい。
決定的に貧しいのである。
たしかに“経済的な貧しさ”を克服するのは、政治にとっても個人にとっても至難である。
しかし、“こころの貧しさ”は、ただちに克服に向かえるのだ。
あなたが、ちょっと視点を変え、いままでとはちがった関心を持てばよいだけである。
あなたは、“出会う”べきである、未知に。
もちろん、自分の生まれた町から1歩も出ずに“越境”したひともいる(笑)
<追記>
もちろん、ぼくが”この列島的(劣等的)空気”に息が詰まるだけであるとしても、越境したい。
つまり、現在、カントはロシア人である(笑)
話題が飛躍するが、前に網野善彦氏が講談社版・日本の歴史00巻『「日本」とは何か』の最初にカラーで「環日本海諸国図」というのを掲載していたのを思い出した(現在このシリーズは講談社学術文庫で刊行中である)
この地図では、日本列島が南を上にして逆さまに表示されている。
地図の上に逆さまの日本列島があり、“内海”(日本海と日本では呼ばれる)をはさんで(抱いて)朝鮮半島からつらなる大陸がこの地図の下部にある。
ことばで表現するとやっかいだが、地図で見ると一目瞭然である。
“内海”ということの意味がである(本のコピーにはこうある;“「日本海」は大きな「内海」だった”)
だからどうした、のであろうか?
ぼくはこの地図を見て驚いたのだが、こういうものを見ておどろかないひとは、ぼくは好きじゃないね(笑)
もっと一般的には、ぼくたちが普段見ている“世界地図”というのは、例の日本と太平洋が真ん中に表示されてるやつだ。
右にアメリカ2大陸、左にヨーロッパ、アフリカ。
しかし、世界はこういうふうに配置されてばかりいるわけではないのだ。
この“日本中心地図”ではヨーロッパとアメリカの距離感がわからない。
ここから一挙に飛躍して、ぼくは“歴史認識”とともに“地理的認識”とでも呼ぶべきものがあるべきだと提言したい。
それは、もちろん現在ある国境(線)を確認するためではない。
かつて、“ヨーロッパ”が、自分たちの外の世界へと“越境”したことは、現在、植民地主義、帝国主義、コロニアリズム、オリエンタリズムとして批判されている。
その批判は正当である。
要するにそれは資本主義的な拡大であり、キリスト教の布教であり、デモクラシーの押しつけであった。
野蛮な人々が別種の野蛮な人々を、開化、啓蒙しようとしたのだ。
ただし、そういう負の行為の中で、“越境”はなされた。
未知への探究心があり、それまで出逢うことがなかった人々が出逢ったのである(それが悲惨な暴力過程でしかなくとも)
それはたしかに“市場”の拡大に過ぎなかったが、驚くべき多様性の出現でもあったはずだ。
柄谷=マルクス的概念では、それを“交通”と呼ぶ。
“交通”は抽象的巨大概念としてもあるだろうが、国籍不明の子供たちが産みだされるという具体性のレベルでもあった。
ぼくたちは、この歴史的-地理的“多様性”についてもっと敏感であるべきである。
まさに“日本人”に欠落しているのは、この世界史-世界地理の感覚である。
おどろくべきことに、この“列島民族”は、“世界に進出し”、世界をレジャーランドとみなして“観光”していても、いつまでも“井の中の蛙”にすぎないではないか。
もし、ヨーロッパとか“世界”がお嫌いなら、ぼくたちはいったい“アジア”について何を知っているのか、“オリエント”について何を知っているのか。
ぼくたちが知っていることが、アメリカ野球や、デズニーランドや、スピルバーグ-イーストウッド映画“のみ”であっては、あまりにも貧しい。
決定的に貧しいのである。
たしかに“経済的な貧しさ”を克服するのは、政治にとっても個人にとっても至難である。
しかし、“こころの貧しさ”は、ただちに克服に向かえるのだ。
あなたが、ちょっと視点を変え、いままでとはちがった関心を持てばよいだけである。
あなたは、“出会う”べきである、未知に。
もちろん、自分の生まれた町から1歩も出ずに“越境”したひともいる(笑)
<追記>
もちろん、ぼくが”この列島的(劣等的)空気”に息が詰まるだけであるとしても、越境したい。