Don't Let Me Down

日々の雑感、引用。
言葉とイメージと音から喚起されるもの。

世界の終わりとブログの終わり

2009-04-24 22:26:48 | 日記
今日。

仕事から帰り、パソコンを開いたら、“通りすがり”さんのコメントで、ぼくが2月7日まで書いていたDoblogに“告知”が出たことを知った。

すなわちDoblogという名のブログが、“サービスを一時的に再開するが”、“2009年5月30日(土)をもちまして終了いたします”ということである。

予想された事態であったが、自分のブログを2月7日からさかのぼって、読んでみた。

そうしたら、1月18日に、ぼくはすでに“世界の終わりとブログの終わり”というブログを書いていた。
引用します;


実は昨日写真を出して、ベンヤミンの言葉を引用して、このブログをやめようと思った。
ブログを書くことは、誰にも頼まれたのではなく、ここ数年のぼくの“習慣”にすぎなかった。
ある意味では、ぼくの言いたいことは、もう言った。
この状況に対するぼくの反応は、日々起こる“出来事”によって“変わる”のだけれど、ぼくは“出来事”への関心を失った。
具体的には、テレビニュースはとうに見ないし、新聞購読もやめた。
あとはwebでのニュースや特定ブログなどのチェックだけであるが、この“習慣”も維持できるかわからない。
つまりぼくは“ニュース=世間”を、まったく知らないひとになるかもしれない。
ブログを書かない決意をした今朝も、web巡回の習慣は行なった。
今朝眼についた見出しは以下のようであった;
<イスラエル、一方的停戦 部隊は残留、反撃態勢を維持>
<オバマ列車、出発 独立宣言の地から首都へ>
この見出しは、ぼくになんの“感情”ももたらさない、筋書き通りの退屈ドラマである。

天木直人氏のブログはよかった、こういう文章をひとりでも多くの人が読むべきだ;
《偶然にも同じ日の朝日新聞の書評欄で星野博美という写真家・作家の言葉をみつけた。星野氏は若桑みどりの「クアトロ・ラガッツィ」(集英社文庫)という本と飯嶋和一の「出星前夜」(小学館)の二冊の本を紹介してこう書いていた。
 「クアトロ・ラガッツィ」はイエズス会によりローマへ送られた天正少年使節団が帰国した時、待っていたのは、他の文明や宗教を排除する鎖国に向かっていた日本による弾圧だった、という本であり、「出星前夜」は天草・島原の乱をテーマにした歴史小説だという。
 そこに描かれているのは抵抗運動の末になぶり殺されていった一人一人の無名の人間の生きざまであるという。
 そして評者星野博美氏はこう締めくくっている。
 「正義が行われない絶望的な状況下、人は何を誇りに生きていくのか。もしそんな状況に(自分が)置かれたら、どんな行動をとるだろう。自分の生き方を問われているような気がする・・・なぜ(私が)これらの本を欲していたのか、最近やっとわかってきた。弱肉強食の時代に戻りつつあることを実感し始めた今だからこそ、何に希望を見出したらよいのか、ヒントを探したくなった・・・」
 パレスチナ問題は遠い世界のことではない。私たちの身の回りに無数に存在する絶望的な不正義、不条理を前にして、自分はどう生きていくべきか、その悲しいまでの根源的な問いを、幼い子供達が流す無辜の血と涙とともに、私たちに問いかけているのである。》
(以上引用)

そして天声人語であった;
《生まれて初めて、東京大学の本郷キャンパスに立ち入った。昭和史の舞台の一つ、安田講堂の前に立つ。逸話の重さ、残像の激しさのためか、焦げ茶の建物は意外に小さく見えた▼40年前のきょう、講堂を本丸にして構内に立てこもる学生約700人の強制排除が始まった。出動した機動隊は8500人。学園紛争の天王山、2日にわたる安田講堂攻防戦だ▼学生の演説と警察の退去警告、上空の取材ヘリ。講堂に向けて催涙弾と放水、逆の弾道で火炎瓶と投石が飛び交った。警視庁の担当課長として現場を指揮した佐々淳行(さっさ・あつゆき)さんは、それらが織りなす音の渦を「交響曲不快」と表現する▼先々の不利益を承知でとどまる学生らは、命がけで職務にあたる機動隊員に必死で抵抗した。講堂に籠城(ろうじょう)した島泰三(たいぞう)さんの著にある。「人生の暮れ方に至っても、私は後悔していない。歴史のひとつの局面で、果たすべき義の一端を担うことができたのは、わが人生の欣快(きんかい)である」▼賛成の代わりに「異議なし!」、反対と言わず「ナンセンス!」。全共闘の運動を革命ごっこと嘲(あざけ)るのは楽だが、ベトナム反戦でも大学改革でも、時代と社会に向き合う一途さはまぶしい。その「熱いバトン」を落とした世代の、勝手な感傷だろうか▼テレビの特番で、佐々さんが昨今の青年の冷めようを案じていた。「若者は怒らなきゃ。40度は困るが38度くらいの熱は出してほしい」。あの週末と同じ冬晴れの構内を、センター試験の受験生が埋める。「果たすべき義」に出会える日々、彼らにありやなしや。》
(以上全文引用)


ああ(笑)

天声人語はまたもぼくを挑発しているのだろうか。
これを読んでしまうたびに、ぼくはなにかを書かねばならないという脅迫観念におそわれてきたのだ。
“虚偽”と“不正義”を放置するわけにはいかない、と(笑)
“昨今の青年の冷めよう”をもたらしたのは、天声人語のような<言葉>なのだ。
天声人語氏には“その「熱いバトン」を落とした世代の、勝手な感傷だろうか”などという“感傷”にふけっている余裕は、ない。
まさにこの“余裕”こそが、ぼくが批判し続けている“メタボ体質”なのだ。
少なくともぼくが天声人語の書き手なら、商売とはいえ、こんな文章を書き続けることはできない。
はっきり言って、天声人語より良い文章を書いているこのブログが、自分が書いているという行為を“懐疑”しているのだ。
《彼らにありやなしや》
自分に“ない”ものを、どうして“青年”に求めることが、できるのであろうか。

天木氏が引用した文章にあった、《弱肉強食の時代に戻りつつあることを実感し始めた今だからこそ、何に希望を見出したらよいのか》という言葉は、リアルである。
これは格差社会的な日常のリアルであるだけでなく、戦争国家イスラエルをだれも止められないという世界情勢のリアルでもある。
もし“戦争国家”を認めるなら、この日本という国家も“防衛のための”戦争国家になるというリアリズムのみが必然である。
ぼくは“そうなる”と思う。

(あなたが変わらないかぎり、そうなる=私が変わらないかぎりそうなる)<注>

現在の“ぼく”には、それを阻止する言葉がないのである。
だから、ブログもやめようと思った。
ただぼくは昨日ベンヤミンの言葉を掲げるのみであった;

《希望なきひとびとのためにのみ、希望はぼくらにあたえられている》

しかし、これを<文学>としか受け取れない“リアリスト”が、“多数”であることを、ぼくは骨の髄まで知ってしまった。

(略)

しかし今朝もうひとつの言葉を聞いた:

《African people have time for human beings ! 》

だから、ぼくは、またこのブログを書いた。


<注>
この”変わる”ということは、自分が思い込んでいる”アイデンティティ”の外に出て行くことだと思う。
現在のぼくには、こういう”曖昧な”言い方しかできない。
”自分”というのは、なにか自分の内部の底にあるものを”探して見つける”ものではない。
外に出ることで、見出す(不充分にでも)ものだと思う。

(以上1月18日のブログ)



この《African people have time for human beings ! 》という言葉について、ぼくは同じ日の朝に以下のブログを書いていた;

<snapshot African people have time for human beings>
[ 10:02 ] [ 日記 ]

Pakipakiブログ復活(リンク参照)

突然入院したMr.Pakipakiの病院へ乗っていったタクシーの話(Pakipakiはドイツに住んでいる);

《そしたらね、走って戻ってきた私に、ヤオさんが一言「アフリカ人は人間のために時間を使うんだよ。African people have time for human beings! だから、こんな時はMr.Pakipakiのために、もっとゆっくりしてきてよかったのに。」だって!

名言。African people have time for human beings! これには泣けた。せっかくなので、泣いといた。(ヤオさん、ビビっとった。)こーゆー優しさには弱いっすよ、私。

で、うちまで連れてかえってきてもらい、お金を払って。。。そしたら一言「次にこんなことがあったら、プライベートの車で連れていってあげるから」だって!

ガーナ人、すごい。We Africans help each other!って言ってた。えー、私はアフリカ人じゃないんだけど。。。その助け合いの輪に入れてもらってんの?!?》

(以上Pakipakiブログより引用)



”われわれ”は、なんのために時間をつかっているのか?