Don't Let Me Down

日々の雑感、引用。
言葉とイメージと音から喚起されるもの。

見知らぬ人々の間で

2009-04-05 12:54:17 | 日記
2004年12月、ぼくは書いた。

しかしこの30年は幻のように過ぎた。
この小説の主人公のように、ぼくは見知らぬ街を行く。見知らぬ人々の間を。
今だから わかる あの夏のかがやき


結局、ぼくが書きたいのは、これ“だけ”なのかもしれない。

ノスタルジー?永遠の夏休み?
ぼくは“ツバメ号とアマゾン号”や“IT”の世界に、自分をいつまでも遺してきてしまったのだろうか。

だから、ぼくは、歩みはじめる人が好きなのだろうか。

《観光バスや定期バスが列を連ねている広場を秋幸は渡り始めた》

ありふれた朝の光景である(あろうか?)

《真夜中へもう一歩》


<越境>をかたるとき、ぼくらは“国境線”について語る。

<事実>について語っているのだ。
しかし<事実>とはなにか?

たとえば、“観念”や“幻想”と切れた事実などというものが、あるのだろうか。

ぼくたちは、事実を追うことを放棄すべきではないが、その事実を見る、自分の目の存在自体を決してわすれることはできない。
このぶよぶよした、引き抜けば(たぶん)紡錘形のゼリーを。
それは、これまた腐蝕しやすい脳につながっている。

カメラでさえ、客観的事実を写しはしない。

道端の、いっこの石、季節の花々であろうと。
この肉、その肉であるなら、まして。

消耗し、腐敗するものであるから。




<追記;記憶と回想>

(過去ログから)
ナボコフは少年時の海岸で出会い駆け落ちしようとした少女の犬の名前が思い出せなかった。
彼はその名前をその時買ってずっと所有していた”装飾の部分に小さな水晶の覗き穴のある海泡石作りのペン軸”から思い出す。

”するといま嬉しいことが起きる。ペン軸と覗き穴のなかの小宇宙とを想い出す過程が私の記憶力を最後の努力にかりたてる。私はもういちどコレットの犬の名前を想い出そうとする―と、果たせるかな、そのはるか遠い海岸のむこうから、夕陽に映える海水が足跡をひとつひとつ満たしてゆく過去のきらめく夕暮れの海岸をよぎって、ほら、ほら、こだましながら、震えながら、聞こえてくる。フロス、フロス、フロス!”
<ナボコフ自伝 記憶よ、語れ>


★背丈が2インチほどのびて、桃色のふちの眼鏡をかけていた。髪を高く盛りあげた新しい髪形、昔はかくれていた見なれない耳。なんというあっけなさ!私が3年間も思い描きつづけたこの瞬間―その結果は木片のようにあっけないものだった。腹が、あからさまに大きくふくらんでいた。顔が小さくなったように見え、(じっさいは、たった2秒しか見ないのだが、私はその2秒を許されるかぎり固定して、持続させたいと思った)、淡くソバカスを浮かべた頬はやつれ、むき出しの脛や腕は、日やけした昔の色をうしなって、薄い体毛が目立った。袖のない茶色の木綿の服、型のくずれたフェルトのスリッパ。
<ウラジミール・ナボコフ「ロリータ」第2部、29>



上記引用文を探して、Doblogの自分のブログを“ナボコフ”で検索したら、以下のブログが見つかった:

ああここに素晴らしい本とその本の書評がある。
だが素晴らしいのは、この本でも書評でもなくその”事実”である。
きょう朝日新聞読書ページの小池昌子さんによる「テヘランでロリータを読む」書評のことである(この本については先日のブログでも扱った)

イスラーム革命後のイラン・テヘラン。
ホメイニ師率いる新体制が、監視の目を光らせる体制下、大学を追われた著者が密かに読書会を開く。

メンバーは、
”傷つきやすさと勇気が奇妙にも同居する、皆、どこか一匹狼的な女子学生7人”

読んだ本はナボコフ「ロリータ」ほかフィッツジェラルド、ヘンリー・ジェイムズ、オースティン等とある。
読書会は毎週木曜の朝に著者の自宅で開かれた。

”室内に入り、着用を義務付けられた黒いコートとヴェールをぬぐと、その下から現れるのは、鮮やかな色彩、官能的な肉体、そして裸の個の精神だ。”

この本の著者は言う。
”小説は寓意ではありません。それはもう一つの世界の官能的な体験なのです”

ここで繰りかえされる”官能的”という言葉に注目するべきだ。

ぼくたちが現在生きているこの(日本)社会は、自由な社会であると思われている。
ホメイニ体制や北朝鮮とは対極の。
それなら、上記のような事実はひとごとであり、”そうならないように努力する”世界なのであろうか。
もちろんぼく自身も日本の現状がホメイニ体制と同じなどとは思っていない。
むしろそれは”さかさまの世界”なのだ。

ぼくたちは、過剰に自由である、性的に自由である(ある局面においては)
だがそのなかで徹底的に”官能的な生”は失われている。
官能的とはセックスのことである。
だがセックス自体ではない。
あるいはセックス自体を突き抜けるものである。

ぼくはこの本の報告する事実を”寓意”として読まない。
まさに、この日本の状況打開への切実な指針として読む。
ここにぼくと同じ意思を持った人がいると。
ぼくよりはるかに厳しく、広いひとであろうが。
(以上過去ログ引用)


しかしぼくは、この「テヘランでロリータを読む」を、“まだ”買ってない!



最初の頃

2009-04-05 11:22:19 | 日記
ぼくは現在崩壊過程にあるDoblogで2004年12月からブログをはじめた。
Doblog壊滅に備えて、その最初のブログからピックアップッする。
自分での感想?ぼくは同じことばかり言っている。
しかし、この4年が、ぼくを変えなかったはずはない。
またぼくがこの数年で、変わってしまうはずもなかった。



★ <ブログ開始> 2004/12/11
朝日新聞”be on Saturday”に先週と今日でていた記事を読んで、気になっていたブログをやってみることにした。
去年9月から今年6月まで、ホーム・ページ ”wind” を開設していたが、しんどくなってやめちゃった。
”ブログ”は楽チンみたいだ。
”wind”の時はほぼ毎日、撮った写真をA Day In The Lifeとして掲示板に貼り付けていた。これもブログなら簡単そうだ。最近毎日は写真撮れないけどね。
今日の写真は数日前新宿伊勢丹でランチをテラスで食べたときの水のびん。


★ <ヘミングウェイ> 2004/12/11
先日夜、BSで”世界時の旅人ヘミングウェイ”をみた。
案内役・矢作俊彦でヘミングウェイが少年時をすごしたミシガンや晩年をすごしたキューバの風景が紹介された。
読みたくなり、本棚から「ヘミングウェイ全短編1」を取り出しぱらぱらよむ。
最初の短編集「われらの時代」。
その中の「ある訣別」がよかった。少年、少女の’最初の別れ’を淡々と書いている。
虹鱒の夜釣りのキャンプ。月がしずかに昇っていく。

”今夜はきっと月が出るよ”

晩年のヘミングウェーは”私はヤンキーではない”といったそうだ。


★<うちのペットを紹介します> 2004/12/13
うちでは年齢不詳の熊を飼っている。名前はアルちゃん。
ときどき彼との会話を掲載しよう。

アル:おれがペットかよ。
wamgun:おれじゃなく、ぼくといいなさい。
アル:またはじめた。こんどはブログかよ。すぐあきるくせに。
warmgun:世間は師走みたいだ、みんないそがしそうだぜ。
アル:うちはかんけーないな。ただ寒くなってきてこたえるね、暖冬だってさ。おれまた冬眠の準備忘れたし。
warmgun:ぼくが代わりに冬眠するって。
アル:このブログでは時事漫談やんないの?小泉バカとか。
warmgun:このブログの決まりにも、”ひとを不愉快にさせることは書かないように”とあるぜ。でも”今日のばか”というコラムつくってもいいね。毎日書ける。
アル:このブログの新着記事に”レイプ反対”というのがあって、レイプされた女性が裸で抗議する写真のってた。立派だぜ。あんたなんて、けっきょくウダウダ言ってるだけでなんも行動せんじゃないか。
warmgun:まあそう言うな。これが限界なのだ。さりげなくやらなきゃなんない。


★ <見えない木> 2004/12/13
田村隆一の詩”見えない木”を引用します。

雪の上に足跡があった
足跡を見て はじめてぼくは
小動物の 小鳥の 森のけものたちの
支配する世界を見た
たとえば一匹のりすである
その足跡は老いたにれの木からおりて
小径を横断し
もみの林のなかに消えている
瞬時のためらいも 不安も 気のきいた疑問符も そこにはなかった
また 一匹の狐である
彼の足跡は村の北側の谷づたいの道を
直線上にどこまでもつづいている
ぼくの知っている飢餓は
このような直線を描くことはけっしてなかった
この足跡のような弾力的な 盲目的な 肯定的なリズムは
ぼくの心にはなかった
たとえば一羽の小鳥である
その声より透明な足跡
その生よりもするどい爪の跡
雪の斜面にきざまれた彼女の羽
ぼくの知っている恐怖は
このような単一な模様を描くことはけっしてなかった
この羽跡のような肉感的な 異端的な 肯定的なリズムは
ぼくの心にはなかったものだ

突然 浅間山の頂点に大きな日没がくる
なにものかが森をつくり
谷の口をおしひろげ
寒冷な空気をひき裂く
ぼくは小屋にかえる
ぼくはストーブをたく
ぼくは
見えない木
見えない鳥
見えない小動物
ぼくは
見えないリズムのことばかり考える

(田村隆一:見えない木 ”言葉のない世界”より)


★ <アイム・タイアド> 2004/12/15
アル:おつとめ、ごくろうさん。
warmgun:そらぞらしい。
アル:昨夜はひどかったね。11時台にチャットして’記事を公開する’押したら’、ただいま混みあってます’とかでて、再送信しようとしたら消えちゃった。
warmgun:このブログ初の悪口書いたのにな。
アル:やっぱ悪口書くなってことじゃない。
warmgun:朝日朝刊の”石原知事発言録’に切れた。”テロの時は命がけで憲法破る”ときた。この男のこういういきがり、我慢できん。政治家はなにやるんでも”命がけ”があたりまえだ。黙って命かけろ。ヤクザの親分みたいな台詞いう”都知事’は、都民の恥だ。
アル:ついでにビートたけしの「座頭市」けなした。関係ないだろ。
warmgun:たまたまこの前テレビでみて、ずっと気分悪かった。この全然才能ない男が芸大講師になったり、テレビでいつまでもうだうだやってんの我慢ならん。「座頭市」は勝新に失礼だ。
アル:たけしに染める髪があるの、ひがんでるんじゃないの?
warmgun:うっせー。石原とたけし、共通点あるの。”情念”がないのよ。本人も世間もその逆と思ってるが。ドメクラ!
アル:(パチパチ)座頭市の台詞よね!座頭市は身体障害者のヒーローだ。石原やたけしにわかりっこない、といいたいのね。あんたも仕込杖、もっとみがかんといかんね。


★ <架空の日記> 2004/12/16
7月28日 月曜
すでにばら色になった陽光がぼくの部屋を染め、ぼくの机を照らしている、まるであの夕方そっくりだ。はじめてぼくが、アン・ベイリーの店で買い求め、まだ包装したままの500枚の紙をまえにすわり、まるで封印のようにはりつけられた帯封を破ったあの夕方、ぼくはそれらの白紙の第1ページを手に取り、しまの透かし模様を透かしてながめてから、机の上の陽の当たる所に平らに置くと、その白いページはぼくの目のなかで燃えはじめたのだった。(ビュトール:時間割)

1932年1月29日 月曜日
なにかが私の裡に起こった。もう疑う余地がない。それはありきたりの確信とか明白な証拠とかいったもののようにではなく、病気みたいにやってきたのである。そいつは少しずつ、陰険に私の裡に根を降ろした。私は自分がちょっと変で、なんだか居心地が悪いのを感じた。ただそれだけのことである。そいつは私の心の中にはいりこむと、静かにしていて、もう動こうともしなかった。そこで私は自分に言いきかせることができた。自分はどうもしていない、つまらぬ思い過ごしだ、と。しかしいまそれが明確な姿を現した。(サルトル:嘔吐)


★ <ひとつの祭り、もうひとつの祭りを> 2004/12/19
”ショットガンが大空で炸裂する”
C,S,N&Yで”ウッドストック”を聴く。

”ウッドストック”とはなにか。
それは心を浮立たせる希望だ。
それは、現在ぼくたちをとりまくものと反対のものだ。
現在もイラクの空で炸裂する砲弾と逆のものだ。
”金儲け”、”家族殺し”、”拉致”、”チョーキモチイイ”とは逆のものだ。

この曲をつくったジョニ・ミツチェルは書いている。
”ニュー・ヨークのホテルの一室にこもって出掛けることもできないという、いわば剥奪状態がわたしのウッドストックに対する明確な立場を与えた。・・・あのときのわたしは、よりよい関係の欠乏のため神に夢中だった。それで自分にいい続けていた。’現代の奇跡はどこ?’って。どういうわけかウッドストックに現代の奇跡という感動を抱いた。”

希望とは閉塞感のなかで見える、ピンの穴のような光だ。


★ <今年はどんな年?> 2004/12/22
アル:おはよう、あいかわらずさえない顔だね。
warmgun:きのうはひさしぶりに新宿の夜をさまよった。
アル:かっこつけんな、’帽子’さがしてたんでしょ。ごぶさたの’昔なじみブランド店’めぐった。
warmgun:アニエスb、ポール・スミス、R.ニューボールド、AAR、Y'S、ギャルソン・オムとかね。店員に’最近金なくて買えん’とかいいながらね。ニット・キャップが10,000もしておる。東急ハンズは1,500なのにじゃ。だが’ブランド’はよい。しゃくだ。
アル:今年は、コート、10年以上前に買った、ダッフルとピー・コート復活したね。
warmgun:3シーズン、ダウンのロング・コートだけ着ていて、さすが飽きた。
アル:まあ、おやじのダッフル・コートも一興よね。
warmgun:タイトル”今年はどんな年’だぜ。その話題いくか?
アル:10年以上前のダッフルコート着るような年よね(われながら感心する表現だなー)
warmgun:バカ!読んでいる人わからんだろうが。
アル:読んでいる人いるの?
warmgun:オリンピックとかさ、イチローとかさ、ヨン様、純愛、負け犬、ライブドアとかさ、
そういうこといわんとアカンの。
アル:なんで関西弁でるの、東北の田舎モンなのに。そういえば、君の生まれた長岡、地震で大変だったじゃん。
warmgun:むかし、陽水に”東へ西へ”というのあったなー。
アル:なにそれ。なんか今日は支離滅裂ね。
warmgun:”純愛”はいいなー。’負け犬の純愛’。これぞ今年のトレンドね。
アル:わけわからん。


★ <小説ってなに?> 2004/12/22
今日朝日新聞夕刊・文芸時評に島田雅彦が大江健三郎について書いている。

”新たな長編「さようなら私の本よ!」の第1部「むしろ老人の愚行が聞きたい」(群像)には、独自の晩年を彩ろうとする巨匠の覚悟を垣間見ることができる。”

”新作は同じ回顧でも’最後の闘争’に打って出そうな不穏な気配がある。’いまおれは、自分の人生でもっとも過激だった頃に戻っている’と呟く繁のように、あえて顰蹙を買おうとする老境の登場人物たちの邪気があふれている。”

”近作の『アフターダーク』がたとえ紋切り型の羅列の予定調和であっても、傑作と呼ばれ、多くの読者がつく村上春樹の国民作家的余裕とは雲泥の隔たりのこの緊張感を、作家生活50年になろうかという大江氏が保っているのである。”


ぼくは浪人し、予備校へ通っていた地下鉄の車内で大江の「われらの時代」を読んでいて、雷に打たれた。
その後、’親ばか作家’(のようにみえる)大江から遠ざかって久しい。
一方、村上春樹を’愛読’してきた。しかし「ねじまき鳥クロニクル」以降はかわない。この長編の元になった「ねじまき鳥と火曜日の女たち」は傑作だった。この間春樹になにかが起こった。
それまでの春樹は”喪失感”を抱える人々を描いた。いつのまにか彼はその”喪失感”を喪失した。
あるいは、ぼくたちの世代が直面した激しい変動を直視し、批判し、表出するためには、”喪失感”だけでは足りなかった。

大江健三郎さん。
あなたが、最後の戦いをラジカルに闘うことを望む。
恥知らずな石原慎太郎はまだ生きている。


★ <感受性の全領域を鳴らせ> 2004/12/23
☆目を閉じると、風の匂いがした。果実のようなふくらみを持った5月の風だ。そこにはざらりとした果皮があり、果肉のぬめりがあり、種子の粒だちがあった。果肉が空中で砕けると、種子は柔らかな散弾となって、僕の裸の腕にのめりこんだ。微かな痛みだけがあとに残った。(村上春樹:めくらやなぎと、眠る女、1995)

☆夜更けに仲間の少年の二人が脱走したので、夜明けになっても僕らは出発しなかった。そして僕らは、夜のあいだに乾かなかった草色の硬い外套を淡い朝の陽に干したり、低い生垣の向こうの鋪道、その向こう、無花果の数本の向こうの代赭色(たいしゃいろ)の川を見たりして短い時間をすごした。前日の猛だけしい雨が鋪道をひびわれさせ、その鋭く切れたひびのあいだを清冽な水が流れ、川は雨水とそれに融かされた雪、決壊した貯水池からの水で増水し、激しい音をたてて盛りあがり、犬や猫、鼠などの死骸をすばらしい早さで運び去って行った。(大江健三郎:芽むしり仔撃ち、1958)

☆朝の光が濃い影をつくっていた。影の先がいましがた降り立ったばかりの駅を囲う鉄柵にかかっていた。体と共に影が微かに動くのを見て、胸をつかれたように顔を上げた。鉄柵の脇に緑の葉を繁らせ白いつぼみをつけた木があった。その木は、夏の初めから盛りにかけて白い花を咲かせあたり一帯を甘い香りに染める夏ふようだった。満で29歳になった6尺はゆうに超すこの男は、あわてて眼をそらした。観光バスや定期バスが列を連ねている広場を秋幸は渡り始めた。(中上健次:地の果て至上の時、1983)


★ <今だから、わかる> 2004/12/26
1960年代終わりのあのバリケード封鎖が解除されたとき、ひとりの男が中国に渡った。それから30年後、男は密航し東京に帰ってくる。

”そのとき、匂いが蘇った。新しい紙と印刷インクの匂いだ。それが彼を取り巻いていた。30年暮らした中国の村では、活字はどれも黄ばんだ紙に印刷されていた。
もう一度、思い切りその匂いをかいだ。そのとたん、胸がつかえた。胃が暴れ、何かが喉にこみ上げてきた。歯を食いしばってそれを止めると、涙がわっと溢れでた。”(矢作俊彦「ららら科学の子」 2001)

ぼく(たち)は中国に渡らなかった。
しかしこの30年は幻のように過ぎた。
この小説の主人公のように、ぼくは見知らぬ街を行く。見知らぬ人々の間を。

深夜のテレビで小田和正がユーミンとの共作「今だから」を歌っていた。
今だから わかる あの夏のかがやき


★<ドント・ルック・バック:俺の長髪はどこへいったか>  2006/12/31
「なぜ小鳥はなくか」
プレス・クラブのバーで
星野君がぼくにあるアメリカ人の詩を紹介した
「なぜ人間は歩くのか これが次の行だ」
われわれはビールを飲み
チーズバーグをたべた
コーナーのテーブルでは
初老のイギリス人がパイプに火をつけ
夫人は神と悪魔の小説に夢中になっていた

9月も20日をすぎると
この信仰のない時代の夜もすっかり秋のものだ
ほそいアスファルトの路をわれわれは黙って歩き
東京駅で別れた

「なぜ小鳥はなくか」
ふかい闇のなかでぼくは夢からさめた
非常に高いところから落ちてくるものに
感動したのだ
そしてまた夢のなかへ「次の行」へ
ぼくは入っていった
 (田村隆一:星野君のヒント1955、「言葉のない世界」1962冒頭に収録)

”朝鮮戦争が終わって、わが国の政治と経済が、高度経済成長政策に突入する、あの空白の一瞬に、この詩が生まれた。この一瞬には、東京の空も夜もまだすがすがしかった。”(田村隆一「詩人のノート」)


★<WE CAN CHANGE THE WORLD>  2005/01/01

ある朝起きて、あなたが行ってしまったことを知った
新しい日
ぼくは新しい夜明けを見た
きみはきみの道を行け
ぼくはぼくの道をゆく、だいじょうぶ
大雨の夜は終わり空は晴れ渡った
陽光が世界をやさしくつつんでいる
歓喜
選択の余地はないがだいじょうぶ
御伽噺の幸運で歌がうたえるようになる
今、機知とすばやさが歌うべき歌をもたらす
だいじょうぶ
愛は来ている
愛はぼくたちみんなに来ている
あなたはどこへ行くの?ぼくの愛とともに
あなたがもたらすのは幸福?
それとも悲しみ?
千の’夢の問い’が散らばる
あなたがなにをしても、なにを見ても
恋人よ、ぼくに話してくれるかい
ぼくはぼくであるために、あなたを追った
きみが去った理由がなんであれ
きみのベストをつくせ
千の夢についての問いかけについて
きみがなにをし、なにを見たかを
恋人よ、ぼくにはなしてくれ

(”Carry On” by C,S,N&Y 意訳warmgun)


犯罪はわりにあわない

2009-04-05 09:27:57 | 日記

昨日(4/4)のアサヒコムにこういうニュースがあった;

<「リッチ女性と交際+お小遣い」 医師らコロリ詐欺手口>2009年4月4日15時22分

ぼくはこの見出しで、この記事を読んだのだが、このニュースはアクセス・ランキング上位にあったので、けっこう多くのひとが、こういう見出しに興味を持っているわけだ。

ぼくは、そういう“興味”自体が、どういうものなのかな?と思った。
また、なぜ朝日はこうニュースを流すのだろう?と思った。

この“現代社会の一断面”を知るという興味なのだろうか。
自分や自分の夫・家族がこういう詐欺にあうかもしれないという関心なのだろうか。

ぼくにとっては、こういう詐欺の犯人こそが興味深い。
ぼくがこういう詐欺に引っ掛かる可能性はゼロだからである(笑;ようするにおカネがないから)

であるので、この3ページにもわたる記事から“犯人”に関する部分だけを引用しよう;

★女性が退席すると、入れ替わった若い男が説明した。
 「女性はあなたのことを気に入ったようです」。30回会う契約で1回に8万円もらえる。正式な紹介には350万円必要だが、最後に多額のボーナスもつくので、あなたがもうかる仕組みと言われた。
★交渉役から女性の手配まで担った主犯格の男と面会を重ねて聞いた。なぜだませたのか。
 「女性が金を払って、男性を愛人として契約する。なさそうで、ありえない設定ではない。金持ちだけど、夫に不満を抱いてホストに入れあげる妻。そういう話が世の中にあるじゃないですか」
精悍(せいかん)な顔つき。質問の意図を素早くつかみ、快活に答える。柔和な笑顔が印象的だ。
 「男性が惹(ひ)かれる状況をつくり上げる。そんな話が本当にあるのか怪しいものだけど、男性だって女性とつきあって金も欲しい。甘い汁を吸いたい。そういう心理を逆手にとる」
★男はいう。
 「被害者はみんな、怪しいとは思っていたはず。でも心のどこかできっと大丈夫だと信じてしまう。その見極めが甘い人はだまされてしまう」
 男は1億円を超す分け前を得たが、結局、被害弁済ではき出した。一審判決は懲役4年6カ月。
 3月半ば、刑が確定する直前に記した手紙が届いた。雑誌の詐欺事件特集から書き写したという一文があった。
 〈冷静に考えればそんなうまい話があるはずないのに、欲に目がくらんだ人は疑うこともしない。(中略)だまされる側も脇が甘いというか、つけいられる隙(すき)がありすぎる〉
(以上引用)


フーン(笑)

主犯格の男は、“精悍(せいかん)な顔つき。質問の意図を素早くつかみ、快活に答える。柔和な笑顔が印象的”なのである。

まるで朝日記者は、この男を褒めているようではないか(笑)
あこがれているのだろうか(爆)

“男は1億円を超す分け前を得たが、結局、被害弁済ではき出した。一審判決は懲役4年6カ月”― なのである。

いったいこの男はなにがしたかったのだろうか。

なぜこの男は、“雑誌の詐欺事件特集から書き写したという一文”などを朝日新聞記者への手紙に“引用”などしているのだろうか。

ぼくは“犯罪はわりにあわない”などという教訓を書きたいのではない。

こういう“精悍(せいかん)な顔つき。質問の意図を素早くつかみ、快活に答える。柔和な笑顔が印象的”な男が興味深いだけである。


つまり、この<人生>で、わりにあうこととは、何だろうか?