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僕の読書ノート「増補改訂 アースダイバー(中沢新一)」

2019-10-20 16:52:03 | 書評(その他)


アースダイバーの初版が出たのは2005年、それから13年を経て2018年に増補改訂版として出たのがこれである。地質学的な面で、想像が事実であるとの誤解を招きかねない記述があったところが訂正され、新たに海民の概念と下町のことが付け加えられた。中沢新一が東大に入学した当初は生物学を目指していたらしい。本書を書くに当たっては動物行動学者ユクスキュルの「生物が内側から見ている世界」が助けになったというし、「ヤンキー」についてはドーキンスの「ミーム」という概念で説明している。おそらくレビー=ストロース流の構造主義が彼の思考法の最大の骨格になっているのだろうが、それについてはとくに触れられていない。それから、中沢の頭の中の妄想やエロスがあふれ出てくる箇所もある。本書は、論理的な思考と想像の力が混然一体となった論考である。

「アースダイバー」という言葉はどこから来たのだろうか。そのまま、訳せば「地球に潜る人」ということになるが、アメリカ先住民の「アースダイバー」神話というのがあるという。まだ陸地がなかった世界で、カイツブリが水に潜って水底からつかんできた泥を材料にして陸地がつくられた、という話である。

地質学の研究によって、堅い土でできている洪積層という台地と、それより一段低い平地の、1万年ほど前から川や海が運んできた砂が堆積してできた沖積層があることがわかっている。縄文時代には沖積層まで海が入り込んでいた。縄文時代から弥生時代にかけての遺跡はこの沖積層と洪積層の境界部分に多く残っているが、現代に至ってもこういう場所には、神社、寺院、墓地などが存在しており、このような死とつながりのある霊的な何かは時代を超えても影響を及ぼし続けているということである。縄文時代の海岸線と現代の地図を重ね合わせたものがアースダイバー地図であり、そこに見える縄文時代における岬や半島状の突端部を、霊的な「無の場所」と呼んでいる。

通常、都市の中心には王宮などのなにかが「ある」。ところが、東京の中心の緑の小島「皇居」にはなにも「ない」。皇居という「空虚な中心」の周りに環のようなかたちに発達していったのが東京の都市構造である。しかし、このような東京のかたちは、偶然にできたものではないという。縄文時代の村はドーナツ状をしていて、自分たちの住む小屋をまあるい円環状に並べ、その中に広場があり墓地があった。こういう習俗は、日本人だけでなく、アメリカのインディアン、中国大陸、メラネシアの島々でも広く行われていたらしい。この汎環太平洋的な円環構造が、東京という都市に流れる時間とエネルギーをいまも決定づけているとしている。

四谷というと、四谷怪談の実在した恐ろしい土地だと子どものころから思っていた。四谷怪談を芝居でやるときには、祟りがないように必ずお岩稲荷にお参りしたとも聞いていた。しかし、本書によれば、江戸時代に実際にいたお岩さんはとてもよくできた奥さんで、怪談話は鶴屋南北が作り上げた創作だったという。お岩さんの後代の田宮家は、その芝居を見てびっくりし、抗議を申し入れたほどだった。

大学は埋葬地に作られていることが多い。慶応大学、早稲田大学、青山学院大学、東京大学、しかりである。一つの理由は、古代からの埋葬地は、人が立ち入ることを避けてきた「アジール(聖域、逃げ込み場)」であり、なんとなくそこに人家や畑を開いたりするのがはばかられていたため、明治政府が土地を民間に払い下げるのに都合がよかったということもある。そして、中沢がとくに考える理由は、大学には死者から注がれる視線がなくてはならないということだ。死のことを意識しない知性には、深みも重みもない。学問や知性には、死の感覚が必要で不可欠であり、生者の権力から自由な空間にアジールが作られるのがふさわしいということである。

おもしろかったのは、「ヤンキー」に関する論考だ。文化が模倣によって伝わっていく作用のようなものを、遺伝子に似た働きをする「ミーム」と呼ぶことができる。「ヤンキー」も「ミーム」の働きで伝わってきたものとして説明している。もともと漁で暮らしを立てていたのが海民であるが、江戸下町の海民的気質の表現である「イキ」「イナセ」「キャン」といったものが形を変えて近代に再生をとげているのが「つっぱり」であり「ヤンキー」であると述べている。日本で長いこと支配的であった水田的世界観とは異質な心性を発達させてきたとする。ヤンキーの現代における最大の生息地域は、海民文化の一つの中心地である茨城県であるという。ちなみに私は高校まで、茨城県の内陸部に住んでいた。高校は進学校に入ったつもりだったが、生徒の半数くらいはヤンキー(当時はつっぱりとか不良と呼ばれていた)であったことに愕然としたものである。そして、首都圏最大のヤンキー文化地帯が、大田区の沖積地に発達した下町から、川崎・横浜へと続く京浜地帯だとしている。

本書に書かれていることの多くは、私自身の経験上おおむね正しいと実感できることであった。今私が住んでいるところは、横浜の洪積層の突端に近いところであるが、まさに縄文遺跡が発掘された場所である。ここから沖積層のほうに下りていくと、そこは海にもつながるヤンキーの街である。海に近づけば今でもアナゴの漁師町がある。一方、洪積層の奥へ進んでいけば、東横線沿いの上品な住宅地なのである。とうぜん、沖積層のほうは祭が盛んであるが、洪積層のほうでは派手な祭は見当たらない。そんなこともあって、中沢の慧眼にあらためて感心したのである。


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