wakabyの物見遊山

身近な観光、読書、進化学と硬軟とりまぜたブログ

ネコが短命な理由

2019-08-24 17:35:51 | 猫・犬
このブログの以前の記事「ネコは死期を悟ると飼主に感謝の気持ちを伝えるという」が、いつもたくさん閲覧して頂いてまして、ありがとうございます。この不思議な行動の意味は、今後も追及していくに値する課題だと私自身思っています。

さて、野良ネコは喧嘩などによってうつる感染症のために、寿命は4、5年ととても短いといわれています。野良ネコの社会は過酷ですね。しかし、感染症でここまで平均寿命が短くなるということは、もしかしたら免疫力が弱いということもあるのかもしれません。

一方、家飼いのネコの寿命は長くても20年くらいでしょう。うちに3匹いたネコたちの寿命は、12年、13年、15年でした。それでも、人間の寿命と比べたらずいぶん短いものです。家飼いだと感染症の脅威はあまりありませんが、それでもなぜ寿命が短いのでしょうか。昔からネコは腎臓病にかかりやすいと言われています。私も、知り合いの獣医学科の先生から、お宅のネコちゃんの腎臓は大丈夫ですか?と聞かれたことがあります。最近の研究で、ネコの腎臓が弱い理由とそれが寿命の短さに関係しているかもしれないことがわかってきました。ここにも、免疫が関係しているようです。

東京大学医学部の宮崎徹教授の研究です。プレス・リリース(2016年1月10月)からかいつまんで紹介したいと思います。
哺乳類には腎臓を守るAIM(Apoptosis Inhibitor of Macrophage)というタンパク質があります。このタンパク質は急性腎不全が起きたときに腎臓を治癒させる働きがあります。ふだんは血中にあって、免疫グロブリンの一種IgMと結合しています。ところが、ひとたび急性腎不全になると、IgMから離れて、腎臓の尿細管に入り、死んだ細胞に結合することで、食細胞(ここでは尿細管上皮細胞)が死んだ細胞を掃除(貪食)できるようになります。それによって尿細管の詰まりが改善し、腎不全も治ります。ヒトやマウスのAIMは、正常にはたらいて腎臓を守っています。ところが、ネコのAIMはIgMとの結合が強すぎるために、腎不全が起きても腎臓に入っていって腎臓を守ることができないということなのです。それが、ネコに腎不全が多いこと、そして急性腎不全から慢性腎不全、尿毒症に移行し15歳前後で死亡することになる原因だとしています。しかし、なぜネコはそのような役に立たないAIMしか作れないのかはわかっていません。

下にプレス・リリースから引用した説明図を載せます。詳しい説明はプレスリリースのほうを見てください。


また、この研究はさらに進んでいて、マウス型のAIMをネコに注射すると急性腎不全が治るということです。宮崎教授は、このAIMをネコに予防的に注射したり、腎不全の治療に使うことで、寿命を15歳から30歳に伸ばすことも不可能ではないと言っています。この薬は、2022年の商品化を目指して開発が進められています。

ロボット教育セミナー(三菱みなとみらい技術館)

2019-08-18 21:15:22 | 博物館・科学館・図書館
夏休中、娘とロボット教育セミナーに参加してきました(2019年8月10日)。

三菱みなとみらい技術館で開催される「ロボット教育セミナー からくり工作2019 in横浜」に応募したら当選したので行ってきました。


沼津高専の先生が講師、そして学生さんたちが助手をしてくれました。


教室の様子。


セミナーのスケジュール。
我々は午前の回に参加。午後の回もあります。各回40名が定員。


歯車(ディファレンシャル・ギア)を仕込んで、腕と頭が回転するロボットを作ります。




ロボットの樹脂の部分はこの3Dプリンターで作ったそうです。1体作るのに5時間かかるとか。80名分で400時間かかります。
数年前に3Dプリンターという機械が世に出てきたときは、なんか胡散臭い技術が出てきたなと思っていました。実際のところは複雑な立体を正確に作れるようで、3Dプリンターで料理を作るなんていうことを考えている人もいて、少しずつ普及してきた感じがあります。


ロボットを組み立てていきます。


油性ペンでペインティングもしました。ちゃんと動いたので、完成。


雑誌「子供の科学」の工作付録などで遊べる企画展も開催中で、娘はこちらでも遊びまくって満足したようです。

東京散歩 その6-皇居内堀(千鳥ヶ淵~半蔵門)

2019-08-15 21:02:28 | 東京・川崎
皇居の内堀に行ってみました。
靖国通りの靖国神社近くから千鳥ヶ淵緑道に入り、半蔵門まで内堀沿いを歩いてみました。


靖国神社の鳥居が見えるここから内堀沿いを歩きます。


内堀です。右側の森が北の丸公園で、日本武道館や東京国立近代美術館があります。
武道館では今日(8月15日)、終戦紀念式典をやっていました。


千鳥ヶ淵緑道。ここをしばらく歩きます。
付近には、千鳥ヶ淵戦没者墓苑などもあります。


千鳥ヶ淵公園ボート場があります。
内堀でボート遊びができるんですね。


このあたりはかなり、堀の幅が広くなっていて、ちょっとした沼のようにも見えます。


首都高を越えると、北の丸公園から皇居に移ります。


千鳥ヶ淵公園になります。


ここは、半蔵濠とよばれます。向うが皇居です。
中沢新一は近著の「増補改訂 アースダイバー」において、おもしろい表現をしています。
『東京の中心部につくられているこの緑の小島には、なにも「ない」のである。...明治になって、江戸城の天守閣を取り払った跡に皇居ができた。そのときから、東京はひたすら中心が空虚なドーナツ状の構造に向かって、せっせと自己組織化にいそしんできたとも言える。経済と軍事の大国をめざしながら、およそ経済性や効率や権力の表象力という近代化の視点から見たら、目的に逆行しているかのような、不思議な構造をつくりだそうとしてきたわけである。』


このあたりは整地された堀が続きます。
堀に沿った道路では、ランナーたちが走っています。


そして、半蔵門に到着。


南の方向には、官庁のビル群が見えます。

歩いてみると、東京という大都会の真ん中には神聖で広大な自然が残っているという感覚がよくわかります。

草間彌生美術館

2019-08-09 17:48:28 | 美術館・展覧会
私は今日から10日間の夏休みです。先日、新宿の草間彌生美術館に家族で行ってきました(2019年8月3日)。

草間彌生が現代アートの世界的な作家であることは、みなさんご存知だと思います。統合失調症と闘って(共存して?)生きてきたにもかかわらず、今年90歳と長寿の域に達していることはすばらしいことです。幻覚で見えたものを描いているということなので、病気が治ったら描けなくなってしまうのだろうか、などと余計なことを思ってしまいます。ここは、2017年に新宿区弁天町に設立された小さな美術館です。今でも、入院先とアトリエを行き来しながら生活しているということです。美術館のすぐ近くにある「神経研究所附属晴和病院」が入院先だとも言われているので、現在はこのあたりを拠点に活動されているのかもしれません。ちなみに私の職場の市ヶ谷からもわりと近いところです。

草間彌生美術館では約半年ごとにテーマを変えて展示をしているようで、私たちが行ったときのテーマは「幾兆億年の果てより今日も夜はまた訪れてくるのだ-永遠の無限」(2019年4月4日~8月31日)でした。


地下鉄大江戸線の牛込柳町駅で下りて歩いていくと、美術館が見えてきました。縦長のコンパクトな建物です。


1F外側はこのような水玉模様のデザインです。


中に入ると、草間さんの写真と、


メッセージが貼られていました。
2Fは古い作品、3Fは新しい作品が展示されていますが、撮影は禁止。


4Fには、インスタレーション「天国への梯子」が展示されています。




電飾の梯子の上と下に鏡が貼られていて、上にも下にもどこまでも続いているように見えます。




5Fにはブラウジングスペース(資料室)があって、草間彌生の画集や小説(小説も手掛けています)などが読めるようになっています。


そして、ステンレス製のPUMPKINが展示されています。今年の4月に出来上がったばかりだそうです。ほとんどリアルタイムに近い作品が見られるのです。


ピッカピカで、とってもキレイでした。


同じフロア―からは新宿方面が展望できます。


1Fに下りて、お土産をのぞいてみます。当美術館のこれまでの展覧会画集や絵葉書、パンプキン型の入れ物などがありました。


1Fの水玉模様を内側から見ます。

1時間くらいでじっくり見れるくらいの分量、かつ時間予約制なので混雑することもなく、疲れることなくストレスフリーで見れました。ただし早めに着いても中に入れないので、近くのコンビニで時間つぶしをする必要がありました。

東京散歩 その5-市谷亀岡八幡宮

2019-08-04 16:27:42 | 遺跡・寺社
JR市ヶ谷駅の近くに、市谷亀岡八幡宮(いちがや かめがおか はちまんぐう)があります。
靖国通りから少し引っ込んだところにあるのであまり目立ちませんが、入ってみるとそこそこの規模のある神社です。
都会の中にもかかわらず、木々に囲まれしっとりとした霊気を感じさせる雰囲気を残しています。
代わる代わるひっきりなしに、参拝者がやってきていました。地元では愛されているのだと思います。

ここには亀岡八幡宮をはじめ、4つの神社が集合しています。


亀岡八幡宮入口。右には駿河台予備校市ヶ谷校舎があります。


社に上がる階段はけっこう急です。沖積層から洪積層に上がっていったところにあるような、防衛省のビル群の立つ台地と地続きの高台にあります。


階段の途中の左に、一つ目の茶ノ木稲荷神社があります。
1000年以上前に、弘法大師の建立と伝えられています。




階段を登りきると、鳥居があります。


そして、左には二つ目の社、金刀比羅宮があります。


右にあるのは三つ目の、出世稲荷神社。


そして一番奥にある四つ目が、市谷亀岡八幡宮。
太田道灌が1479年、江戸城築城の際に西方の守護神として鎌倉の鶴岡八幡宮の分霊を祀ったのが始まりと言われています。


西には防衛省が見えます。


亀岡八幡宮の社から鳥居の方向を望む。
江戸時代には、茶屋や見世物小屋も立ち並び、にぎわっていたそうです。


歌川広重・名所江戸百景の『市ヶ谷八幡』。