wakabyの物見遊山

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僕の読書ノート「種の起源(上)(チャールズ・ダーウィン)」

2020-04-25 07:50:58 | 書評(進化学とその展開)

本書を読むことにした理由は、この原点ともいうべき本を通過せずに進化のことを云々できないだろうという義務感だけではない。ダーウィンは自然淘汰説によって進化学を打ち立てただけでなく、人間を含めた動物の利他性にも注目していたといわれている。また、ダーウィン本人は自閉症スペクトラム(ASD)だった可能性も指摘されていて人間としての興味もある。そうした、いくつかの理由があった。そして、八杉龍一訳ではなく、こちらの渡辺政隆訳を選んだのは、読みやすいだろうということと、現代生物学から見た解説が付いていたからである。

こういう古くて難しい本は解説から先に読んだほうがいい、と考えて読んだ解説には次のようなことが書かれていた。

ダーウィンが資産家の家の生まれであったことは、これまでの世界観を変えるほどの大きな思想・理論を生みだすのに大いに役立ったと考えられる。たとえば、ビーグル号に乗船するときは、今の日本円に換算して500万円ほどに相当する支度金を父親に融通してもらっている。また、資産に恵まれていたため、終生、職業に就くことはなかった。彼は資産家の自然史学者として、世界中の自然史学者や市井のナチュラリストを相手に膨大な量の書簡を交わすことで情報交換を行った。そして、さまざまな材料を取り寄せて自ら実験観察も行っていた。人間的には、誰に対しても寛容で親切で、繊細であった。ビーグル号の航海から帰還後は、たびたび自律神経失調症的な症状に見舞われていた(岩波明氏によればASDだったとのことである)。1839年に「ビーグル号航海記」を出版したものの、生物進化についての考察は長年月かけてじっくり温めていて、論文や著作として発表することもなかった。ところが、1858年に突然、一通の手紙を受けたことで慌てふためく。若きナチュラリスト、アルフレッド・ラッセル・ウォレスが、ダーウィンが密かに育んでいた自然淘汰説とうり二つの内容を発表したいと打診してきたのだ。出し抜かれると慌てたダーウィンは、地質学者のチャールズ・ライエル、植物学者のジョゼフ・フッカーと相談した結果、リンネ学会の集会で、ウォレスの論文とダーウィンの関連文献が同時に発表されることで自然淘汰説に対する両人の優先権が同時に認められる形になったのであった。また、ダーウィンは大著「自然淘汰説」を数百ページほど書き進めていたが、その要約をまとめて1859年に出版したのが「種の起源」だった。個々の生物進化を実験で再現することはできない。つまり通常の科学の方法では扱えない事象である。ダーウィンは、仮説を構築し、傍証を積み上げるという歴史科学の方法を確立することで進化学を科学にした。そのことも、自然淘汰説を打ち出したことと並ぶ、本書の功績だろう。

さて、本書の正式なタイトルは「On the origin of species by means of natural selection(自然淘汰による種の起源)」である。上巻の章立ては次のようになっている。

はじめに

第1章 飼育栽培化における変異

第2章 自然条件下での変異

第3章 生存闘争

第4章 自然淘汰

第5章 変異の法則

第6章 学説の難題

第7章 本能

飼育されている家畜や栽培されている植物の話から始まる。これらは、原種から変異によって性質が変わったものを人が選抜することで新たな品種となったものだ。そして様々な変種に広がっている。自ら飼育したというハトの話がよく出てくる。同じようなことが自然界で起きていても、おかしなことではないという主張である。遺伝の仕組がまだわかっていなかった時代だから、変異がどうして起こるのかについては、まだあいまいなところもある。「変異しやすさには、...用不用もいくらかは関係しているはずである。(p.85)」と、獲得形質の可能性をほのめかすような記述も少しある。

個体差はだれとだれの間にもあるものだが、それを重視している。「個体差は、われわれにとってとても重要な意味をもっている。なぜならちょうど人間が飼育栽培種の個体差をどんな方向にでも蓄積できるのと同じように、自然淘汰が蓄積するための素材を提供するのが個体差だからである。(p.91)」また同様に、「どれかの種の子孫が変化していくあいだや、すべての種が個体数を増やそうとして常に闘争を演じる中で、多様化した子孫ほど、生きるための闘いで勝利する可能性が高くなることだろう。(p.225)」と述べ、種内の多様性も重要だとしている。むしろ、均一化した種は生き残りづらいことを示唆している。こうしたダーウィンの理論の側面は、取り上げられることが少ないかもしれない。

新種の形成において、隔離の一定の役割も認めている。「隔離には、他の地域からの移住とそれが引き起こす競争を防ぐことで、新たに生じる変種がゆっくり改良される時間を提供するという効果がある。(p.190)」これは、日本ローカルの進化学説「すみわけ理論」に似てないだろうか。一方、ダーウィンは結論としてはこう述べている。「しかし、生物が変わる速度は広い地域のほうが一般に早いはずである。さらに重要なのは、広い地域で形成された新しい種や変種は、その時点ですでに多くの競争相手に打ち勝っており、きわめて広い範囲まで分布を広げ、とても多くの新しい変種や種を生じさせることで、生物界の歴史を変える上で重要な役割を果たすだろうと結論できる。(p.192-193)」

自らの学説の正当性については非常に慎重なところがあって、難題や反論を予想して、じっくりと説明していく。そうした難題、反論として次の4つの項目をあげている。①種が移行するとして、その以降途中の中間段階にあたる種類がいたるところで見つからないのはなぜか。②比類なき完璧さをもつ眼のような構造を、自然淘汰が生み出せるのか。③幾何学的にみてすばらしいミツバチの巣房を作るような本能は、自然淘汰の作用で獲得できるのか。④種間の交雑では不稔だったり不稔の子が生まれるのに、変種間の交雑では稔性が損なわれないのはどうしてか。

カッコウが他の鳥の巣に托卵する本能、ある種のアリが奴隷狩りをする本能、ミツバチが巣房を作る本能といった、複雑な本能が自然淘汰でどのように選ばれてきたのかに強い興味を持って説明を試みている。こうしたカッコウやアリが示すような利己的な行動や本能は、「種の起源」出版から100年以上後に、リチャード・ドーキンスが「利己的な遺伝子」において改めて解釈し直したところである。そして、働きアリは完全に不妊であるため、その形態や本能で獲得した変更を次代の子孫へと伝えていくことができないような例について、ダーウィンは「この困難は克服しがたいようにも思える。しかし、自然淘汰は個体だけでなく家族にも適用可能だし、そうだとすれば望みの目的が達せられることを考えればこの困難は縮小するし、私としては消滅すると信じている。(p.395)」と述べている。これはもう、自然淘汰を受ける主体は個体ではなく遺伝子であるという「利己的な遺伝子説」にかなり近いところまで来ているように思えるのである。


横浜散歩 その2-大倉山集合住宅

2020-04-19 20:50:13 | 横浜

東横線大倉山駅近くに大倉山集合住宅というアパートがあります。設計者は、金沢21世紀美術館などの設計で知られるSANAAという世界的な建築家ユニットの一人、妹島和世氏です。なんでそんな高名な建築家が一般向けのアパートを設計したのかはわかりません。少し前に見に行ったので、ご紹介します。

 

道路沿いから見るとこのような3階建てコンクリート打ちっぱなしの建築です。

 

道路に面した正面から各棟1Fの玄関に入っていける通路があって、部外者を遮る柵もなく開放的な造りになっています。住居も兼ねているかもしれませんが、エステティック・サロンやデザイン・オフィスのような仕事に使っている棟が多いようです。

 

通路兼中庭のデザインもスタイリッシュで、ちょっと禅的な雰囲気もあります。

 

多くの壁が曲面で構成されています。住みやすいのかどうかは分かりませんが、見て楽しいことは間違いありません。


4月の入江川せせらぎ緑道

2020-04-12 21:37:01 | バイオフィリア(身近な生き物たち)

新型コロナ対策でテレワークが続き、家にこもって身体を動かすことがあまりありません。これではよくないと思って、休日にウォーキングと買物がてら入江川せせらぎ緑道に行ってきました(2020年4月11日)。

 

京都の東山あたりの裏道に入ったような雰囲気もあって好きなんですよ。今は桜がほぼ散り終わったくらいの季節です。入江川せせらぎ緑道の桜の季節はこちら、5月の様子はこちらで見れます。

 

出会った動物たちを撮りました。

上流近くの噴出口。


東京散歩 その11-千鳥ヶ淵の桜

2020-04-04 18:25:11 | 東京・川崎

仕事帰りに、皇居の内堀にある千鳥ヶ淵の桜を見てきました。新型コロナで外出自粛の時ですが、帰宅ついでに桜を見ながら歩いている人たちをちらほらと見かけました(2020年3月30日)。

 

千鳥ヶ淵緑道は、桜並木が続きます。

 

これだけ桜が満開でも、世間はシンとしていて、とても違和感を感じます。

 

半蔵門の近くまでくると、イギリス大使館があります。正門は皇居を向いていて、皇室への敬意が感じられます。

 

David Sylvian - Brillant Trees (1984)