wakabyの物見遊山

身近な観光、読書、進化学と硬軟とりまぜたブログ

2024お盆の帰省③ーつくばで友人に会う

2024-08-31 07:38:03 | 茨城・栃木・埼玉

この夏の茨城へのお盆帰省(2024年8月11日~8月13日)の3日目に帰る道中で、筑波大学で仕事をしている友人に会うことにしました。

つくばエクスプレスの終点「つくば駅」が待ち合わせ場所です。実家のある筑西市からは直線距離では約30kmくらいで、車なら30分ほどで行ける場所です。ところが、鉄道ではほぼ行くことができません。だいぶ昔に筑波鉄道という路線も廃線になってしまいました。今、鉄道で行こうとすると、速度のゆっくりな関東鉄道常総線で下館駅から守谷駅まで行き、つくばエクスプレスに乗り換えて行くことになり、そうとう遠回りになってしまいます。それで、バス路線を探したところ、1回の乗り継ぎで行けることがわかり、バスで行くことにしました。

 

下館駅北口で筑西市広域連携バスに乗り、筑波山口まで行きます。所要時間は50分。車内はすいていて、最後のほうは乗客が私1人でした。

 

筑波山口停留所に着きました。もとは筑波鉄道の駅があったところです。筑西市広域連携バスは関東鉄道が運営しているようです。

 

筑波山登山の拠点みたいな場所です。ここからは徒歩で登ったり、途中までバス、タクシーを使ったり、中腹からはケーブルカー、ロープウェーを使ったり、様々なルートが組めます。実は私、自分の足で筑波山にまだ登っていないんですよ。いつかそのうちと思っていたら、あっという間に年を取ってしまいました。

 

次に乗るのは、この「つくバス北部シャトル」です。これも関東鉄道が運営しています。だったら、下館からつくばまで直通便も運行すればいいのにと思いますが、そうしない理由が何かあるのでしょうか。

 

つくバスに乗りました。さっき乗ったバスと同じポジションですね。最初はすいていましたが、つくばに近づくとけっこう混んできました。さすがは、研究学園都市です。所要時間は55分です。

 

つくばに着いて、約10年ぶりで、友人と会いました。友人のM君は大学の同級生で、あちこち渡り歩いて生きている人間です。20年くらい前に彼がカリフォルニアにいた時にも、会っています。5年くらい前からは筑波大学で仕事をしています。写真に写っているところとは別の商業施設で焼肉を食べながら、近況を話し合いました。

 

食事のあと、車で筑波大学を案内してもらいました。

森に囲まれたキャンパスは広くて、ヨーロッパの大学のようです(たんなるイメージですが)。近年、筑波大学は人気が高いのですが、環境の良さもその理由の一つかもしれません。私が学生だったころは、学生の自殺が多いなんてうわさがあって、あまりいいイメージがなかったのですが、40年も経つと変わるもんですね。ノーベル賞受賞者が3名出たり、つくばエクスプレスが作られて東京と直結したりっていうのもありますし。

 

お盆休みでだれもいないということで、研究室の中も見せてもらいました。

 

キャンパス中央の噴水公園もいいですね。1970年代に新設されたキャンパスですが、それなりの風格も出てきています。

 

これが大学の正門。夏休みでほとんど人がいません。

 

つくば駅まで送ってもらい、お互いの健康をねぎらって別れたのでした。


2024お盆の帰省②ーつくし湖に行く

2024-08-24 07:53:33 | 茨城・栃木・埼玉

この夏の茨城へのお盆帰省(2024年8月11日~8月13日)の2日目に、「つくし湖」に父の車で連れて行ってもらいました。

前日は横浜が36℃、茨城が38℃でした。夏暑く、冬寒い、雷と地震が多い過酷な土地です。父がどこか行く?というので、暑いので水があるところがいいと言ったところ、「つくし湖」に行こうと言います。私はまだ行ったことのないところです。湖とはいっても、この近くに大きな湖はないはずですが、どんなもんかまずは行ってみることにしました。

 

筑波山のふもとに来ました。

 

これがつくし湖。けっこう透明度が高く、水質はよさそうに見えました。

高原の山中にある湖みたいな趣きもあります。近くに温泉があってもいいような雰囲気。ただし、標高は平野部とほとんどいっしょなので、気温も変わらず暑い。

そこそこ面積はあります。向う側の土手はダムのようになっていて、水をせき止めているのです。

 

水門か浄水場のような設備があり、

 

古い説明板がありました。以前、実家のある筑西市の田んぼの一部は、霞ケ浦の水を引いて使っていると書きました。霞ケ浦の水は、筑波山の下をトンネルで運ばれて、いったんこの人造湖に貯蔵されて、農業・工業・水道用水として私たちの町々に送水されているようです。そういう目的の湖なので、水がきれいに保たれているわけです。

 

田んぼのイネは黄色く熟しているところも多く、収穫も近いのでしょう。筑波山に寄って帰りました。


2024お盆の帰省①ー実家のネコ問題その後

2024-08-17 08:16:14 | 猫・犬

この夏もお盆に茨城の実家に帰省しました(2024年8月11日~8月13日)。その時のことを振り返ります。まずは懸案のネコ問題ですね、ネコ屋敷化問題はその後どうなっているか、についてです。

前回、2024年GWに帰省した時は、家に住みついているネコが3匹(もう1匹は失踪)、外に住んでいるけれどエサだけ食べに家に入ってくるネコが1匹という状況でした。

 

それぞれの個体に番号を付けて、今回撮った写真と現在の状況を整理してみます。

No.1(シロ、凶暴ネコ)⇒現状維持。危険なので、私が来たときはケージに入れてもらっている。

 

No.2(クロ(黒くないけれど)、写真なし)⇒5月に失踪後、3週間後に一時的に戻ったのだが、その後2ヵ月にわたって行方不明の状態。

 

No.3(アビシニアン似、茶トラネコ、写真なし)⇒現状維持だが、私に対する警戒心は極めて高く、すぐ隠れてしまう(5月に爪を切ろうとしたのがトラウマになっているかもしれない)。

 

No.4(シャム似ネコ)⇒人懐っこさは変わらず。よくしゃべり、しつこいぐらいで、私に乗っかってきて顎を嚙もうとするので、時々うっとうしくなる。瞳が水色できれいで、とても好奇心の強い子。

 

No.5(白黒ネコ、No.4の母ネコ、5月には子育て中でエサをもらいに家に入ってきていた)⇒今でも家に出入りしてエサをもらっているが、私を見ると怖がってすぐ出ていく。

 

No.6(茶トラネコ、No.3の母ネコ)⇒今回、初めて見たネコ。以前から家に出入りするようになり、8/9に家で出産、2匹ほど新生仔が死んだらしいが、生き残った5匹の子育て中

新生仔たち。写真では3匹が見えるが、実際は5匹いる。父によれば、子どもが乳離れしたら、外に出すと言うので(人にあげたりはしないらしい)、とりあえずナンバリングはしていない。No.4が近づいてきて、子ネコを嚙もうとするので即座に引き離した。オスが自分の子でない子どもを子殺しする性質(「ダーウィンが来た」などで放映されたりするライオンなどネコ科動物の習性。進化していないヒトでも見られ事件となる)がここでも観察された可能性がある。

ということで、家に居るネコは大人が4~5匹、赤ちゃんが5匹となっています。

 

さらに、家の庭には、No.5が以前産んだ子達4匹ほど(みな白黒ネコ)や、

No.6が以前に産んだ子達2匹ほど(No.3の兄弟?、みな茶トラネコ)が、エサをもらうために待機している、というかなかば家の庭を住みかにしています。(ネコのサファリパーク状態)

この先実家がどうなるか心配は無くなりませんが、動物行動学者の故日高敏隆先生のネコ屋敷生活を引用して、少し気休めにしたいと思います。

「主人は猫でも、「気だてのよい猫」「美猫」が好きで・・・・猫は多い時で20匹以上いた時もあって、主人になついた猫は主人のふとんの上で4匹も5匹も子供を産んだりしていましたが、おいやらず、そのまま親子ともそっとしてやってました。自分はその横で細くなって寝てました」(日高喜久子(奥様)、「作家の猫2」より)


あつい夏におすすめしたい音楽・第3弾

2024-08-10 07:36:59 | 音楽

あつい夏におすすめしたい音楽として、第1弾(2018年)第2弾(2022年)を紹介しましてきました。今年もとても暑いので第3弾を考えてみました。

 

1つ目は、ホルガー・チューカイのミニ・アルバム「ムーヴィーズ」の中の「クール・イン・ザ・プール」という曲。

ホルガー・チューカイは、ドイツのプログレバンド「カン(CAN)」のメンバーだった人で、「ムーヴィーズ」は、1979年にリリースされた彼のソロアルバムです。本作は、テヘランの短波ラジオから録音した音声や、テープスピードを1/2に下げて録音したギター等、様々な音を録音したテープをコラージュのようにつなぎ合わせて一つの曲にするというち密な作業によって作られています。ポップスでありながら芸術的ともいえる音楽で、評論家や音楽好きの間で非常に評価の高い作品です。とくにアルバムの中の「ペルシアン・ラヴ」という曲では、桃源郷のような世界を作り出しています。今回紹介する曲「クール・イン・ザ・プール」は、プールに入って冷たくなろうよと歌う(たぶん)曲で、暑い夏に向いているのではと思いました。

YouTubeを探したら、ホルガー・チューカイ本人が出演しているMVがありました(↓)。髭のおっさんの顔がずっと大写しになっていてかえって暑苦しいので、映像は見ないで音楽だけ聴いてもいいかもしれません。

Holger Czukay - Cool In The Pool

 

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2つ目は、ジス・モータル・コイルの「IT'LL END IN TEARS(邦題:涙の終結)」の中の「ソング・トゥ・サイレン」という曲

ジス・モータル・コイルは、4ADというレーベルの社長だったアイヴォ・ワッツ=ラッセルが、曲やミュージシャンを選んで作ったプロジェクト・アルバムで、3作目まで出ています。今回紹介するアルバムは、1984年に出た1作目です。アレックス・チルトン(ビッグ・スター)のカバーが2曲入っていたり、マガジンのハワード・デヴォートが歌っていたり、なかなか興味深く好きなアルバムです。

「ソング・トゥ・サイレン」はティム・バックリーの曲で、本作においてコクトーツインズがカバーしています。このカバーに刺激を受けたのか、多くの主にイギリスのミュージシャン達が競うようにしてそれぞれ独自の解釈で本曲をカバーして発表しています。アングロサクソンのあるいは人類の心の描線に触れるようなメロディーであり、ストーリーなのかもしれません。船乗りの男を美声で魅了して海に引きずり込む女のお化け(サイレン(Siren))の歌で、狂おしく悲しくひんやりとした霊気を感じる曲です。アイヴォ・ワッツ=ラッセルは、コクトーツインズのエリザベス・フレイザーが本曲を歌っているのを聞いて涙を流したという、とてもエモーショナルなカバーです。

This Mortal Coil - Song To The Siren (Official Video)


僕の読書ノート「銃・病原菌・鉄 下巻(ジャレド・ダイアモンド)」

2024-08-03 07:35:05 | 書評(進化学とその展開)

 

世界には、裕福な先進国と貧困状態にある発展途上国がある。もともと同じホモ・サピエンスどうしなのに、地域によってそのような大きな経済的格差ができたのはどうしてなのか?本書は、その理由として、それぞれの地域に住む人たちの生物学的(遺伝的)な違いによるものではなく、地理的、環境的な影響でそうなったのだという説を、多くの証拠を元に検証していく。上巻では、農耕牧畜、つまり食料生産の開始が地域で大きく違っていたことを論じてきた。下巻では、その先の文字、技術、社会制度の起源、そして、オーストラリアとニューギニア、中国、太平洋の島々、アメリカ、アフリカといった各地域の特性について述べている。

章ごとに、気になったポイントを下記にメモしておきたい。

【第12章】文字をつくった人と借りた人

・食料生産をおこなわない狩猟採集民たちは、農耕民たちのように余剰食料というものを持たず、文字の読み書きを専門とする書記を養うゆとりが社会的になかった。文字が誕生するには、数千年にわたる食料生産の歴史が必要だった。ちょうど、集団感染症の病原菌が登場するのに食料を生産する社会が必要であったように、最初の文字が、肥沃三日月地帯、メキシコ、中国で登場したのは、それらの地域が食料生産の起源とされる地域だったからである。文字は、いったん発明されると、交易を通じて急速に広がっていった。勢力の拡大や宗教の流布活動を通じて、経済的および社会的に似た社会へと浸透していった。

【第13章】発明は必要の母である

・技術は、非凡な天才がいたおかげで突如出現するものではなく、累積的に進歩し完成するものである。また、技術は、必要に応じて発明されるのではなく、発明されたあとに用途が見いだされることが多い。この二つの結論が、記録が残っていない古代の技術に、もっとよく当てはまることはたしかである。

・土器の考案は、自然界に広く存在する粘土の、乾燥したり熱を加えたりすると固くなるという性質に注目した結果と思われる。そのため、土器は、日本では約1万4000年前に、肥沃三日月地帯と中国では約1万年前に登場している。さらに、これらの地域につづいて、アマゾン川流域、アフリカ大陸のサヘル地域(サハラ砂漠の南縁)、アメリカ合衆国東部、そしてメキシコでそれぞれ登場している。ーーこの記述によれば、土器は世界で最も早く日本で生み出されたことになる。

【第14章】平等な社会から集権的な社会へ

・社会は、小規模血縁集団(食料生産なし)、部族社会(食料生産なし→あり)、首長社会(食料生産あり→集約的)、国家(食料生産集約的)の順に、発展していった。

・小規模血縁集団や部族社会を長期にわたって、詳しく観察した調査では、殺人が主な死因の一つであることが明らかになっている。女を取る取られた、のような個人的な恨みで男たちの殺人が起きていた可能性がある。争いの解決は、小規模血縁集団や部族社会では非公式だった一方で、首長社会では首長が、国家では法律・裁判が行っていた。ーーということは、小規模血縁集団や部族社会では、戦争はなかったとはいえ、殺人が野放しで放置されていた怖い社会だったのかもしれない。

・集団が大きくなるにつれ、他人同士の紛争が天文学的に増大することになる。1対1の人間関係は、人口20人の集団では、20×19÷2で190通りしかない。しかし人口2000人の集団では、199万9000通りある。こうした1対1の人間関係は、諍いがときには殺人にまで発展しうる関係である。そして小規模血縁集団や部族社会では、1つの殺人が、それに対する復讐を呼び、その復讐に対する復讐がさらなる復讐を呼ぶというように、人びとを社会不安に陥れるような復讐殺人がつぎつぎに起こることがよくある。

【第15章】オーストラリアとニューギニアのミステリー

【第16章】中国はいかにして中国になったのか

・食料生産の副産物である感染症については、旧世界の主な病気の誕生血を旧世界のどこと特定することはできない。しかし、ローマ時代と中世以降に書かれたヨーロッパの記録には、腺ペストが東方からやってきたとはっきり書かれているし、天然痘も東方からやってきたらしいと書かれているので、中国または東アジアがそれらの病原菌の発祥地であったとも考えられる。インフルエンザは、豚の持つ病原菌が人間に感染した病気であることから、豚が非常に早い時期に家畜化され、重要な動物として飼育されるようになった中国が発祥地である可能性がかなり高い。ーー近年では、SARSや新型コロナウイルスが中国から発生し世界を混乱に巻き込んだ。本書では、他の地域にない感染症とそれに対する免疫を持っていることが、他の地域を侵略するに当たって強い影響力を持つということが主張されている。恐るべき中国である。

【第17章】太平洋に広がっていった人びと

・オーストロネシア人(オーストロネシア語族の人びと)の拡散は、過去5000年間に起こった、人類史上最大の人口移動の1つである。オーストロネシア人で、太平洋を東進し、もっとも孤絶した島々に住みついてポリネシア人となった人びとは、新石器時代のもっとも卓越した船乗りであった。今日においてオーストロネシア語を母国語とする範囲は、マダガスカル島からイースター島までの、地表の半分以上をカバーする地域に広がっている。オーストロネシア人は、もともと中国本土から移動しはじめ、ジャワをはじめとするインドネシア島嶼部に入植している。

【第18章】旧世界と新世界の遭遇

・人が密集して暮らす社会ではやる感染症の大半は、人びとが食料生産を開始し、家畜と日常的に接するようになった約1万年前頃に、もともと家畜がかかる病気から変化するかたちで現れた。したがって、多くの種類の家畜が飼われていたユーラシア大陸において、これらの感染症が多く見られたのである。それに反して、南北アメリカ大陸では、わずかな種類の家畜しか飼われていなかったので、動物の病原菌から変化して人間い感染するようになった病原菌は少なかった。

【第19章】アフリカはいかにして黒人の世界になったか

【エピローグ】科学としての人類史

・世界の食料生産の発祥地の一つである肥沃三日月地帯と中国は、現代においても世界を支配している。この二つの地域は、そこにいまでも存在する(現代中国のような)国々を通じて、それらの周辺に位置していて古くから影響を受けていた(日本、朝鮮半島、マレーシア、ヨーロッパのような)地域を通じて、あるいは、それらの地域から移住していった人びとが作った(アメリカ合衆国、オーストラリア、ブラジルのような)国々を通じて、世界を傘下に収めている。この先、サヘル地域(サハラ砂漠南端)の人びと、オーストラリアのアボリジニたち、そしてアメリカ先住民たちが世界を支配することは望み薄である。紀元前8000年前の歴史の御手は、いまもなおわれわれの頭上に大きくかざされている。