wakabyの物見遊山

身近な観光、読書、進化学と硬軟とりまぜたブログ

菊名川(暗渠)を上流から下流までたどる・前半

2024-06-29 07:17:08 | 横浜

わが町の菊名池を源流とする菊名川(ほぼ暗渠)について、2週にわたって上流から下流までたどってみました(2024年6月9・16日)。

かつて広大だった菊名池(菊名池の南半分は現在、菊名プールとなっている)を源流として南方向に流れている川、足洗川について先日レポートしました。今回は、菊名池から北方向に流れている川・菊名川を、上流から下流までたどってみましたのでレポートします。菊名池には流れ込む川はなく、池に水が湧いていると言われています。菊名池のどこにその湧いている場所があるのかはわかりませんが、おそらく人が入れないようになっている西側斜面のあたりに湧水ポイントがあるのではと想像します。今回も、書籍「横浜・川崎・鎌倉凸凹地図」という強力な資料を頼りに、菊名川の川跡を追跡しました。長いので、前半と後半に分けて、前半を今回紹介します。

 

この日(6月9日)の菊名池には、カルガモが2羽だけいます。うまくいっていれば、今が抱卵の時期で、7月前半にヒナが見れるでしょう。ときどき誤解がありますが、菊名池は町としては菊名ではなく妙蓮寺にあります。

 

菊名池の北側の片隅に柵で囲われた場所があり、おそらくそこに出水口があるものと思われます。

 

菊名池から道を隔てたところに階段があって、5mほど下ったところから菊名川の暗渠が始まります。こんな高低差があるということは、昔は滝になってたんでしょうか。

 

菊名駅のある北に向かって歩いていきます。

 

暗渠を少し歩くと、もう一度階段を上ります。階段はこれが最後で、あとはずっと平坦です。

 

暗渠脇によくある花壇と自動車進入禁止のポールがあります。

 

東横線のそばに来ました。

菊名駅方向に向かって、東横線わきを暗渠が流れます。

 

ここで、線路下を越えます。

 

菊名駅方向に向かって続きます。

二股になっていて、横浜線の架線下をくぐるか、左に行くかですが、地図上では暗渠は二股に分かれるようです。とりあえず左に行きます。

 

暗渠近くで見ることの多い、戦後建てられたような古い建物がありました。アパートには、今も住まわれているかもしれません。

 

ここで横浜線下をくぐります。

 

菊名駅東口前の旧綱島街道。

このあたりで暗渠は東口から西口へと東横線を横切りますが、正確な場所は判然としません。ここに歩行者用横断橋があるのですが、工事中のため、

菊名駅の東西通路を経由します。こういうアングルで写真を撮っていると捕まるんじゃないかと、ちょっとビクビクでした。

 

工事中の歩行者用横断橋の反対側。

 

方角は北西に向かいます。この二股は左に行きます。

 

次の二股も左に行きます。

 

すると、暗渠でよく見る石(レンガ)造りの花壇が始まりました。

 

で、ここに橋があるわけです。八杉神社の神橋で、菊名川の上に架けられていたのですが、菊名川が暗渠化して歩道となったので、じゃまにならないように横に移動させたそうです。写真左のほうには八杉神社のほか、本乗寺、小田原北条氏の家臣が居城とした小豆戸城跡がある丘になっています。このあたりはいずれ散策してみようと思います。

 

八杉神社の由緒書きを撮影しましたが、スマホのカメラがバグって、写真が縦横4分割されて位置が入れ替わっています。じつはこういうことが、神社や寺を撮影するとときどき起こります。原因はわかりません。今回、そういう写真を初めて公開しました。

 

菊名川暗渠は続きます。

セブンイレブン十字路の前で、90度右に折れ曲がります。

 

そして、東海道新幹線の架線下をくぐって鶴見川方向に進みます。新幹線の手前では、別の川である烏山川の傍流とおぼしき川と合流します。それも含めて、続きは後半でご紹介します。


僕の読書ノート「心の病気はどう治す?(佐藤光展)」

2024-06-22 07:42:53 | 書評(脳科学・心理学)

 

精神疾患の6分野の最新の治療法について、それぞれの専門家が分担執筆した本だと思っていたが、読んだら違っていた。読売新聞などで記事を書いていた医療ジャーナリストである佐藤光展氏が、これらの専門家に取材しつつ持論を展開する内容であった。期待の持てる最新の治療法を取り入れようとしてきた専門家たちの努力が紹介されているのだが、そうした治療法についての医学的な解説というよりは、それらの日本への導入が遅れていることや、日本の精神医療全体の問題について、日本の制度に原因があることを明らかにしている。社会問題を追及するジャーナリスト的な著作である。

それぞれの精神疾患などが、7章に分けて取り上げられている。各章のあとには、コラムも付いている。備忘録として、下記にポイントを引用しておきたい。

第1章 依存症「ヒトは生きるために依存する」(松本俊彦)

・薬物依存症の人たちが、刑罰によってますます追い込まれていく負の連鎖が日本にはあるが、松本医師は、海外で成果を上げるハームリダクション(薬物を止めさせることよりも、使用による悪影響の緩和を優先する支援)と似た取り組みとして、薬物を再使用しても、打ち明けられるような関係づくりを行うことで回復していくSMARPPというプログラムを実施している。

・日本では薬物療法偏重の精神医療が行われてきた。その理由は、国が精神科に薄利多売を押しつけてきたため、クリニックが外来患者の面接に長い時間をかけると経営が厳しくなる。それで、診療報酬上もっとも効率が良い5分で診察を回して、面接よりも薬一辺倒の診療になっているからである。

第2章 発達障害「精神疾患の見方が根底から変わる」(原田剛志)

・発達障害は統合失調症と誤診されることが多かった。統合失調症と診断されて薬物治療を受け続ける人の中には、子どもの頃に継続的ないじめを受けたり、親からの虐待を受け続けたりした経験のある人が多い。彼らに生じた「幻聴」や「妄想」の多くは、聴覚性フラッシュバックや被害関係念慮であり、誤診だった可能性がある。しかし、抗精神病薬を長く飲み続けると、脳機能の一部が変化して「ドパミン過感受性精神病」という医原病が生じることがある。薬を減らすと統合失調症のような症状が表れるので誤診が覆い隠されてしまう。

・自閉スペクトラム症や「薄い自閉」がある人は、傍目から見るとそこまで重くないように思えるストレス体験の積み重ねでも、複雑性PTSDのような状態になりやすいと考える専門家は多くいる。聴覚性フラッシュバックはその症状のひとつとみることもできる。

・自閉スペクトラム症の人に多い過敏症に対しては、特定の薬の少量使用が有効だという。原田医師は、「過敏症は脳の神経の問題なので、適切に使えば薬は有効です。・・・カウンセリングや認知行動療法をいくら受けても知性では処理できません。薬を使わなければ過敏さは取れないのです。この場合、抗精神病薬エピリファイが効きます。ほぼ一択で、量は3ミリまでしか使いません。・・・ところが、使い方を間違っている医者が多くて、12ミリとか24ミリとか入れていることもあります。副作用が出るからダメです。4ミリや5ミリになると、じっとしていられずに動き回るアカンジア(静座不能症)が出ます」と言う。

・子どもへエピリファイの処方をすることで、子どもが失敗を経て学び、成長する機会を摘み取ることにはならないのか?「自閉スペクトラム症が濃い目の子どもは、なぜ自分が怒られているのか理解できないので失敗から学べません。例えば、癇癪を起こした子どもがAちゃんを叩き、叩き返されると、こういう子どもはAちゃんが叩いたと騒ぎます。自分が最初に叩いたからAちゃんが怒って叩き返したという流れを理解できないのです。・・・トラブルを減らすには薬が有効です。子どもの場合は特に量を少なくして、止めることも視野に入れた使い方をしていきます」

第3章 統合失調症「開かれた対話の劇的効果」(斉藤環)

・精神科専門医たちが「一生治らない」「生涯服薬」と決めつけたがる統合失調症(苦しい幻聴や妄想などが続いて生活に支障が出る精神障害)が、丁寧な対話の繰り返しで治るケースが次々と報告されている。統合失調症などの精神症状を、対話の力で消失(寛解)させたり、治癒させたりするこの手法は、フィンランドで生まれた「オープンダイアローグ」(開かれた対話)と呼ばれている。

・オープンダイアローグは例えば次のように進められる。急激に悪化した幻聴や妄想に苦しみ、混乱の只中にある急性期の患者の家に、オープンダイアローグの治療チーム(心理士、看護師、ソーシャルワーカー、精神科医の2人か3人で構成)は24時間以内に駆けつける。そして、家族、友人、会社の同僚らを交えたオープンな対話を、ほぼ毎日60分から90分程度、最大2週間を目途に繰りかえしていく。この対話の最中に治療チームのメンバー同士が、患者の話を聞いてこころを動かされたことや、浮かんできたイメージ、アイデアなどを話し合い、それを患者が間近で聞く機会(リフレクティング)も設ける。こうした「開かれた対話」から生まれる相互作用によって、患者の症状は短期間で劇的に改善していく。

第4章 うつ病・不安症「砂粒を真珠に変える力」(大野裕)

・「アントニオ猪木さんがよく、『元気があれば何でもできる』と言っていました。でも、認知行動療法では逆の見方をします。『元気があるからやれる』のではなく、『やるから元気が出る』のだと。元気が出るまで待っていては、いつまでも元気が出ないかもしれません。興味を持ったことは、考え過ぎずにやってみる。すると、やっているうちにどんどん面白くなって、元気が湧いてきます」

・「考え方を整理する、現実をみる、行動を変える、気分転換をする、日記をつける、などの認知行動療法で使うスキルは、私たちの日常の知恵とあまり変わりません。・・・10年以上前に私費で立ち上げたのが、幅広い層を対象にしたWebサイト『認知行動療法活用サイト~こころのスキルアップトレーニング』です。」このサイトは年会費1500円(税別)で、認知行動療法の考え方や基礎を実践的に学べる。

・大野医師はさらに、進化するAI技術を活用したチャットボット開発にも取り組んでいる。筆者は無料公開版(2023年夏時点)を試した。チャット画面に進むと、「今回はどんなことをしてみたいか、教えてもらえますか?」の質問と共に、解答につき3つの選択肢が示され、一つを選んで進んでいく。こうした対話を進めていくと、5秒間の深呼吸の提案などの”気遣い”もあり、視野を広げるコツなどをリラックスした状態で学べる。ーーーウェブ検索したら「こころコンディショナー」というサイトが見つかった。

第5章 ひきこもり「病的から新たなライフスタイルへ」(加藤隆弘)

・加藤医師が始めた家族向け支援プログラムが成果をあげている。「ひきこもり研究ラボ@九州大学」のWebサイトで学ぶことができる。肝になるのが「声かけ」の方法を身につけることである。「親御さんはどうしても、『みんなはもう働いている』『先のことを考えなさい』などと否定的なことを言ってしまいがちです。そこで私たちの家族教室では、肯定的なコミュニケーションを学びます。『私を主語にして話す』『具体的に話す』『自分の感情に名前をつける』などの練習をおこないます。『みんな』ではなく、『私』を主語にすると、言葉が柔らかくなります。・・・『(私が)心配だ』という気持ちを伝えるようにします。こうした言葉かけのちょっとした変化で、ひきこもりの人の様子は柔らかくなります」

・「ひきこもりは病的なものだけでなく、ライフスタイルのひとつでもあると私は考えています。小説家、研究者、ネットトレーダー、修行僧など、ひきこもらないとできない仕事はたくさんあります」「病的ひきこもりの支援でも、大事なのはポジティブな面にまず目を向けることです。物理的にひきこもらざるをえない心境に共感を示し、心の中に安心してひきこもれる場所を作ってあげることが治療の要です」

・(コラム・田邊友也)精神病院では、負の連鎖が頻繫に起こっている。田邊氏によると「精神疾患を発症する人の多くは、過去に深刻なトラウマ体験があります。その人たちを強制入院させて雑な扱いをすると、トラウマ体験の再演となるので情動がますます乱れていきます。大抵の医師や看護師は、これを病状の悪化だと単純に捉えるので、薬を更に増やしたり、隔離や身体拘束をしたりして、患者さんをますます追い込んでいきます」

第6章 自殺「なぜ自ら死を選ぶのか」(張賢徳)

・(コラム・樋口輝彦、野村総一郎)国立精神・神経医療研究センターの理事長・総長を長く務めた精神科医の樋口輝彦氏は、防衛医科大学校病院院長などを務めた精神科医の野村総一郎氏らと共に、東京・四谷に六番町メンタルクリニックを2015年に開設した。他にも経験豊富な精神科医が多数在籍し、外来を担当している。精神科は診療報酬が低く、精神科医が患者の話に15分、20分と耳を傾けても報酬は増えない。5分以上、30分未満の精神保健指定医診察は一律3300円と決められているからだ。このため、外来診療は5分程度の短時間面接が普通なのだが、六番町メンタルクリニックでは、必要に応じて医師に話をしっかり聞いてもらえる。野村氏は語る。「病院で時間に追われていた頃に比べると、薬を使う患者さんの割合がだいぶ減りました。精神疾患には生物学的な要素があるので、薬を否定しているわけではなく、むしろ私は薬を積極的に使う方です。それでも、面接時間が長くなると患者さんの回復度が上がり、薬が減っていくのです。今、私の外来で薬を使っている患者さんは3割くらいです」

・樋口氏によると、「日本の精神科医療は非常に低い医療費で行われており、それゆえの困難な現実に直面してきました。長らく精神科特例というものがあって、医師1人が入院患者さん48人を担当するという、現実にはありえない状況に置かれてきたのです。これに対して一般診療科では、例えば内科では16人に1人、というふうに精神科とは全然違います。それに伴って、診療報酬も精神科は一般診療科の半分以下や3分の1に抑えられています」

第7章 入院医療「新時代を切り拓く民間病院」(堀川公平、渡邉博幸)

・堀川医師は、久留米市内の精神科病院「野添病院」を買い取って、1994年に理事長に就任した。この病院も長期入院の患者が大半を占め、理事長就任時の平均在院日数は2156日、入院期間の平均は12年半にも及んでいた。患者を社会復帰に導く意欲に乏しいスタッフばかりだったが、妻で精神科医の百合子さんとの二人三脚で、すぐに改革に着手した。「日本の精神科病院は社会に認知されていません。こっそり隠れていることで、はじめて存在が許されている。だからスタッフの自己評価が低く、その結果、病院自体が病気になっていると感じたのです。病院から治さなければ、入院している患者さんを治せるはずがない」「まず、組織や体制、経営面などを抜本的に見直しました。その上でスタッフたちに、『社会で傷つき、こころを病んだ人たちは安心して過ごせる場所を求めている。快適な入院環境と良好な人間関係の提供が我々の役目』という意識を植え付けていきました」


僕の読書ノート「わたしが「わたし」を助けに行こう―自分を救う心理学―(橋本翔太)」

2024-06-15 08:07:09 | 書評(脳科学・心理学)

 

中学生の子どもに読んでもらうのによさそうと思って買ったのだが、まずは私が読んでみてチェックすることにした。本書を簡単にまとめてみる。私たちはいろいろな問題行動を起こしてしまうが、それは、私自身とは別の存在が、私が傷つくことから守ってくれているからである。その別の存在をナイトと呼ぶことにしよう。そのナイトの存在に気がついて対話をし、いたわってあげることで、問題行動は減っていくという趣旨である。大人に向けた内容になっているが、文章がとても平易なので、半分大人の中学生ならおおむね理解できるだろう。

フォーカシングという一種の心理療法をベースに著者のアレンジがされている。フォーカシングを考案したユージン・ジェンドリンは、調べてみると来談者中心療法を開発したカール・ロジャースの弟子である。来談者中心療法は、来談者(患者)の全体を受け入れる、受容する療法であり、フォーカシングを展開する本書も、私やナイトを優しく受容するトーンで貫かれている。現代の心理療法の主流である認知行動療法でも、自動思考、デフォルドモードネットワークや、マインドなどとよぶ、私の意志とは無関係に自動的に動いている心のはたらきが様々な問題を起こしていると考え、これらを矯正、俯瞰視、相対化していくことを行う。フォーカシングも認知行動療法も、心の中の私とは別の存在を相手にするところは似ているが、そのアプロ―チの仕方が違うところがおもしろい。本書が紹介している心理療法の有効性の科学的エビデンスのレベルは不明ではあるが、心がそうとう弱っている人、愛着障害の人、未成年者にとっては、とっつきやすいし取り組んでみてもいいのではないだろうか。

 

本書の具体的な内容から、ポイントをピックアップしてみよう。

【1章 その「困った問題」はあなたを守っていた】

・人間は常に自分のメリットのために行動を選びます...それはずるいことではありません。そうやって生き延びてきた祖先たちの生き残りが私たち。進化の過程でDNAに組み込まれたプログラムのひとつだと思ってください。ーーー「困った行動」は本来、生きていくのに役に立つ性質であり、遺伝的に残されてきたのだという進化学的な目配せもされているところは、信頼できる。

・ナイトの大きな特徴は、1・不器用である、2・極端である、3・心配性である。

・ナイトくんの働きの一部をシンプルに表現すると、「認知の歪み」のひとつと言い換えることもできます。ーーー過剰に心配して悪いほうへ悪いほうへと考えてしまう心のはたらき、まさに認知行動療法が対象としているところとの共通点にも言及している。

【2章 あなたを守るために生まれたもうひとりの「あなた」】

・ナイトくんは、毒親、ネグレクト、機能不全家族などから生まれることが多い。しかし、そのような極端な状況の家庭や両親の元で育った人だけではなく、家庭内のなんらかの問題や、学校でのいじめ、友人関係の悩み、自身の闘病の経験などからもナイトくんは誕生する。つらい状況に寄り添ってくれる大人、わかってくれる大人がいなかった場合に、あなたが傷つかないように、ナイトくんが誕生する。

・外界からの刺激をキャッチして、「あなたが傷つけられてしまう!」とナイトくんが判断した瞬間に、自動的にスイッチが起こって、ナイトくんが前面に出てきてくれる。

・ナイトくんに入れ替わって起こることは、例えば次のようなことがある。「カーッと怒りが湧いてきて怒鳴る」「予定をドタキャンしてしまう」「不安で何もできなくなってしまう」「お酒が止まらない」「過食してしまう」「部屋が片づけられなくなる」「何もかもイヤになってしまう」「やる気が出ない」「不安で仕方なくなる」「SNSなどのインターネットをついダラダラと見てしまう」

【3章 あなたの問題を解決する方法「ナイトくんワーク」】

・ナイトくんとコミュニケーションを取ることが、問題を解決することにつながる。その「ナイトくんワーク」の7ステップは次のようになる。ステップ1「ナイトくんを見つける」、ステップ2「ナイトくんに名前をつける」、ステップ3「質問を通して対話をする」、ステップ4「ナイトくんを労い、もうひとりではないことを伝える」、ステップ5「ナイトくんに自分が大人になったことを伝える」、ステップ6「これからも、隣にいてもらうように伝える」、ステップ7「またお話をしようね、と伝えて対話を終了する」。


僕の読書ノート「銃・病原菌・鉄 上巻(ジャレド・ダイアモンド)」

2024-06-08 08:07:44 | 書評(進化学とその展開)

 

世界には、裕福な先進国と貧困状態にある発展途上国がある。もともと同じホモ・サピエンスどうしなのに、地域によってそのような大きな経済的格差ができたのはどうしてなのか?本書は、その理由として、それぞれの地域に住む人たちの生物学的(遺伝的)な違いによるものではなく、地理的、環境的な影響でそうなったのだという説を、多くの証拠を元に証明していく論考である。英語原著は1997年、日本語訳は2000年に出版されており、人類化石の分子生物学的研究が現在のようにさかんになる前だったため、若干古くなっている内容もある。

章ごとに、気になったポイントを下記にメモしておきたい。

 

【プロローグ】ニューギニア人ヤリの問いかけるもの

・著者が鳥類の進化のフィールドワークを行っているニューギニアで、あるニューギニア人ヤリが著者に質問してきた。「あなたがた白人は、たくさんのものを発達させてニューギニアに持ち込んだが、私たちニューギニア人には自分たちのものといえるものがほとんどない。それはなぜだろうか?」この会話から、著者は人類の進化、歴史、言語などについて研究し、その成果を発表してきた。ヤリの疑問に対する25年後の答えを書いたのが本書である。

・本書を一文で要約するとつぎのようになる。「歴史は、異なる人びとによって異なる経路をたどったが、それは、人びとのおかれた環境の差異によるものであって、人びとの生物学的な差異によるものではない」

【第1章】1万3000年前のスタートライン

・ネアンデルタール人はクロマニヨン人がヨーロッパにやってくるまでの数十万年間、ヨーロッパで唯一の先住民であった。約4万年前にクロマニヨン人がヨーロッパにやってきて、数千年のうちに、ネアンデルタール人は一人残らず姿を消してしまっている。これは、クロマニヨン人が自分たちの優れた技術や言語能力、頭脳を使って、ネアンデルタール人を侵略し、殺戮したことを示唆している。ネアンデルタール人とクロマニヨン人とが混血したという痕跡は、まったくといっていいほど残されていない。ーーこれについては近年の研究によって、ネアンデルタール人とホモ・サピエンスが混血していて、我々の遺伝子の数%はネアンデルタール人に由来していることが明らかになっている。

【第2章】平和の民と戦う民の分かれ道

・ポリネシアの種族間の争いを振り返ってみる。小さな孤立した狩猟採集民のグループであるモリオリ族は、彼らの祖先でもある人工の稠密なニュージーランドに住んでいた農耕民マオリ族によって滅ぼされた。

・熱帯気候に適したマオリ族の農作物はモリオリ族が移り住んだチャタム諸島の寒冷な気候ではうまく育たなかったかもしれない。それで、彼らは狩猟採集生活に戻らざるをえなかった。そこで狩猟採集民となった彼らは、再分配したり貯蔵したりする余剰作物を持たなかったので、狩猟に従事しない物作りが専門の職人、軍人・兵士、役人、族長などを養うことができなかった。結局、強力な統率力や組織力に欠ける非好戦的な少数部族となったのである。

・それとは対照的に、農業に適していたニュージーランドに残ったマオリ族は10万人を超えるまでに増えている。自分たちで作物を育てて貯蔵することができた彼らは、物作りを専門とする職人や、族長や、平時は農耕に従事する兵士たちを養うことができた。彼らは、農耕に必要な種々の道具や、さまざまな武器や工芸品を発達させた。手の込んだ祭祀用の建物や、おびただしい数の砦も建造している。つまり、地理的要因によって導かれた狩猟採集生活か農耕生活かという違いが、彼らの戦いにおける優劣の原因となっている。

【第3章】スペイン人とインカ帝国の衝突

・少数兵を率いるスペイン人のピサロは、膨大なインカ帝国の兵に囲まれながら皇帝アタワルバを捕虜にできた。その要因こそ、まさにヨーロッパ人が新世界を植民地化できた直接の要因である。ピサロを成功に導いた直接の要因は、銃器・鉄製の武器、そして騎馬などにもとづく軍事技術、ユーラシアの風土病、伝染病に対する免疫、ヨーロッパの航海技術、ヨーロッパ国家の集権的な政治機構、そして文字を持っていたことである。本書のタイトルの「銃・病原菌・鉄」は、ヨーロッパ人が他の大陸を征服できた直接の要因を凝縮して表現したものである。

【第4章】食料生産と征服戦争

・中規模な農耕社会では首長が支配する集団が形成されるようになるが、王国が形成されるまでにはいたらない。王国が形成されるのは大規模な農耕社会だけである。農耕社会に見られる複雑な政治組織は、構成員の平等を基本とする狩猟採集民の社会よりも征服戦争を継続させることができる。豊かな環境に居住する狩猟採集民が定住型の社会を発達させ、食料の貯蔵・蓄積を可能にし、初期の形態の族長支配を形成したが、そこからさらに進んで王国を作り出すまでにはいたっていない。ーー日本の縄文時代がこれに近いのかもしれない。

【第5章】持てるものと持たざるものの歴史

【第6章】農耕を始めた人と始めなかった人

・移動しながら狩猟採集生活を営む人たちと、定住して食料生産に従事する人たちとははっきりと区別されるものだという間違った思い込みがある。自然の恵みが豊かな地域の狩猟採集民のなかには、定住生活には入ったものの、食料を生産する民とはならなかった人びともいる。北アメリカの太平洋岸北西部の狩猟採集民などはその例であるし、おそらくオーストラリア南西部の狩猟採集民もそうだろう。パレスチナ、ペルー沿岸、そして日本に居住していた狩猟採集民も、食料を生産するようになったのは、定住生活をはじめてから相当の時間がたってからのことである。

・穀類やマメ類の栽培や家畜の飼育は、紀元前5000年までの数世紀を通じて、ヨーロッパ中央部全体にも急速に広がっていった。ヨーロッパ中央部と南東部に居住していた狩猟採集民のあいだに食料生産が広がっていったのは、食料生産を実践する生活と競合できるほど、この地における狩猟採集生活の生産性が高くなかったからである。ところが、南フランス、スペイン、イタリアなどの南西ヨーロッパでは、羊が伝えられてから穀物が伝えられたということもあって、食料を生産する生活様式はゆっくりと時間をかけて徐々に広まっていった。日本もまた、集約的食料生産をアジア大陸からゆっくりと時間をかけて少しずつ取り入れているが、それはおそらく、海産物や土着の植物が豊富であったため、狩猟採集生活の生産性が非常に高かったからであろう。

・食料生産への移行をうながした要因はおもに5つある。1つ目は、この1万3000年のあいだに、入手可能な自然資源(とくに動物資源)が徐々に減少したこと。2つ目は、栽培化可能な野生種が増えたことで作物の栽培がより見返りのあるものになったこと。3つ目は、食料生産に必要な技術、つまり自然の実りを刈り入れ、加工し、貯蔵する技術がしだいに発達し、食料生産のノウハウとして蓄積されていったこと。4つ目は、人口密度の増加と食料生産の増加との関係である。5つ目は、食料生産者は狩猟採集民より数のうえで圧倒的に多かったため、それを武器に狩猟採集民を追い払ったり殺すことができたことである。

【第7章】毒のないアーモンドのつくり方

【第8章】リンゴのせいか、インディアンのせいか

・肥沃三日月地帯と呼ばれるメソポタミア地方が、人類の歴史において中心的な役割を果たしたことはよく知られている。地理学者マーク・ブルーマーは、人間にとって作物化することのできる植物の種類の豊富さが重要であることを示した。世界中に数千種ある野生種のイネ科植物のなかから、大きな種子を持つ56種を「大自然のあたえた最優良種中の最優良種」とした。これらの56種は、穀粒の重さが中央値より少なくとも10倍は重く、そのほとんどが地中海性気候か、乾期のある地域に自生している。しかもその圧倒的多数の32種が、肥沃三日月地帯か西ユーラシアの地中海性気候地帯に集中している。この事実は、肥沃三日月地帯の初期の農民にとってイネ科植物を栽培化するうえで選択の余地が大きかったことを意味している。これに対して、チリの地中海性気候地域にはたった2種が自生しているだけであり、カリフォルニアと南アフリカにはそれぞれ1種が自生しているだけである。この事実だけをとっても、人類の歴史において、肥沃三日月地帯と他の地域の果たした役割のちがいを説明することができる。

【第9章】なぜシマウマは家畜にならなかったのか

【第10章】大地の広がる方向と住民の運命

・農作物や家畜は、南北ではなく東西に広まった。そのほうが適応しやすかったからである。肥沃三日月地帯で栽培化された農作物が東西方向に素早く広がった理由のひとつはここにある。そうした農作物は、伝播先の土地の気候にすでに順応していた。キリストが誕生する頃までには、肥沃三日月地帯を起源とする農作物は、ユーラシア大陸の西端であるアイルランドから東端の日本まで、じつに東西8000マイル(約1万2800キロ)にまたがる地域で栽培されていた。

・最初に中国南部で栽培化されたり家畜化されたあと、熱帯の東南アジアやフィリピン、インドネシア、ニューギニアなどで新たな品種が栽培化・家畜化されるようになった亜熱帯性作物や家畜類は、肥沃三日月地帯の作物に比肩する速度で東方に広がっている。その結果、バナナ、タロイモ、ヤムイモといった農作物や、鶏、豚、犬といった家畜類は、1600年たたないうちに中国南部から5000マイル(約8000キロ)以上離れたポリネシアの島々にまで伝わった。

【第11章】家畜がくれた死の贈り物

・非ヨーロッパ人を征服したヨーロッパ人が、より優れた武器を持っていたことは事実である。より進歩した技術や、より発達した政治機構を持っていたことも間違いない。しかし、このことだけでは、少数のヨーロッパ人が、圧倒的な数の先住民が暮らしていた南北アメリカ大陸やその他の地域に進出していき、彼らにとってかわった事実は説明できない。そのような結果になったのは、ヨーロッパ人が、家畜との長い親交から免疫を持つようになった病原菌を、とんでもない贈り物として、進出地域の先住民に渡したからだった。


僕の読書ノート「山と溪谷 2024年3月号」

2024-06-01 08:14:36 | 書評(その他)

 

特集の「歩いて治す膝痛」を読みたくて購入した。私は山に登って下山するとき、必ずと言っていいほど右膝が痛くなる。なんとか膝が痛くならないようにする方法はないものかと以前から考えていた。本書を読んでみると、痛みには、膝周りに外傷や病気がある「急性疼痛」、それ以外の「慢性疼痛」の2つに分類され、後者の中で普段の生活には支障がない場合は、筋力の向上や、負荷の軽減によって改善できるということである。

第1部の「歩いて体をつくる」では、膝痛に効くトレーニングの方法が提案されている。1つ目は山歩きトレーニングで、まずは「裏山トレーニング」で登り下りを繰り返す。例えば、標高差50m程度の山を4~5往復するのを週2~3回行うと、月に2000mの山を往復したのと同じ登下降量になる。それに慣れたら、「低山トレーニング」で、例えば標高差400mの山を月5回登り下りすることで、月間2000mの往復になる。そして、2段階のトレーニングの後に、憧れの山を登山するという流れだ。個人的には、こんなに頻繁にトレーニングはできそうにないので、「裏山トレーニング」を月2回程度行うことから始めてみるか。

2つ目には、日常トレーニング&ストレッチで、下半身の部位別に、週3回のトレーニングと毎日のストレッチの方法が提案されている。自分の弱いと思われる部位・筋肉から試してみたい。

3つ目には、登山時に行う膝痛予防&対処術で、登山の前に体を温めたり、登山の途中の歩き方や、登山の途中でできる手当てが説明されている。

第2部の「負荷を減らして歩く」では、膝への負荷を減らすための、「正しい歩き方」や「道具の活用法」が紹介されている。「正しい歩き方」では、登りも下りも、体軸や膝をまっすぐ伸ばすことが基本になっている。「膝痛予防・対策グッズ」としては、インソール、トレッキングポール、サポートタイツ、膝サポーター、キネシオテーピングテクニックの利用が提案されている。私もすでにトレッキングポールや膝サポーターは利用しているが、他のグッズも追々使ってみたい。