wakabyの物見遊山

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僕の読書ノート「ロックの正体ー歌と殺戮のサピエンス全史(樫原辰郎)」

2024-02-03 07:31:04 | 書評(アート・音楽)

 

一目見て買ってしまった。今までこんな本はなかった。ロックを、進化心理学、人類学・霊長類学、心理学、哲学などにおける、最近の学説や理論を元に分析している。そして読んでみたら、ロックを代表例として(ネタとして)、現代の社会や文化をより科学的な思考法で解釈してみようと試みている本であることがわかった。様々な学説や理論が出てくるが、書きぶりはとてもわかりやすく、著者の引き出しの深さ、知識の豊富さにも感心した。また、著者が専門のロック評論家ではないということも、本書がマニアックなロック本ではなく、ロックを外から客観的に評論したものになっている理由だろう。最後に付いている「参考文献という名のブックガイド」で紹介されている本のリストは充実しており、本書が多くの文献からの知識を元に書かれていることがわかるし、今後読むべき本の参考にもなる。

あまり気張らずに一気に読んで、楽しめる本でもあった。いくつか、気になったポイントを書き留めておきたい。

・チンパンジーにバントフートという行動がある。「フー、ホー、フーホー、フーキー、フーホー、ホワーォ、ホォォォ」という鳴き声をあげながらコミュニケーションするのだ。目の前にいる仲間チンパンジーのバントフートの発声に合わせて、自分もバントフートをかぶせていく。バントフートにはドラミングが伴うことも多い。これは手で自分の体や、すぐ側にある木なんかをリズミカルに叩くのだ。我々ホモ・サピエンスが音楽の演奏に合わせて手拍子を叩いたりするのに似ている。霊長類の脳と認知の専門家であるディーン・フォークはチンパンジーやゴリラのバントフートに、音楽の原型があるのではないかと考えている。人間が歌を歌うのも、チンパンジーやゴリラのバントフートも、仲間と集まって皆で我を忘れてノリノリになるという点が重要だと著者は指摘する。

・戦争などの過去の悪い出来事を、長い時間が経った後で批判するのは簡単なのだが、その時その時で批判するのはかなり難しい。客観視、メタ的な認知は人間の叡智だが、オンタイムでそれを行うのはかなり難しいのである。

・互恵的利他主義というのがある。近所のおばさんとかクラスメイトに親切にするなど、同じ共同体の仲間に親切にしておくと、いずれ自分が困ったときに彼らが助けてくれるというものだ。しかし、我々は見ず知らずの他人にも親切にする。このヒトの互恵的な性質について、最近、オランダの進化心理学者であるマルク・ファン・フフトという人が競争的利他主義という仮説を唱えている。我々ヒトは赤の他人に親切にすることを競い合っているというのだ。この仮説によると、困っている人がいたとして、その人を誰が助けるかというレースをしているということになる。我々は、善人であることすらも競い合う動物なのだ。私は親切な貴方よりも、より一層親切なんですよ、というマウンティングでもって親切心を競い合うのだ。

・ロナルド・ノエとピーター・ハマースタインは、生物学的市場理論(バイオロジカルマーケット)という概念を提唱している。生物学に経済学の考え方を導入したようなものだ。例えば、ドクターフィッシュの入った水槽に足を突っ込むと、寄ってきたドクターフィッシュが足の垢を食べてくれる。我々は垢が取れて気持ち良いし、魚の方はご飯が食べられるわけでウィンウィンである。これは、経済学的なやりとりである、というのが生物学的市場理論である。クマノミとイソギンチャクの共生もこれと同じで、自然界にはこういった例が数多く存在する。我々は市場経済をヒトが発明したように考えがちだが、少なくとも市場経済の土台、プロトタイプと考えて良いような経済的な行動は、ホモ・サピエンスが誕生する遥か以前から自然界にあったのである。

・ヒトは長い時間をかけて道徳を進化させてきた。だから、百年、二百年といった単位で帝国主義がじわじわと衰退していった。しかし、ロシア革命、共産主義革命といったものは、帝国そっくりの独裁体制を生んでしまった。アメリカも物騒な国家ではあったが、少なくとも独裁者が統治するような仕組みを作らずに済んだようである。ポイントは制度である。制度設計が成功しているか否かである。ロシア革命も壮大な社会実験だったし、アメリカの独立も壮大な社会実験だった。そして、ソヴィエト連邦や中国のような国においては、結局は独裁主義になってしまった。これは制度設計が失敗しているのだ。アメリカという国家が今も多くの問題を抱えているのは事実であるが、それでも今のロシアや中国よりはマシなのである。

・ヒトの互恵的利他主義から来る共産主義を求める思考は、赤ちゃんの頃から公平さを求めるヒトの本能に結びついてるわけだが、バイオロジカルマーケット理論の視点から見ると、市場経済によって成立する資本主義もまたヒトの本能と結びついている。だとしたら、共産主義か資本主義か?といった二択を問題視したのは、歴史的なミス、というか認識論的な誤謬だったのではないだろうか。人類は馬鹿なようでいて賢い動物なので、妥協とか適当なところで手を打つという選択肢がある。我々は妥協という言葉をあまり良くないニュアンスで使うことが多いが、妥協こそヒトの叡智なのだ。たとえば過去には、固有資産や市場経済を否定しない社会主義というものも考えられたことがあったのである。そして今はベーシックインカムが注目されている。色んなアイデアをかき集めて、いいとこ取りするのが最善の道なのだ。

・本書のテーマである、ロックの正体とは何か?ロックの誕生は、そもそも言葉や音楽といった文化を奪われて歴史を切断された黒人奴隷の音楽を、10代の白人が物真似したことに始まる。それは、黒人奴隷にとってはゼロからのスタートだったために、人類の歴史の、大きな転換期に起きた出来事をもう一度再現するような出来事であった。物真似から初めて、未来を創造する行為、それこそがロックの正体である。それを著者は、広域スペクトル革命の文化的な再現と呼んでいる。

・ロックの未来がどうなるかは、おそらく誰にもわからない。60年代的な意味の反逆のロックはとうに終わったし、70年代的なロックも蕩尽の果てに終わったが、ローリング・ストーンズは今も「サティスファクション」を演奏している。「サティスファクション」の歌詞に込められた反逆のロック的な理念は、形骸化することで歴史になったのだ。ミックがお爺さんになった今も歌い続けているのは、歴史を歴史として表象するためである。何事であれ歴史として記録することはヒトの叡智なのだ。本当に色々あったけれども、ロックを愛する人たちが老人になることで、この文化はようやく完成したのである。

・最後に付いているブックガイドが充実している。本書を構成する16章全てに参考文献が割り付けられている。とくに気になったのは、ヒトの脳の使い方について考えを改め、より良い頭の使い方を知りたい人のために以下の4冊をお勧めするーと推薦されているのが、「ダニエル・C・デネット/思考の技法ー直観ポンプと77の思考術」「ヤン・エルスター/社会科学の道具箱ー合理的選択理論入門」「戸田山和久/思考の教室ーじょうずに考えるレッスン」「植原亮/思考力改善ドリルー批判的思考から科学的思考へ」である。60年代のカウンターカルチャーは躓いてしまったが、大勢の若者がサルトルと共に間違えるよりも、多くの人びとが科学的思考を身につけた方が社会はより良い方向に進むのだと著者は述べている。


僕の読書ノート「Casa BRUTUS 2023年12月号[奈良美智と家]」

2023-12-23 07:54:48 | 書評(アート・音楽)

 

しばらく前になるが、奈良美智の「Orange covered wagon」というインスタレーションの作品を見たことがある。移動店舗みたいな車の中を覗くと、女の子の部屋のような奈良美智ワールドが展開していて、日本のマニアックなポップ・ロックのカセットテープが流れている、なんともラブリーな作品だった。Casa BRUTUSが「奈良美智と家」を特集しているというので、ピンと来て購入した。

奈良さんが那須に作った、自宅とアトリエの様子がたくさん見れる。その様子は、本人の作品だけでなく、集まった美術品や好きな音楽のCDやレコード盤のジャケットなどに溢れていて、奈良さんの趣味と人生が整然と展示されている感じで、それ自体インスタレーションのようになっているのがすごい(逆に言うと、へんな生活臭がない、ほんとうのプライベートは謎)。オールド・ロック好きであることは知っていたが、とくに好きなのはパンク、中でもラモーンズであることがわかった。ラモーンズの暴力的でありながら、戯画的・ポップであることと奈良さんの作風はとてもよく似ている。

奈良さん自選100作品が、本人や編集部のコメントとともに掲載されている。それによると、ドイツ時代の1991年に「The girl with the knife in her hand」という作品によって、生涯を通底するような作風を手に入れたことがわかる。それについての本人のコメントは、「自分にしか描けない自分の絵を確信した一枚、これからは何の迷いもなく何枚でも描ける! と胸がドキドキしたのを思い出す。多作な時期となる自分の90年代が始まった。」

とにかく、奈良美智の作品が気になっている人には必見の一冊。


僕の読書ノート「ロッキングオン 2022年07月号」

2022-06-25 07:29:36 | 書評(アート・音楽)

 

これは!と思ったときに買うロッキング・オン。ピーター・サヴィルのデザインによるジョイ・ディヴィジョンのアルバム・ジャケットが表紙。今回は、ニューウェイヴ/ポストパンク1978-1987の特集である。内容は、ジョイ・ディヴィジョン/ニュー・オーダーのバーナード・サムナー、キュアーのロバート・スミスのインタビュー、ニューウェイヴ/ポストパンク傑作アルバム50作品の紹介、「ニューウェイヴ/ポストパンクとは何だったのか?」という振りかえり評論記事で構成されている。この時代、ほぼこのジャンルの音楽ばかり聴いて過ごしてきたので、懐かしく思い返しながら一気に読ませてもらった。50作品の中にはまだ聴いていないものもあるが、私のような人間には、特段目新しい情報があったわけでもなく、どちらかというと若い人向けに、このような音楽の実験がすごい勢いで熱を帯びていた時代のあったことに興味を持ってもらうことが目的だったのだろう。ニューウェイヴ/ポストパンクが、現代のロックやポップミュージックにどのような影響を及ぼしたのか、あれこれ分析して大風呂敷をひろげてくれるような記事があったらもっと面白かったかもしれない。

上記の特集以外で気になって斜めよみした記事は、リアム・ギャラガー(オアシス再結成はまだ機が熟していないと冷静に考えられるようになったみたいだ)、ザ・スマイル(レティオヘッドのトム・ヨークとジョニー・グリーンウッドらの新バンドはロックをやっているらしいのでぜひ聴こう)、ケンドリック・ラマ―(現代ブラック・ミュージックのキングはニュー・アルバムを出したが、初心者はどのアルバムから入ったらいいのだろうか)、マーク・ボラン(知性というより感覚の人だ)、ポーキュパイン・ツリー(キング・クリムゾンのギャヴィン・ハリソンや元ジャパンのリチャード・バルビエリらのいるこの新時代プログレ・バンドは完成度のとても高いアルバムを出したらしい、気になる)といったアーチストたちのインタビューやアルバム紹介であった。古いけど新しい人たちだ。オリヴィア・ロドリゴまでフォローできないけれど、しょうがないか。


僕の読書ノート「ロッキングオン 2022年02月号」

2022-02-19 07:37:53 | 書評(アート・音楽)

若い頃は、毎月必ずロッキング・オンを買って隅から隅まで全部読むような熱心な読者だった。しかし、ここ30年近くは、数年に一度の頻度で、これは!と思ったときだけ買って、読みたいところだけ読んでいる。今回のブライアン・イーノ特集はこれは!といえる号だった。ブライアン・イーノ以外にも、キング・クリムゾン、デヴィッド・ボウイ、トッド・ラングレン、写真家のミック・ロック、30年前の1991年特集といった記事もあり、オールド・ロック・ファンの私には満足な号であった。

ブライアン・イーノ特集では、これまでの作品たちの本人による解説、主要な10枚の編集部による解説などがあり、参考になった。ブライアン・イーノの作る音楽は、現代アートのように、前知識なしに聴いてどう感じるかも大事だけれど、作者の意図や背景がわかるとより理解が深まるところがある。個人的には、初期のシュールなポップも、中期以降のいわゆるアンビエントの作品も好きだが、中期のリズムが前面に出ている作品群(ビフォア・アンド・アフター・サイエンスやマイ・ライフ・イン・ザ・ブッシュ・オブ・ゴースツ)がよくわからなかった。本号の解説を読むことで、それぞれちゃんと背景があることがわかった。

デヴィッド・ボウイについては、幻だった20年前のトイという作品がやっとリリースされたことに合わせての当時のインタビュー記事だったが、トイについてはあまり触れられておらず、とってつけたような記事に思えた。後ろのほうのアルバム・レヴューの記事でどういう作品かわかった。ボウイが未熟だったころに作った曲を、成功して技術も表現力も円熟した今作り直したらどうなるかというコンセプトの作品で非常に興味深いものなのだが、3枚組ボックスで¥5,500の値段は今の自分としては買うことを躊躇してしまう。

1991年特集を見ると、その年はロックにとってすごい時代だったのだと思う。ニルヴァーナのネバーマインド、レッド・ホット・チリ・ペッパーズのブラッド・シュガー・セックス・マジック、ガンズン・ローゼスのユーズ・ユア・イリュージョン、マッシブ・アタックのブルー・ライン、ブラーのレイジャー、マイ・ブラッディ―・バレンタインのラブレスといった、いずれも彼らを代表する作品のうちの1枚であり、私も今でも大好きなアルバムたちが出た年だった。


僕の読書ノート「Europeans ヨーロッパ人(Henri Carthier-Bresson アンリ・カルティエ‐ブレッソン)」

2021-05-15 11:13:07 | 書評(アート・音楽)

最近、ソール・ライターという写真家を知って、写真集も購入してその世界をたんのうした。写真のおもしろさが少しわかってくると、こんどは世界には他にどんなすてきな写真家がいるのだろうかと興味がわいてきて調べてみた。そうしたら、20世紀を代表する写真家にアンリ・カルチエ-ブレッソンという人がいることがわかり、いろいろと物色した結果、Europeans(ヨーロッパ人)という写真集を丸善の洋書コーナーで見つけて購入したのである。ハードカバーがBulfinch社から、ペーパーバックがThames & Hudson Ltd社から出ているが、どちらも232ページで、縦約27cmなので、表紙のデザインは違うが内容はほぼ同じだと思われる。私が購入したのはペーパーバックのほうであるが、紙は上質で写真は鮮明であった。

第二次世界大戦前後(1932~1975年)のヨーロッパ人を被写体としたモノクロの写真集であるが、明らかな戦争の風景は入っていない。シュルレアリズムに影響を受けているということで、写真の構図には、ある種意図的で遠近感のある空間が構成されている。そこに登場する人物はなんらかの世界のあるいは人生の生き生きとしたドラマを表現している。別のところで読んだことだが、ブレッソンは登場人物にわざとポーズを取らせたのではなく、ずっと辛抱強く待ち続けてシャッターチャンスを狙って撮っていたのだという。

撮影された国を掲載順に並べ、それぞれの国の写真から受けた印象を記してみた。フランス(ゴダール映画のようにおしゃれな風景と、自然と人生を楽しむ人々)、ポルトガル(豊かな田舎)、スペイン(シュール)、イタリア(カトリック)、スイス(自然)、ユーゴスラビア(田舎)、ギリシャ(前近代)、トルコ(異国)、ルーマニア(美人、牧歌的)、ハンガリー(北国)、オーストリア(高地)、ドイツ(戦争の痕跡、東西分裂)、ベルギー(とぼけた男)、オランダ(水の土地)、ポーランド(カトリック)、ソビエト連邦(逞しく生きる男女たち)、スウェーデン(海)、イギリス(群衆、紳士淑女)、アイルランド(カトリック、荒野)。

フランスの人たちは、戦前のけっして平和ではなかったであろう時代でも、川べりにタープを張って、ワインやパンを持ち込んでピクニックをしていて、その表情のはつらつさに生きることの豊かさを感じさせる。その時代、その場所の、匂いや人々の息吹を感じるような写真たちであった。