wakabyの物見遊山

身近な観光、読書、進化学と硬軟とりまぜたブログ

旧神奈川宿を歩くーその2

2024-02-24 07:00:00 | 遺跡・寺社

先日は、旧東海道神奈川宿の京急神奈川駅の周辺を見て廻りましたが、今回はもう少し長く、神奈川宿の東端から西端のあたりまで歩いてみました(2024年2月4日)。神奈川宿の東端であるJR東神奈川駅を下りて西に向かって歩きました。江戸時代からの寺社が多いので寺社巡りみたいになっていますが。

 

金蔵院(こんぞういん)。

 

熊野神社。江戸時代には金蔵院の境内にあったものが、明治の神仏分離令によって分かれたそうです。

 

神奈川地区センター。広場左の床面の紋様は、「神奈川宿歴史の道」シンボルマークの「青海波」だそう。

神奈川地区センターの前にあるのが、高札場(こうさつば)。元は滝の橋のたもとにあったものが、ここで復元されたもの。幕府の法度や掟などを庶民に知らせるための情報伝達の場。

 

成仏寺。開港当時、アメリカ人宣教師の宿舎として使われました。

 

浄瀧寺。開港時にはイギリス領事館に充てられました。

浄瀧寺のわきには滝の川があります。川面に迫り出して建築されている古い建物があります。ここは暗渠ではありませんが、これも公共の土地の不法占拠の一種でしょうか。そうとう劣化して崩れてきている建物もあります。

 

旧東海道(現国道15号線)が滝の川を越えるところが滝の橋。橋の両側は本陣跡といって、大名や公家が宿泊する宿があったそうです。この滝の川については、そのうち探索してみたいと思います。

 

権現山跡。ここはけっこう高い山だったのが削られて台場や鉄道用地の埋め立てに使われたそうです。山の跡は、幸ヶ谷公園となっています。これは南東側からのながめ。

これは北西側からのながめ。

権現山は戦国時代に、上杉方と北条勢の上田蔵人方が戦った古戦場だそうです。

幸ヶ谷公園からは眺めがよく、鉄道線路と閉店したサカタのタネが見えます。

こちらは、京急神奈川駅のホーム、鉄道をまたいだ青木橋、先日見た三宝寺が見えます。

 

旧街道の宮前商店街は、商店はあまり見られずマンションやオフィスビルばかりになっています。

 

甚行寺(じんぎょうじ)。開港当時、フランス公使館に充てられていました。

 

青木橋。

 

京急神奈川駅は鉄道線路の上に浮いたように作られていますが、もとはこの高さが地面だったのでしょう。

 

青木橋を渡って旧街道をさらに西に向かうと、東急東横線の線路跡遊歩道をまたぎます。

 

大綱金刀比羅神社。

 

このあたりに、台町の茶屋街がありました。

昔の茶屋として唯一、「さくらや」が現在の料亭田中屋として残っています。ここには、坂本龍馬の未亡人のおりょうさんが仲居として働いていたと言われています。

 

滝川という料亭もありますが、昭和になってから作られたお店です。

 

神奈川台の関門跡。関所みたいなのがあったようです。

今日はここまで。旧東海道神奈川宿の歴史散歩でした。


僕の読書ノート「看取り犬・文福 人の命に寄り添う奇跡のペット物語(若山三千彦)」

2024-02-17 08:05:38 | 書評(進化学とその展開)

 

老人ホームで亡くなる方を看取る犬がいるというネット記事を読んで、調べてみたらその犬「文福」について書かれているこの本に行きつき、中古ですぐ購入した。新品は品切れのようだ。文福という犬の行動、とくに共感力についての貴重な記録として読ませてもらった。「文福」だけでなく、ホームにいる他の犬や猫たちの愛情深い、死に行く人に対する共感的な行動についても書かれている。横須賀市にある特別養護老人ホーム「さくらの里山科」は高齢者が犬や猫と共生できるホームである。そこの理事長である若山三千彦さんが、登場人物を偽名にして、自ら第三者の立場をとって書いた本である。犬や猫が飼い主や自らの死を理解できているのかどうか科学的に証明するのは難しいが、死を理解できている可能性を示唆するような行動は観察できる。特筆すべき、犬と猫が自らあるいは人が死に向かうときに示した行動を下記に記しておきたい。まるでフィクションのような話が出てくるが、れっきとしたノンフィクションである。

[犬の文福のケース]

・文福は保護犬、つまり保健所で殺処分予定だった犬である。死の寸前で、動物愛護団体の「ちばわん」に救われたのだ。...明日はもう生きられない。それを察知した文福の顔は暗くひきつっていた。その瞳には絶望の色が浮かんでいた。...そんな悲惨な体験を持つ文福が、今は献身的に高齢者を看取っているのだ。...おそらく文福は、人に見捨てられ、ひとりぼっちで死の淵に立ったからこそ、死に向かい合う不安を理解しているのだろう。

・いつも元気いっぱいの文福は、その陽気さと、最高の笑顔が入居者に愛されている。普段は寂しそうな様子を見せることはないが、看取り介護の対象者に寄り添うときは切なそうな表情を浮かべる。...逝去される3日前に、部屋の扉の前で項垂れていた。半日間扉の前にいたあと、部屋に入り、ベッドの脇に座って入居者を見守っていた。逝去される2日前にベッドに上がり、入居者の顔を慈しむようになめ、そこからはずっと寄り添っていた。その次の方も、さらに次の方も、文福がベッドに上がり、顔をなめて、寄り添い始めてから2日以内に逝去された。

・文福は看取りをすると、そうとうエネルギーを奪われるらしい。逝去された入居者に2日間寄り添っていた文福は、疲労困憊、とまではいかなくても、かなり疲れた様子だった。ここで職員として仕事を始めたばかりの田口は、大きなミスをして深く落ち込んでいた。膝に顔を伏せてすすり泣いていた田口は、隣からやさしい感触が伝わってきて、顔を上げた。文福が寄り添うように座っていた。ついさっきまで疲れてケージのなかで寝ていた文福が、いつの間にか隣に来ていたのだ。コトリともたれかかるようにして、田口の肩に頭を載せてきた。...文福は人の気持ちを察する天才だった。多くの職員が文福に励まされていた。多くの入居者が文福に慰められていた。文福の人に寄り添う力も、ささやかな奇跡と言えるかもしれない。

・もともと上品な人だった入居者の江川さんは、認知症に進展によって攻撃的な性格に変化していた。江川さんは文福を罵り続けた。寝たきりであっても、いつも険しい顔をして、目が血走っていた。江川さん自身が苦しそうだった。不幸そうだった。しかし、それでも文福は江川さんに寄り添い続けた。どんなに邪険にされても寄り添うのをやめなかった。職員たちはその後長いあいだ、このときの文福の様子を不思議がっていた。一体あのとき、文福はなにを考えていたのだろう。なぜ怒鳴られても江川さんに寄り添っていたのだろう。そして文福の一途さは、小さな奇跡を起こしたのである。「ごめんねー、文福。殴ってごめんねー」江川さんが、弱々しく腕を持ち上げると、懸命に文福を撫でようとしたのである。その瞳からは涙があふれていた。「ワンッ」文福は大喜びで吠え、江川さんの枕元ににじり寄ると、ペロペロと顔をなめた。

[末期がん患者の伊藤さんと飼い犬チロのケース]

・伊藤さんの最期のとき、伊藤さんは時おり目を開き、そこにチロがいると安心して微笑んだ。血圧が危険なほど下がっても、食事がとれなくなっても、伊藤さんはチロに微笑みかけていた。そうして、静かに静かに、生命の炎は燃え尽きようとしていた。...「・・・チロ・・・」声にならない小さな声で、しかし、確かに呼びかけた。枕元に座っていたチロは、そっと伊藤さんの顔をなめた。伊藤さんはかすかに微笑んだ。微笑みながら天に旅立っていった。望みどおりチロに看取られながら。「くぅーん」チロはわずかに声を上げて、伊藤さんの顔をやさしくなめていた。いつまでも、いつまでもなめ続けていた。

[テンカンを持つ保護犬アラシともっとも気にかけてくれた認知症の山田さんのケース]

・多臓器不全症でアラシが亡くなる前日の夕方、ケージのなかで寝ているアラシの名前を呼んで、山田さんが手を伸ばすと、アラシは精いっぱいの力を振り絞ってケージから這い出てきた。そして山田さんの手に頭をこすりつけた。何度も、何度も頭をこすりつけた。それはまるで、山田さんにお礼を言っているように見えた。翌朝、アラシは山田さんの腕のなかで静かに息を引き取った。最期まで幸せそうな顔だった。「アラシや」山田さんはアラシを抱きしめて嗚咽していた。

[看取り活動をする猫トラのケース]

・保健所から保護された猫トラは持病の肺炎のためいつも鼻水を垂らしていて、目やにもひどかった。人間が大好きなトラは、見学者が来ると喜んで足元にすり寄っていく。そして、ひとりひとりの脚に身体をこすりつけて歓迎の挨拶をする。皆これだけで心を鷲掴みにされてしまう。ペットセラピーの専門家が見学に訪れた際、トラと入居者の様子を見て感嘆して言ったものである。この子はどんな訓練を受けたセラピードッグもかなわないアニマルセラピーを行っていると。

・トラに看取られることを希望していた認知症の斉藤幸助さんは、猫に囲まれる老春の日々を数年間謳歌したのち、逝去された。亡くなる3日前、もう起き上がることができない斉藤さんのベッドでは、トラが寄り添っていた。斉藤さんはとっても満足そうな顔をしていた。かねて切望していたとおり、トラに看取られて天国に旅立ったのである。斉藤さんだけではない。2の3ユニット(猫が共生するエリア)で入居者が逝去されたときには、必ずトラが寄り添っていた。トラは文福と同じような、看取り活動をする猫だったのである。

・ただし、トラの不思議な力は、文福とは少し異なっていた。入居者が逝去される場合だけでなく、一時的に弱って寝込んでいる場合も必ず寄り添うのである。結果として、逝去されるときにも寄り添うことになるのだ。文福は入居者が亡くなることを察知する力を持っており、その最期を看取る活動をしている。それに対してトラは、入居者が弱っていることを察知する力を持っており、弱っている人には寄り添って癒やす活動をしているのだ。文福は看取り犬で、トラは癒やしネコなのだ。

・何人もの入居者を癒やし、看取ってきたトラも、ついに自分が看取られる時が来た。トラが最期を迎えようとしていたとき、猫たちの世話をしていたユニットのリーダーの安田は休暇を取っていて不在だった。安田は電話でホームに呼ばれた。「トラ、もうすぐママが来るからね。ママが来るまで頑張るんだよ」トラはわずかに目を開けて、小さな声でニャアと鳴いた。遠方に出かけていた安田が駆けつけてきたのは深夜だった。安田がベッドに駆け寄ると、もう動く力もなかったはずのトラが立ち上がって安田にすがりついた。「トラ、トラ―!」安田は泣きながらトラを抱きしめた。その腕に入居者の中村さんが手を添えて一緒に抱きしめた。そのままトラは、ふたりの腕のなかで静かに息を引き取った。


2024正月の帰省②ー実家のネコ問題その後

2024-02-10 07:31:49 | 猫・犬

2024年正月に茨城の実家に帰省(2024年1月3~5日)した時のことを振り返っています。2023年GWに表面化してきたネコ問題、つまりネコ屋敷化問題を取り上げます。

前回帰省した2023年GW時点では、外からやってきて家に住みついたネコが2匹となり、第3のネコが家の中に入ろうとねらっている状況となっていました。そして結論から言いますと、今回2024年正月に帰省した時の状況は、家に住みついているネコが4匹、家の中に入ろうとねらっているネコが約5匹となっており、ネコ屋敷化は着実に進んでいました。エサ代、去勢や病気になったときに動物病院でかかる医療費など、それなりの出費がかかっているはずです。では、ネコたちを紹介していきます。

 

ひっくり返って挑発してくる凶暴ネコのシロ。1番の古株。

 

そして2番目にやって来たクロ。

ちょっと臆病で平和主義なネコで、私のところにも甘えに来てくれました。

 

この子は、2023年5月時点で家の中に入りたがっていたけれど入れてもらえなかった、とても人懐こいネコ。しかし、この後体調を崩したため、父が見かねて動物病院に連れて行ったらウイルス性白血病と判明、しばらくして死んでしまったそうです。可哀そうなので役所に頼んで葬儀をあげたとのこと。

 

で、今回新たに加わっていたネコがこの2匹。2匹とも生後半年に達していないくらいの若齢ネコです。捨てられていたのを保護したらしいです。

 

この茶色い子は、アビシニアンに少し似ています。

水道の蛇口から水を飲むのが得意です。

 

もう1匹は少しシャムに似た毛色をしています。テレビを見てますね。

好奇心旺盛で、私が寝ようとしていたらあいさつに来てくれました。しかし、しょっちゅうくしゃみをして鼻水をまき散らしていたので困りました。単なる風邪ならいいのですが。

というわけで、可愛い3匹+1匹でした。身近なイヌやネコの存在は高齢者や病者にとって単なる癒しを超えて、生きる喜びや力さえ与えてくれることが知られています。実家のネコがそういう存在でいてくれればいいなと思います。しかし、あまりに匹数が増えると、3人家族を1人でお世話する父の負担が増すので、ここで踏みとどまって、これ以上ネコを家に入れないでもらいたいものです。

 

外には、家に入れてもらえるチャンスを狙っているネコたちが約5匹いるわけです。家にいるネコの兄弟か親子なのか、見た目がかなり似たネコもいます。

 

さて、昔私が飼っていて、最後に実家に引き取ってもらったネコのシルバーのお墓参りもしました。お骨は分骨して半分は私が自宅で保管しているのですが。ここには約60匹のイヌ・ネコちゃんたちが合祀されていますが、ちょっと手入れが届いていないかんじです。

おそらく逆光のせいだとは思いますが、「虹の橋」が写り込んでいる?

このペットの葬儀屋さんはしばらく営業をやめてしまっているような雰囲気です。こちらにも「虹の橋」みたいな光線が...


僕の読書ノート「ロックの正体ー歌と殺戮のサピエンス全史(樫原辰郎)」

2024-02-03 07:31:04 | 書評(アート・音楽)

 

一目見て買ってしまった。今までこんな本はなかった。ロックを、進化心理学、人類学・霊長類学、心理学、哲学などにおける、最近の学説や理論を元に分析している。そして読んでみたら、ロックを代表例として(ネタとして)、現代の社会や文化をより科学的な思考法で解釈してみようと試みている本であることがわかった。様々な学説や理論が出てくるが、書きぶりはとてもわかりやすく、著者の引き出しの深さ、知識の豊富さにも感心した。また、著者が専門のロック評論家ではないということも、本書がマニアックなロック本ではなく、ロックを外から客観的に評論したものになっている理由だろう。最後に付いている「参考文献という名のブックガイド」で紹介されている本のリストは充実しており、本書が多くの文献からの知識を元に書かれていることがわかるし、今後読むべき本の参考にもなる。

あまり気張らずに一気に読んで、楽しめる本でもあった。いくつか、気になったポイントを書き留めておきたい。

・チンパンジーにバントフートという行動がある。「フー、ホー、フーホー、フーキー、フーホー、ホワーォ、ホォォォ」という鳴き声をあげながらコミュニケーションするのだ。目の前にいる仲間チンパンジーのバントフートの発声に合わせて、自分もバントフートをかぶせていく。バントフートにはドラミングが伴うことも多い。これは手で自分の体や、すぐ側にある木なんかをリズミカルに叩くのだ。我々ホモ・サピエンスが音楽の演奏に合わせて手拍子を叩いたりするのに似ている。霊長類の脳と認知の専門家であるディーン・フォークはチンパンジーやゴリラのバントフートに、音楽の原型があるのではないかと考えている。人間が歌を歌うのも、チンパンジーやゴリラのバントフートも、仲間と集まって皆で我を忘れてノリノリになるという点が重要だと著者は指摘する。

・戦争などの過去の悪い出来事を、長い時間が経った後で批判するのは簡単なのだが、その時その時で批判するのはかなり難しい。客観視、メタ的な認知は人間の叡智だが、オンタイムでそれを行うのはかなり難しいのである。

・互恵的利他主義というのがある。近所のおばさんとかクラスメイトに親切にするなど、同じ共同体の仲間に親切にしておくと、いずれ自分が困ったときに彼らが助けてくれるというものだ。しかし、我々は見ず知らずの他人にも親切にする。このヒトの互恵的な性質について、最近、オランダの進化心理学者であるマルク・ファン・フフトという人が競争的利他主義という仮説を唱えている。我々ヒトは赤の他人に親切にすることを競い合っているというのだ。この仮説によると、困っている人がいたとして、その人を誰が助けるかというレースをしているということになる。我々は、善人であることすらも競い合う動物なのだ。私は親切な貴方よりも、より一層親切なんですよ、というマウンティングでもって親切心を競い合うのだ。

・ロナルド・ノエとピーター・ハマースタインは、生物学的市場理論(バイオロジカルマーケット)という概念を提唱している。生物学に経済学の考え方を導入したようなものだ。例えば、ドクターフィッシュの入った水槽に足を突っ込むと、寄ってきたドクターフィッシュが足の垢を食べてくれる。我々は垢が取れて気持ち良いし、魚の方はご飯が食べられるわけでウィンウィンである。これは、経済学的なやりとりである、というのが生物学的市場理論である。クマノミとイソギンチャクの共生もこれと同じで、自然界にはこういった例が数多く存在する。我々は市場経済をヒトが発明したように考えがちだが、少なくとも市場経済の土台、プロトタイプと考えて良いような経済的な行動は、ホモ・サピエンスが誕生する遥か以前から自然界にあったのである。

・ヒトは長い時間をかけて道徳を進化させてきた。だから、百年、二百年といった単位で帝国主義がじわじわと衰退していった。しかし、ロシア革命、共産主義革命といったものは、帝国そっくりの独裁体制を生んでしまった。アメリカも物騒な国家ではあったが、少なくとも独裁者が統治するような仕組みを作らずに済んだようである。ポイントは制度である。制度設計が成功しているか否かである。ロシア革命も壮大な社会実験だったし、アメリカの独立も壮大な社会実験だった。そして、ソヴィエト連邦や中国のような国においては、結局は独裁主義になってしまった。これは制度設計が失敗しているのだ。アメリカという国家が今も多くの問題を抱えているのは事実であるが、それでも今のロシアや中国よりはマシなのである。

・ヒトの互恵的利他主義から来る共産主義を求める思考は、赤ちゃんの頃から公平さを求めるヒトの本能に結びついてるわけだが、バイオロジカルマーケット理論の視点から見ると、市場経済によって成立する資本主義もまたヒトの本能と結びついている。だとしたら、共産主義か資本主義か?といった二択を問題視したのは、歴史的なミス、というか認識論的な誤謬だったのではないだろうか。人類は馬鹿なようでいて賢い動物なので、妥協とか適当なところで手を打つという選択肢がある。我々は妥協という言葉をあまり良くないニュアンスで使うことが多いが、妥協こそヒトの叡智なのだ。たとえば過去には、固有資産や市場経済を否定しない社会主義というものも考えられたことがあったのである。そして今はベーシックインカムが注目されている。色んなアイデアをかき集めて、いいとこ取りするのが最善の道なのだ。

・本書のテーマである、ロックの正体とは何か?ロックの誕生は、そもそも言葉や音楽といった文化を奪われて歴史を切断された黒人奴隷の音楽を、10代の白人が物真似したことに始まる。それは、黒人奴隷にとってはゼロからのスタートだったために、人類の歴史の、大きな転換期に起きた出来事をもう一度再現するような出来事であった。物真似から初めて、未来を創造する行為、それこそがロックの正体である。それを著者は、広域スペクトル革命の文化的な再現と呼んでいる。

・ロックの未来がどうなるかは、おそらく誰にもわからない。60年代的な意味の反逆のロックはとうに終わったし、70年代的なロックも蕩尽の果てに終わったが、ローリング・ストーンズは今も「サティスファクション」を演奏している。「サティスファクション」の歌詞に込められた反逆のロック的な理念は、形骸化することで歴史になったのだ。ミックがお爺さんになった今も歌い続けているのは、歴史を歴史として表象するためである。何事であれ歴史として記録することはヒトの叡智なのだ。本当に色々あったけれども、ロックを愛する人たちが老人になることで、この文化はようやく完成したのである。

・最後に付いているブックガイドが充実している。本書を構成する16章全てに参考文献が割り付けられている。とくに気になったのは、ヒトの脳の使い方について考えを改め、より良い頭の使い方を知りたい人のために以下の4冊をお勧めするーと推薦されているのが、「ダニエル・C・デネット/思考の技法ー直観ポンプと77の思考術」「ヤン・エルスター/社会科学の道具箱ー合理的選択理論入門」「戸田山和久/思考の教室ーじょうずに考えるレッスン」「植原亮/思考力改善ドリルー批判的思考から科学的思考へ」である。60年代のカウンターカルチャーは躓いてしまったが、大勢の若者がサルトルと共に間違えるよりも、多くの人びとが科学的思考を身につけた方が社会はより良い方向に進むのだと著者は述べている。