今年のGWに茨城へ帰省したときのレポートです(2025年5月1日~5月3日)。3日目の帰る途中で水戸に寄ってきました。
私は茨城県で育ち、実家は今も茨城県にあって年に2、3回帰っていますが、県庁所在地の水戸市にはあまり行ったことがありません。そこで今回は、実家から横浜に帰る途中で、水戸に行ってみました。水戸線の新治駅からいつもとは反対方向の友部駅に乗り、常磐線に乗り換えて水戸駅まで行きました。水戸の観光地といえば、水戸城跡、偕楽園、仙波湖ですが、そのなかの水戸城跡と仙波湖を見てきました。
水戸駅で下りて、重いザックをコインロッカーに預けたかったのですが、数が少なくて空きがないので、仕方なくザックをかついで水戸城跡を周ることにしました。水戸駅北口から北に向かって歩くとすぐ水戸城跡に着きました。前に見える橋は大手橋です。今歩いているところは空堀で、左の丘が三の丸、右の丘が二の丸になります。目前の階段を上ります。
まずは、右(東)側の二の丸に入ります。これは大手門。
二の丸の中心には広い道路があって、その両側には史跡を残しながら、敷地が幼稚園、小学校、中学校、高校して利用されています。
地図で見ると、今いるのがD(大手門)からE(展示館)のあたり。東のJ(薬医門)まで行って、西に引き返して、C(大手橋)を渡ってB(弘道館)に行きます。
二の丸から本丸をつなぐ本城橋を渡ります。下に見えるのは、空堀だったところで、現在はJR水郡線が通っています。
本丸に現在あるのが、県立水戸第一高等学校。我々茨城で育った人間にとっては、「みといちこう」は特別なひびきのある、茨城県のトップ進学校です。
水戸一高の入口近くには、薬医門という史跡も残っています。
道を引き返してきて、つぎは三の丸に入りました。ここにあるのが弘道館。徳川斉昭(なりあき)が創設した藩校です。大河ドラマ「青天を衝け」に出てくる竹中直人演じる斉昭の印象は強烈でした。怒りにまかせて、水戸城内で大砲を打ち続けたりと、よく覚えています。
玄関を入ってまず目に入るのが、尊攘(尊王攘夷)の書で、斉昭の思想でした。
部屋の外側には畳の廊下があって、その外側に板張りの縁側があるという、ぜいたくな造りになっています。
衣類などの保存・運搬に使われる長持。明治時代になって、徳川慶喜(よしのぶ)がここで謹慎していた時に使っていたものだそうです。
水戸藩が250年かけて作った歴史書「大日本史」。
弘道館を取り囲んでいる庭園も見ることができます。
武術の試験が行われたという対試場。
いったん水戸駅に戻って昼食を済ませました。ロッカーの空きを見つけたので、ザックを預けて、今度は水戸駅南口から仙波湖に行きます。写真は仙波湖の東の端。ここから、時計回りで1周します。
歩き始めたら、あまりに広くて、1周できるのか少し不安になってきました。江戸時代には湖の面積がこの3倍もあったらしく、水戸駅や水戸城の近くまで湖でした。
コクチョウの家族がやってきました。私の反対で、反時計回りに湖畔を周っているようです。
ヒナを2羽連れていて、可愛いったらありゃしない。このあと、近くの女の子たちが集まってきました。
カモ類が多いようです。
やっと湖の西の端に到達しました。コイノボリが泳いでいます。
と思って足元を見たら、おびただしい数のコイが集まっているじゃないですか。エサやりに集まっているようです。
定番のハクチョウのボートもあります。
西端から東端に戻ります。右の仙波湖と左の桜川はこの道で隔たっています。
ともかく、仙波湖を1周することができました。このあと常磐線で帰りました。