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僕の読書ノート「昭和史七つの謎と七大事件(保阪正康)」

2020-09-22 16:07:29 | 書評(その他)

毎年、広島・長崎の原爆記念日、終戦記念日を迎えるたびに、日本はなんであのような醜悪な戦争をやってしまったのかと思うのだが、はっきりとした理由を理解できていない。いろいろな出来事がドミノ倒しのように起きて、その流れで必然として戦争が起きたというような、ぼんやりとした印象しか持っていなかった。それで、日本が太平洋戦争を起こした理由をきちっと整理して説明している本を探していたところ、本書に出会った。

本書は、2009年刊の「太平洋戦争、七つの謎」と2011年刊の「日本を変えた昭和史七大事件」を合本にして2020年5月に出版されたものである。昭和史全体を振り返る内容になっているが、太平洋戦争へと牽引した政治・行政の流れを浮かび上がらせることで、日本はなぜ戦争を起こしたのかを冷静に分析している。

 

第一部の「太平洋戦争、七つの謎」のまえがきにおいて、戦争を起こした原因が要約されている。戦争に至った流れを分析した結果、学ぶべき教訓として次の3点を挙げている。

①軍官僚は戦争を自らの功績の手段に使った(出世)。

②官僚政治はつまるところ責任を負わない(無責任)。

③官僚の執務の基準は時代であり、歴史ではない(反歴史)。

東条英機をはじめとして、こうした資質を備えた軍人だけが軍事上の中枢に入ることができて、戦争を進めたのである。このような資質は、現代の日本の官僚の高位の者にもうかがえるという。

そして、こう述べている。「近代日本において、軍官僚は本来なら最も人間的な修練を積まなければならなかった。なぜなら、彼らの命令は国民の生死に直接関わるからである。ところが3年8カ月の戦争の期間、軍事指導者は戦況の悪化とともに、次第に国民の命をモノのように扱っていく。ある戦場では食料も武器弾薬も無いのに、とにかく「戦って死ね」と命令する。少なくとも20世紀の戦争では、どの国も大体は現場を指揮する司令官の判断で捕虜になる道を選ぶことができた。兵士を無駄に死なせてはいけないのだ。いわば、それが戦争のルールであった。」このように、日本の戦争のやり方は、世界の中ではかなり異質なものであった。そして、本来、国の上に立つ者は国民の命を守ることが仕事なのに、日本では反対に、国民の命をモノとしてしか見ていなかった。つまり、まともな「人間の心」を持っていなかったということになる。

また、「日本ではそういう(捕虜になる道を選ぶ)権利は司令官には与えられていない。東京の大本営が決定するのである。彼らは、戦場で兵士がどれほど辛苦を舐めているかを考えない。考えたら命令は出せない、となるのだが、一方で考えない装置も作っていた。それが「天皇のため」という建前であった。天皇の名を出すことによって、自らの責任を自覚しないのである。昭和天皇が、いかに戦争の局面ごとに苦悩を続けていたかなどは考えていない」と述べている。つまり、軍部は「天皇のための戦争」という泣く子も黙るスローガンをうまく利用していただけであり、心中では天皇を敬うこともなく、むしろ責任は天皇に押し付けようとしていたようにも取れる。

さらに、戦争計画が稚拙だったために、どこかの時点で戦争を止めるという発想がそもそもなく、多くの軍人や国民を死に至らしめ国土を荒廃させ、とうとう原爆投下を受けるまでに至ってしまった。しかし、原爆投下を受けても敗戦を認めずに戦争を継続させるためにクーデターを起こそうとしていた勢力がいたというから驚きである。最終的には、天皇が自らの意志を示して戦争を終わらせたのである。

もし、この時点で敗戦を認めていなかったら、本土決戦が現実になったことが予想されている。アメリカは九州や関東、東海に侵攻することを計画していた。一方、すでに樺太と千島列島まで来ていたソ連が北海道から東北地方まで押さえた可能性が指摘されている。日本は、今の南北朝鮮のようになっていたかもしれない。千島列島の一部である北方領土を、ロシアはいまだに日本に返還していないことは周知の事実である。

特攻隊については、自らの命を国に捧げた悲しい美談として語られることが多いかもしれないが、実際はそれだけではなかったようである。特攻隊の人たちには、まっとうで客観的な判断力があった。例えば、彼らの間では、アメリカ軍は自分たち特攻隊に対して「わざわざ自殺しに来るとは間抜けな奴だと笑うだろうよ」という自虐的な発言があったり、アメリカ軍の空母に体当たりしていくときに、基地への無線で「海軍の馬鹿ヤロー!」などと呪いの言葉を吐いて死んでいった隊員が少なくないという。

日本と違ってアメリカなどの国々では兵士を大切に扱っていた。「アメリカ軍の内実を調べていて驚かされるのは、戦場に立つ人間の心理は平時の生活とはまったく異なるだけに、独自の救済措置をもっていなければいけないと配慮されていることだ。アメリカ軍などは、一定の規模をもつ部隊には必ず牧師や心理カウンセラーが配置されている」ということだ。私も最近読んだ本で、現代のアメリカ陸軍は超一流の心理学者の指導の下で、兵士の精神的ケアのためのプログラム作成に相当な努力を払っていることを知った(ポジティブ心理学の挑戦(マーティン・セリグマン))。

 

第二部の「日本を変えた昭和史七大事件」では、5・15事件、2・26事件、太平洋戦争、敗戦と占領、60年安保、三島事件、ロッキード事件の7つの事件が取り上げられている。それぞれに、日本の独特な歴史の流れがわかって興味深い。

それらの事件の多くに共通するキーワードが出てくる。「純粋」である。歴史において事件が起きるときに必ず起こるのが「動機至純論」である。「動機至純論」とは、行為の善悪、あるいは方法はどうであれ、その行為に至った動機が純粋で至高のものならば一定の評価をするという尺度で、古くから日本人のメンタリティーに強く刻印されている。政治の領域に「純粋」を持ちこむことで、「狂的な状態」になると言っているが、私もその通りだと思う。「動機至純論」が是認されれば、歴史から教訓を学ぶという姿勢も無意味となり、テロリズムを容認することになる。これは、三島事件にわかりやすく表れている。近年、愛国を謳った百田尚樹の本が売れるという現象起きているが、そこには大衆が望む「感動」をうまく活用してきたからだという指摘があり(ルポ 百田尚樹現象: 愛国ポピュリズムの現在地(石戸諭))、日本人が「純粋」に惹かれるというマインドとつながるものがあると感じた。

そして、日本にだけ起きた特攻、玉砕、原爆投下といったことを、人類の生存という根源的な問題に関わる対象として、人類史に当てはめて考える必要があると著者が述べていることはとても重要なことだと感じた。



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