夏休みに茨城県の実家に帰ったおり、城下町の結城に寄ってきました(2022年8月11日)。最近は、故郷の名所・観光地巡りをするようにしています。この3月には城下町の真壁に行っています。
実家の庭に咲くハギのような植物。
ケイトウ。
これは何でしょう?
真壁の旧市街もそうですが、ここ結城市もはじめて来たところです。ふだん用事がないので仕方がないのです。まずは、結城城址から見てみます。城跡の北側に父の車を停めてもらって、見に行きます。
土塁(堤防)や堀があったような地形です。
土塁を上がると、いろいろと記念碑が建てられています。ここは、結城合戦があった場所で、それにちなんだタイムカプセルが埋まっているということのようです。
結城城ナンタラカンタラ記念碑と書かれています。読めません。
水野家顕彰碑。結城家は鎌倉時代から安土桃山時代までここの城主でしたが、江戸時代は水野家がこの地を統治しました。
城跡公園として残されていますが、城のような建物はまったくありません。
城跡公園の一角にある聡敏(そうびん)神社は、水野家を祀っています。
結城蔵美館。ここの本蔵では、近隣で作家活動をしている人の作品展示と販売を行っていて、我々が行ったときは、写真展が行われていました。
こちらの袖蔵では、結城の歴史の展示がされています。
結城の歴史年表です。左から2行目に、結城氏初代朝光(ともみつ)のことが書かれています。朝光の母は源頼朝の乳母の一人であり、朝光は頼朝から結城の地を与えられたそうです。大河ドラマ「鎌倉殿の13人」では、実衣に琵琶を教える役で出てきますが、2代目将軍源頼家をあまり快く思わないことが梶原景時にとがめられ、成敗されそうになったところ、御家人集団に助けられ、逆に梶原景時が滅ぼされるというストーリーが描かれていました。結城家はこの後、400年にわたって結城の養蚕産業と結城紬を発展させていくことになります。
水野家家臣の甲冑。
天下三名槍という「御手杵の槍」。戦闘に使ったわけではなく、陣地に目印として立てたそうです。下の写真は、熊毛で作られた鞘(さや)です。
街に点在する国登録有形文化財の見世蔵。
紬問屋の奥順。現在も店舗として使用されているそうです。
ここの屋敷は、つむぎの館として、中まで見学できます。
結城紬は2010年、ユネスコ無形文化遺産に登録されています。
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