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wakabyの物見遊山

身近な観光、読書、進化学と硬軟とりまぜたブログ

僕の読書ノート「私が見た未来 完全版(たつき諒)」

2025-05-31 07:46:35 | 書評(その他)

 

2025年7月、あるいは7月5日に、台湾と沖縄の沖のあたりで、海底火山か爆弾かなんらかの理由で大きな津波が生じ、太平洋周辺の国に押し寄せるという大災難の夢をなんどか見たので、人びとに伝えたいという本である。漫画本であるが、その予知夢については、夢日記と文章で説明されている。

私はこれを読んで、陰謀論、エセ科学、商売目的というふんいきは感じなかった。非科学的かというと、そういう感じもしなくて、未来のことが見えるという現象は、現代の量子論や宇宙論から考えたら、あり得ないとは言えないのではないだろうか。また、これまで見てきて当たった複数の予知夢のことを統計学的に解析したら、そうとう高い確率で今後も当たりそうである(もちろん、統計学的には当たらない場合もあり得る)。むしろ、スピリチュアル系の人たち、江原啓之氏などはこの予言に対して否定的だが、あまり説得力を感じない。

もう一つ気になったのは、ペンネームのたつき諒さんの漢字での苗字「竜樹」である。これを「りゅうじゅ」と呼ぶと、2世紀のインドの仏教僧「ナーガールジュナ」のことである。大乗仏教の祖と言われている。たつき諒さんは、どのような意図で「竜樹」と称するようになったのだろうか。

以前から、南海トラフ地震などの日本近海での大地震や富士山噴火等はいつ起きてもおかしくないと言われているのである。そういうわけで、100%起きると信じているわけではないが、よい機会なので、7月に向けて点検と準備をしている。たつきさんもこう書いている。「大切なのは、準備すること。災難の後の生き方を考えて、今から準備・行動しておくことの重要さを改めて認識してほしいのです」

 

横浜在住の私が個人的に進めているのは:

・7月4日(金)と5日(土)は、なるべく家に居るようにする。家族にもできるだけそうするように伝える。さいわい、家があるのは海沿いや低地ではない。

・7月中は、あまり海岸近くには行かない。行ったとしても、ビルや丘の上など避難できる場所をつねに意識する。そして、なるべく遠出もしない。それを家族にも勧める。

・家族内の連絡用にスマホへLINEを導入する(私は未だに使っていなかった)。

・災害用の食糧セットを、買い替える。賞味期限が過ぎてしまったものも、念のため7月中は残しておく。買い置きのミネラルウォーターも確認する。

・災害時に使える各種グッズ(簡易トイレ、レジャーテント、卓上コンロのガスボンベ、手動式充電ラジオ、などなど)の動作確認をする。


2025GWの帰省②ー水戸城跡と仙波湖

2025-05-24 08:16:08 | 茨城・栃木・埼玉

今年のGWに茨城へ帰省したときのレポートです(2025年5月1日~5月3日)。3日目の帰る途中で水戸に寄ってきました。

私は茨城県で育ち、実家は今も茨城県にあって年に2、3回帰っていますが、県庁所在地の水戸市にはあまり行ったことがありません。そこで今回は、実家から横浜に帰る途中で、水戸に行ってみました。水戸線の新治駅からいつもとは反対方向の友部駅に乗り、常磐線に乗り換えて水戸駅まで行きました。水戸の観光地といえば、水戸城跡、偕楽園、仙波湖ですが、そのなかの水戸城跡と仙波湖を見てきました。

 

水戸駅で下りて、重いザックをコインロッカーに預けたかったのですが、数が少なくて空きがないので、仕方なくザックをかついで水戸城跡を周ることにしました。水戸駅北口から北に向かって歩くとすぐ水戸城跡に着きました。前に見える橋は大手橋です。今歩いているところは空堀で、左の丘が三の丸、右の丘が二の丸になります。目前の階段を上ります。

 

まずは、右(東)側の二の丸に入ります。これは大手門。

 

二の丸の中心には広い道路があって、その両側には史跡を残しながら、敷地が幼稚園、小学校、中学校、高校して利用されています。

 

地図で見ると、今いるのがD(大手門)からE(展示館)のあたり。東のJ(薬医門)まで行って、西に引き返して、C(大手橋)を渡ってB(弘道館)に行きます。

 

二の丸から本丸をつなぐ本城橋を渡ります。下に見えるのは、空堀だったところで、現在はJR水郡線が通っています。

 

本丸に現在あるのが、県立水戸第一高等学校。我々茨城で育った人間にとっては、「みといちこう」は特別なひびきのある、茨城県のトップ進学校です。

 

水戸一高の入口近くには、薬医門という史跡も残っています。

 

道を引き返してきて、つぎは三の丸に入りました。ここにあるのが弘道館。徳川斉昭(なりあき)が創設した藩校です。大河ドラマ「青天を衝け」に出てくる竹中直人演じる斉昭の印象は強烈でした。怒りにまかせて、水戸城内で大砲を打ち続けたりと、よく覚えています。

 

玄関を入ってまず目に入るのが、尊攘(尊王攘夷)の書で、斉昭の思想でした。

 

部屋の外側には畳の廊下があって、その外側に板張りの縁側があるという、ぜいたくな造りになっています。

 

衣類などの保存・運搬に使われる長持。明治時代になって、徳川慶喜(よしのぶ)がここで謹慎していた時に使っていたものだそうです。

 

水戸藩が250年かけて作った歴史書「大日本史」。

 

弘道館を取り囲んでいる庭園も見ることができます。

武術の試験が行われたという対試場。

 

いったん水戸駅に戻って昼食を済ませました。ロッカーの空きを見つけたので、ザックを預けて、今度は水戸駅南口から仙波湖に行きます。写真は仙波湖の東の端。ここから、時計回りで1周します。

 

歩き始めたら、あまりに広くて、1周できるのか少し不安になってきました。江戸時代には湖の面積がこの3倍もあったらしく、水戸駅や水戸城の近くまで湖でした。

 

コクチョウの家族がやってきました。私の反対で、反時計回りに湖畔を周っているようです。

ヒナを2羽連れていて、可愛いったらありゃしない。このあと、近くの女の子たちが集まってきました。

 

カモ類が多いようです。

 

やっと湖の西の端に到達しました。コイノボリが泳いでいます。

 

と思って足元を見たら、おびただしい数のコイが集まっているじゃないですか。エサやりに集まっているようです。

 

定番のハクチョウのボートもあります。

 

西端から東端に戻ります。右の仙波湖と左の桜川はこの道で隔たっています。

ともかく、仙波湖を1周することができました。このあと常磐線で帰りました。


2025GWの帰省①ーネコ屋敷のその後

2025-05-17 09:07:30 | 猫・犬

今年のGWに茨城へ帰省したときのレポートです(2025年5月1日~5月3日)。まずは、ネコ屋敷のその後について。

2021年7月頃からネコを飼い始めた実家では、だんだんネコの匹数が増えていき、2025年1月時点ではカオス状態に突入していました。家の中で8~15匹(うち約10匹は家を出入している)のネコたちが駆け回り、家中に悪臭が充満し床は汚れ、人にとってもネコにとっても悪辣な環境になってしまいました。

この状況に対して、私1人ではどうすることもできませんでしたが、妻が解決に向けて活躍してくれました。実家にいるネコを増やしてしまったひきこもり人(アニマルホーダーという精神的障害者の一種と言ってもいいでしょう)とその影響下にあった父を説得することで、地元の動物愛護のボランティアさんの助けを借りて、だいぶ匹数を減らすことができました。こういう時、私よりコミュ力が高くて言葉の圧が強い妻は力を発揮するのです。

 

では、実家のネコを見ていきましょう。

No.1(シロ、凶暴ネコ)は、エサが合わなくて体調不良のようですが、私がケージの前を通ったときに、爪を出してひっかかれましたので、油断できません。

 

No.3(アビシニアン似、茶トラネコ)は、臆病で私がいるとすぐ隠れてしまいます。これは、コタツに隠れているところ。

 

No.4(シャム似ネコ)はあいかわらず人懐っこいです。

 

他には、家に入ってきた母ネコが生んだ子猫5匹と、家に出入りしていた野良ネコ10匹については、引き取り先が見つかったか、里親募集をしているネコカフェに入ってもらいました。これらについては、去勢・不妊手術をしてから引き渡していますので、それなりの出費はありました。母ネコについては、きほん外で生活していて、この6日間くらいは家に来ていないとのこと。家に出入りしていた野良ネコのうち病弱だった1匹については、家で引き取ったそうで、最近、口内炎で手術を受けさせたとのこと。このネコは、No.3ネコよりさらに臆病で、部屋の暗いところにひそんでいます。ひきこもりネコといってもいいかもしれません。これを含めた4匹は、家で飼っても、それなりの面倒は見てやれるキャパシティー内でしょう。

未解決案件としては、下写真の野良ネコ1匹がまだ家に出入しています。

そして、外にはエサが置かれていて、野良ネコ約1匹が食べにくるそうです。この2匹をなんとかするように、強く頼んできました。まだ完全解決までには至っていませんが、多頭飼育崩壊になる直前で食い止めることができました。昔と違って、動物愛護や動物福祉について社会の理解が深まり、それに向けた行政や民間による啓蒙活動や保護活動も盛んになっています。そういう新しい情報を集めたり、そうした人たちに助けを求めることで、思った以上に問題を小さくすることができるものだというのが、今回の実感ですね。


僕の読書ノート「山と高原地図 筑波山・加波山 高鈴山・奥久慈男体山 2024(昭文社地図編集部)」

2025-05-10 08:22:10 | 書評(その他)

 

昭文社の「山と高原地図」は、以前から丹沢のものを使っている。私の実家は茨城にあり、近くの筑波山には、いつもロープウェーで頂上まで上がっていたから、ちゃんと自分の足で登ったことがない。それで、ずっと足で登りたかったのだが、筑波山の「山と高原地図」がないと思っていたところ、2024年についに本書が新刊として出た。これをガイドにして登れば安心だ。地図には、筑波山以外にも、加波山、雨引山、雨巻山と、このあたりで気になっていた山の詳細な登山経路が載っているので、いろいろな山登りに役立ちそうだ。

また本書には、大野久氏の調査執筆によるコースガイドが付いている。茨城の山の様々な登山コースが紹介されている。それも参考になりそうだ。筑波山だけでも、3つのコースが提案されている。大野氏は、17年も丹沢の山小屋の管理人をされていた方で、「山と高原地図」丹沢編も執筆していたので、以前からお世話になっていたことになる。その大野氏は、茨城県の山のことを「里山と岩との融合」と言っている。茨城県の山と岩とは切っても切り離せないという。筑波山、加波山には花崗岩の巨石、奇石があるという。現在も採掘されているかどうかわからないが、加波山や富谷山には大規模な石切り場があって、採掘されたあとの痛々しい岩肌が残っている。

このあたりの山に登るときは、岩を気にしてみよう。


僕の読書ノート「カラー図説 生命の大進化40億年史 新生代編 哺乳類の時代(土屋健)」

2025-05-06 08:18:12 | 書評(進化学とその周辺)

 

「カラー図説 生命の大進化40億年史シリーズ」3冊目の本書は、新生代に生息していた動物(脊椎動物)たちを、骨格標本と生体の復元図、そして説明の文章で紹介した、コンパクトな図鑑といってもいいような本である。恐竜絶滅後の新生代だから、哺乳類が中心であるが、鳥類や爬虫類も少しは出てくる。名前では聞いたことがあるけれど化石でしか見れない動物でも、本書にあたれば、生きていた当時の姿がだいたいわかるかもしれない。

本書の構成は、新生代の地質年代順ー古第三紀(暁新世・始新世・漸新世)・新第三紀(中新世・鮮新世)・第四紀(更新世・完新世)ーに、その時代に現れた動物たちが並べられている。古生物学の世界ではこのような並べ方が親和性が高いのかもしれないが、私としては、動物群ごとー例えば食肉類とか、ペンギン類とかごとーに時代順に並べてもらったほうが理解しやすかったように思う。著者が本書のあとに出版した「サピエンス前史」ではそのような構成になっていたので、進化の過程がわかりやすかった。

陸上で暮らす哺乳類と、水中で暮らす哺乳類では、出産時の胎児の向きが逆らしい。陸上で暮らす哺乳類は、頭から産む。つまり、母体からは、頭が先に出る。一方、水棲哺乳類は、尾からであることが多いという。これは、哺乳類の呼吸法と関係している。哺乳類の呼吸は肺呼吸であり。水棲種であっても水中では呼吸できず、水面から顔を出す必要がある。水中における出産に際して何らかの理由で時間がかかった場合、頭から産んでいたとしたら子は呼吸できなくなって窒息死してします。尾から先に出すことで、子の頭部をぎりぎりまで母体内に残し、出産したらすぐに水面で呼吸できるようにする。その方が安全だ。クジラの現生種は水中で子を出産する。一方、水中へ進出する途上にあるムカシクジラ類のマイアケトゥスの化石の体内にいた胎児は頭部が後方に向いていたことから、頭から産む方式であり、出産が陸上で行われていた可能性が考えられた。

白亜紀末(中生代)までは「真獣類(有胎盤類)」と一括りにせざるを得なかった小さな分類群の中に、大量絶滅事件のあった約6600万年前から始まった新生代に突如として多くのグループが出現した。知られている限りの化石記録をみると、この爆発的な多様化は、暁新世が始まってからわずか数十万年以内に起きていたようだという。もっとも、化石が発見されていないだけ、あるいは、既知の化石に「分類できる明瞭な特徴」が確認されていないだけで、真獣類の多様化は白亜紀にはかなり進行していたという指摘もある(分子進化学からの知見についても目配りがされていた)。

北アメリカの第四紀を代表するイヌ類がダイアウルフだ。ウルフとはいっても、オオカミではない。新しい時代の化石なので、化石5個体から遺伝子採集をすることに成功し、2021年にその分析結果が発表された。同じイヌ類でも、オオカミやイヌより、セグロジャッカルやヨコスジジャッカルなどに近縁だったらしい(最近、米国のコロッサル・バイオサイエンシズ社が、「絶滅したダイアウルフを復活させた」と発表したが、実際のところはハイイロオオカミの遺伝子の20ヶ所をダイアウルフのものに置き換えただけであり、これではダイアウルフとは言えないと批判があがっている)。

更新世末にあたる約1万年前、とくに大型の哺乳類が次々と姿を消す「絶滅事件」があった。この事件に、当時すでに本格的な繁栄を始めていたホモ・サピエンスが関与していたという説があり、「過剰殺戮(オーバーキル)説」という。また、「気候変動説」もあるが、その両者が原因となった可能性もある。どちらも、現在の私たちが直面する問題でもあるが、解決のための答えはまだ出ていない。