wakabyの物見遊山

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わが子の命を奪われたら...

2022-09-10 08:10:25 | つぶやき

ここのところ寝苦しい夜が続いています。夜中に目がさめてしまうのです。バスの中に閉じ込められて命を奪われた3才の女の子のことが浮かんできて、可哀そうでいたたまれなくなります。つらすぎるので、できるだけテレビやネットのこのニュースは見ないようにしています。それでも、女の子が水筒の水を飲みほして、服を脱いでなんとか生きようとしていたこと、記者会見では園の人がヘラヘラ笑っていたというようなタイトルが目に入ってしまいます。

私の脳の偏桃体が反応していて、クールダウンするのが大変です。そして頭に浮かぶのは、子供の命を奪ったわるいやつに復讐することです。人の命を軽々しく考えている人間を許せません。わが子の命を奪われたらと思うと、そうすることが脳裏に浮かびます。

そんなことをして子供が帰ってくるわけでもないし、救われるわけでもないし、自分の人生を棒にふることにもなります。社会的に許されることでもありません。でも、それをしないで、何をするのでしょう?

これは心の叫びだと思ってください。理性的には許されないことであることぐらいはよくわかっています。しかし、復讐は野蛮なことと思われているかもしれませんが、哺乳類でもそれをするのは、ゾウやヒトくらいの認知能力がかなり高い動物だけです。現代社会で、私たちはこうした心の叫びを無意識まで押し込んで、何もなかったように生きていますが、人間の本性として強く残っているのではないでしょうか。その本性が、私たちの社会を公正に平和にしていくことと関係しているのだという気がしています。

そして、間違っても自分がああいう人間にはならないように、人の命を大切にするよう心を引き締めて生きていかなければという思いを強くしました。

 

亡くなられた女の子が天国で幸せになれることを、ただただ祈っています。

 


33 悪魔バービマンがいった、「子のある者は子について喜び、また牛のある者は牛について喜ぶ。人間の執着するもとのものは喜びである。執着するもとのもののない人は、実に喜ぶことがない。」

34 師は答えた、「子のある者は子について憂い、また牛のある者は牛について憂う。実に人間の憂いは執着するもとのものである。執着するもとのもののない人は、憂うることがない。」

(「ブッダのことば ―スッタニパータ―」中村元訳、岩波文庫より)



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