がじゅまるの樹の下で。

*琉球歴女による、琉球の歴史文化を楽しむブログ*

当サイトの掲載写真・イラスト等の無断転載/無断使用を禁じます

めんそ~れ♪

3000年01月01日 | ・徒然日記

  

  

  


この記事をはてなブックマークに追加

*お知らせ*

2018年04月01日 | ・徒然日記

 

新年度ですね。

ここでお知らせです。

 

新年度の超繁忙期に伴い、
4月は更新頻度が落ちる見込みです。


去年はまるまる1か月、
更新をお休みしたので
今年もそうなるか…
たまーーには更新できるか…

 

ちょっとわかりません。

 

おそらくツイートも減るとは思いますが
ブログよりは気軽なので
ツイッターではちょこちょこは更新すると思います。

 

 

 

 

先日、久々に南山のグスク巡り(新規開拓)をして、
グスクカウント95まで来ました。

沖縄の寺社ネタも、
読んだ本も、たくさんあります…

 

表の仕事が落ち着いたら
またUPしていきますので
ご了承下さい。

 

年度始め、
環境が変わる人、役割が変わる人、リセットする人、
様々だと思いますが、
できるところから、楽しみながら頑張っていきましょう!


この記事をはてなブックマークに追加

2017年度最後は琉球伝信録

2018年03月31日 | ・現代版組踊レポ

現代版組踊舞台レビューについて


 

琉球伝信録

2018年3月31日(土)

てぃるるホール

那覇青少年舞台プログラム

(昼公演)

 

今年度最終日、
今年度最後の最後の現代版組踊公演に行ってきました。

 

琉球伝信録は立ち上げ(前身の『朝薫伝~赫き龍!舞うが如く~』)から
見てきている舞台。

朝薫伝から琉球伝信録とタイトルを変え、
登場人物(赤山とか)やストーリーを変化させながら
今のスタイルに固まったのが5年前の2012年度公演

 

すこし間が空いて、去年久々に観劇したのですが、
年度終わり・始めに忙殺され
レビューは書けぬまま…。

 

かろうじてツイッターにちょっとだけ
つぶやいていたのでこの機会にリンクを貼っておきます。

2017年3月公演の琉球伝信録→  

 

 

+ + +

 

 

さて、1年ぶりの観劇となった今回の琉球伝信録。

過去レビューにも書いている通り、
主人公の4名がどれも個性豊かで
キャラクターが立っていて
物語の中でうまく相互に絡み合って
深みがでてとても面白い。

脚本がまずスゴイ。

江戸上りや死去年が被る事、
政治的対立やその時の情勢など
この舞台を通して初めて知った事、
興味がわいて調べてみたことがいくつもあります。

新しいアンテナをたててもらった脚本にまずブラボー

 

そしてその脚本力に負けない
演者さんたちのパワー!

今回は特にそれを感じました。

誰かが強すぎて誰かが喰われることもないし、
誰かが影になりすぎることもなかったし、
誰かが善で誰かが悪とか、
誰かがメインで誰かがサブ、
という感じはなくて
(ストーリーテーラーの名護親方でも
単なるストーリーテーラーで終わることなく)

皆よくて、皆魅力的で、皆かっこよかった。

 

前回までは朝敏がはちゃめちゃキャラでかわいく、
そして悲劇の末路があるがゆえに
ほかの3名よりも主役感というかインパクトが強かったのですが
今回は4名それぞれの人間性や物語性が優劣なくどれもしっかり感じられ、
4名揃っているから「こそ」より良い、と感じました!

 

朝敏が捕らわれるところからの展開は
「その後」の部分まで含めて今回なんだかすごく心に響いて、
彼ら4名の存在を超えた「未来」を感じました。

主人公同士の対立や、処刑という悲劇もあり、
決してハッピーエンドでちゃんちゃん♪な展開じゃないのに、
すごく未来を感じたって、どうしてだろうね。

どうして涙がでたんだろうね。

決して、
朝敏可哀そう!の同情の涙でなく、
蔡温も朝薫も名護親方も、そして尚敬も含めて
それぞれの気持ちと言うか信念と言うか
熱い想いのようなものを感じて涙がでました。

自分でもうまくこの気持ちを分析できないんだけど、

とにかく、
心に迫るものがありました。

 

+ + +

 

尚敬がなー、すごくいいクッションになってると思った。

朝敏が処刑されて、動揺と迷いを隠せない尚敬と、
琉球の未来は明るいと、ピシャっと言い切る蔡温。

本当なら人気者・朝敏を死に追いやった
近寄りがたく怖い存在、蔡温のはずなんだけど、
そう言い切る彼のセリフにはなんだか希望があって。

(未来を信じきって言い切れれる人こそ最強のサポーターですよねぇ)

なんだか救われた気分になるのは尚敬が
1(蔡温)VS 3(他3名)のクッションとして間に入ることと、
天国の3人が楽しそうだったからなのかな。

 

 

今回は一貫してクールな蔡温だったけど、
もしかしたら、彼も痛みを抱えつつ琉球のために信念をつらぬいた
(信念をつらぬくためには自らも犠牲や痛みを伴う覚悟も必要)
のかもしれない。
冷酷さを装っていても、陰では密かに苦悩をにじませる一瞬があって…
という彼も見てみたいですね。

 

↑新里堅進著『まんが偉人伝 蔡温』より

 

ところで1734年の同じ年に主人公の3名が死ぬ、
というのは劇中でも語られるのですが、

朝敏が連行されてすぐのシーンだから
朝敏が先に死んだと思いきや、

朝薫→朝敏→名護親方(正確には1735年1月1日らしい?)
なんですねー。
(観劇後のググりタイム、今回は死んだ月日でした★)

そしたら、
朝敏が連行されるあの劇的なシーンで、
朝薫が朝敏を追おうとするも咳こんで(もしくは胸を押さえて)倒れて
名護親方が「朝薫殿!」って叫んで駆け寄って…
暗転
なんてのもありなのカシラ?

朝薫、死の布石。

こーゆーの、
よく漫画とかであるじゃない?(笑)

 

 

那覇バンドさん。

現代版組踊チームは数多かれど、
メンバーさんが演奏も手掛けているのは
阿麻和利と那覇の2チームだけです。

サポーターは入っていましたけど、
迫力のある生演奏、歌、
そしてノリノリのバンドメンバー。

すごく楽しそうでした♪

特にダイナミック琉球の前奏部分は
すごく良かったです!
(他舞台ではこれと同じ前奏アレンジはない……はず)

 

そうそう、この時の舞台上の演出、
個人的には幕開けの冒頭にも入れてほしかった!

幕開けの演出って
どれだけ期待値をあげられるか
その作品の世界観に観客をどれだけ引き込めるかが
重要だと思うので

今回の幕開けは、ナレーションがあって、
幕が開いたら明るい舞台に首里城幕のみ、
そして暗転、幕が閉まる
だったんですけど、

幕が開いてからぼうっと首里城幕に光りが入って、
4名の主人公のシルエット(もしくはスポットライト)が浮かび上がって
(ポーズをつけてもつけなくても)
そしてまたぼうっと暗転していくというプロローグ。

そして最後の最後のダイナミック琉球の冒頭で
この演出アゲイン+α

ナレーションもリピートになるから
演出も似た感じで冒頭とラストで2度出してもいいかなーと思いました☆

 

でも、それにすぐ続く女性アンサンブルさんの演舞では
衣装がリニューアルされてて華やかでステキだったな。
髪飾りもどこか簪の様で、ちょっと和風チック♡

 

ダイナミック琉球、
そういえば昔は朝薫の扇子バージョンの振付があったような…。
願わくば、復活希望★

 

+ + +

 

さて、
これにて2017年度の現代版組踊は全て終了!

各チーム、スタッフの皆様、お疲れ様でした!

 

また4月からは新メンバーを迎えて
新体制として再スタートする事でしょう。

メンバーの卒業はさびしいけれど、
こうやって毎年毎年メンバーが変わって
常に循環しているのが現代版組踊の良さでもあります。

また次年度の活動も期待しています!


この記事をはてなブックマークに追加

琉球/沖縄、一問一答 【第111問】

2018年03月27日 | ・琉球/沖縄、一問一答

【第111問】

 

鄭秉哲(ていへいてつ)が王府の命令で作った
琉球各地に起こったできごとを記録した書を何という?


 

(答えは下)

 

 

 

琉球/沖縄、一問一答シリーズについて

 

 

 

 

■ ■ ■ ■


 

 

 

【答え】

 

球陽

 

 

いわゆる王府編纂の歴史書(正史)のひとつなのですが、
各地で起こった出来事をたくさん載せているっていうのが
「中山世鑑」や「中山世譜」とは一味違ったポイント。

 

なお、球陽の外巻が「遺老説伝(いろうせつでん)


この記事をはてなブックマークに追加

6年ぶりの息吹、沖縄公演

2018年03月25日 | ・現代版組踊レポ

現代版組踊舞台レビューについて



息吹~南山義民喜四郎伝
ふくしまの元気発信公演

2018年3月24日(土)

かでな文化センター

 

夜公演を観劇しました!

息吹は福島県で活動している現代版組踊チーム。

6年ぶりの沖縄公演でした!
(6年前のレビューはこちら

 

今回はチーム息吹だけでなく
鹿児島県伊佐市のチームちむどんと、
沖縄県のチーム鬼鷲メンバーとの
コラボ公演!

他チームのメンバーが他チームの公演に
特別出演するというのはこれまでも
あったりしたので、
これまで通り演舞とか、
そのチームだけのワンシーン追加、とか
そういう感じだろうな、と思ってましたが、

 

主要キャストにもがっつりコラボ

 

でした。

ってか、カーテンコールでメンバー紹介されるまで
役者にも他チームがいるとは
全く気付きませんでした(!)。

 

それくらい、一体感があって、違和感なくて。

 

え、これってどうやって練習したの!?

演舞とかそのチームだけのワンシーンとかなら
それぞれで練習したのを
直前に立ち位置とか繋ぎを確認するだけでできるけど、
例えば、「南山義民」6人の中に鬼鷲メンバーがいたり(しかもリーダー格)、
主人公たちと直接対立する"悪役"の代官が伊佐メンバーだったりと
決して「ちょっと絡んでみました」レベルじゃない、がっつりキャスト。

 

主要キャストは絶対みんな息吹メンバーだと思ってたから
これには驚きましたね。

いくらネットやSNSがあるとは言え、
決して簡単なことではなく、
様々な努力があったに違いありません。

 

鬼鷲メンバー、ちむどんメンバーもブラボーでした!

 

ってゆーか、現代版組踊という可能性が
これでもっともっと広がった感じ!?

これまで以上に、チームの、そして都道府県の枠を超えて
色んなチャレンジができていきそうですね!!

 

恐るべし、現代版組踊!!

 

 

+ + +

 

 

鬼鷲コラボで今回特殊だったのは
やはり、鬼鷲メンバーでのワンシーン追加もあったこと。

冒頭、江戸城のシーンでの「慶賀使」、
徳川吉宗との謁見と、マミドーマの演舞。

尚敬やら冊封などの用語も飛び出てました。

 

気になったので帰って調べてみたら
(舞台観てアンテナ引っかかったら調べる!舞台後の楽しみ♪)
徳川吉宗の慶賀使は1718年に派遣されてますね。

ちょうどその年には尚敬の冊封もあって
そして組踊が誕生するっていうね、ちょうど300年前の、あの年です。

来週那覇チームが公演する「琉球伝信録」と繋がるじゃん!
とマニアックにツボりました(笑)

(この時の慶賀使は平敷屋朝敏も同行してたみたい。
どうせなら劇中に朝敏も出てたら良かったな♪
ここん所のセリフ、どれが誰なのか聞き取れなかったけど
もしいたのであればご容赦を)

 

息吹の物語は、松尾芭蕉が吉宗に南山の出来事(過去)を語る…と言う展開なので
1720年代の御蔵入騒動とは年代が多少前後するのですが、
なるほど、ここはフィクションとしてアレンジしたんですね。

勉強になりましたm(_ _)m

 

 

 

 

メンバーが増えたぶん、
演舞は迫力&華やかさ倍増!

 

前にもまして見応え抜群でした!

アンサンブル衣装はだいぶ変わりましたね。

髪の毛もおだんごじゃなくてポニテだったり
赤い袴っていうのも巫女っぽくて、
つまり「和」っぽくて琉球感とはちょっと違っててステキでした♪
(澪之助が好きそ~、と思ってたら案の定(笑))

前の染め布満載の衣装も好きでしたけど☆
(でも(前の)鬼鷲っぽいのよね。デザイナーさんが一緒?)

 

 

+ + +

 

 

リピート観劇の時(初見の時はさすがに主人公メインで観ますが)
私は主人公とは違う人たち(しかも悪役寄り)を注目しがちなんですが、
今回は、それが代官「山田」でした♡

主人公たちと敵対するいわゆる悪役のボス、なんですが、
悪さ全開、非道さ全開、嫌な奴全開!!
って感じではなく、
冷静さも兼ね備えた知的な悪役って感じでカッコよかった!

喜四郎を実際に手にかけるのは彼なんだけど
前回みたいに滅多斬り&高笑い、という感じはなくて
(これはこれで太鼓乱れ打ち+剣舞でかっこよかったのですが)
合掌して屍に敬意を表したりもして、
ちゃんと武士っぽかった。

だから蟄居させられたことには
ちょっとだけ同情もしたかな(笑)

 

肝高の阿麻和利やMOMOTOのスパイスが金丸であるように、
息吹のスパイスはズバリ、山田だな( ̄ ̄)ニヤリ

 

 

+ + +

 

 

そういえば、
この騒動(一揆)の時って民衆の連判状とかってあったのかな?

喜四郎たちが人目を避け、一人ずつ寺に集まって
話し合い、意を決するシーンも印象的でしたが、
連判状や血判、
盃を飲みまわす(一味神水、誓い・固めの盃)シーンとかがちょこっとあったら
彼らの覚悟と団結力、一心同体感も伝わるし、
その後の瓦解がより悲壮さを帯びるかも。

こういう歴史的なリアルエッセンス(所作や風習)が入ると
よりリアルな歴史劇っぽくなって好みだったりします♡

(『一揆の原理』を読んだからってのもある)

 

 


パンフレットより。
こういう歴史的資料・解説はありがたい。


 

 

 

前回、非常に印象的だった喜四郎が家族と別れて
雪道を行くシーンは、

今回ももう鉄板で、

雪の照明と共に白い半透明の幕がわーっと下りてきて、
一気に豪雪地帯の白い世界へ。

幕の後ろには喜四郎以外の3名の足取りや
別れた妻子の様子も映し出され…

ドラマ性倍増!!

吹雪の音とかももっと入ると
もっと「温度」を感じられていいかも( ˘ω˘ )

 

それから喜四郎が捕らわれ斬首されるシーン、好き。

大川渓流太鼓保存会による
和太鼓(カッコイイ♡)をBGMに繰り広げられ、

空手の型での喜四郎の抵抗と、
捕らわれてぼこぼこにされる様子が
喜四郎の体の動き(パントマイム)だけでよくわかる。

 

そして、
喜四郎最期の「叫び」は、
あえてここで「南会津」ではなく「福島」と言うあのセリフは、
まさに今の私たちに訴える叫びそのもの、ですね。

 

息吹の舞台の核はここにあり。

 

 

あと、
義民たちの死後のシーン。


中幕が開くと
6名の墓標の後ろに彼らがずらりと立っている、
というシーンは音楽の効果も相まって
大河ドラマのようで鳥肌がぶわ~っ!と…。

(やっぱりホールのフル生演奏はいいな…音の厚みが違う)

 

喜四郎や義右衛門の家族らが墓を訪れ、
霊魂となった彼らがそれを見守る。

そして村の子供たちが
義民六人の名前を斉唱する。

彼らの存在を、生きざまを、
子どもたちに伝えている、
伝わっている、
学んでいるという、
次の世代に語り継ぐ感が出てて
無邪気なあの子供たちの声が妙に心にしみるのです…。

息吹には小学生メンバーも結構いますが(小1から!)、
しっかりこの子供たちが活きている、
演者が幼いからこそ、の効果的な演出だと思います。

 

 

+ + +

 

 

6年前のレビューでも書いたけど、
この舞台は民衆が主人公の、
民衆力が表に出た舞台。

民衆の苦悩と、たくましさと、郷土を愛する心は
今の私たちとなんら変わるものではなくて。

だからこそ、
とても身近で、
メッセージ性の強い、
そんな舞台なのだと思います。

 

 

6年ぶりの息吹、
見ることができて幸いでした。

公演してくれたメンバーの皆さん、
スタッフの皆さん、

ありがとうございました!



142


この記事をはてなブックマークに追加

伊祖の高御墓

2018年03月23日 | ・琉球史散策/グスク時代

 

埋もれた写真データを発掘。

浦添市にあります、

「伊祖の高御墓(いそのたかうはか)」です。

 

昔、琉球が統一される(1429年)前までは
中山の中枢は首里ではなく浦添でした。

その浦添一帯を治めていたのが中山王、
尚巴志以前を遡ると、察度や英祖、(舜天)、の王統ということになります。

(察度代に首里遷都の説もあり)

 

 

このお墓は、
(今のところ)存在が確実視されている最初の中山王・英祖の、
父祖の墓です。

(舜天はまだ伝説の粋。
あ、でも英祖の一つ前の義本王は有力になってきてるのかな…!?)

 

なお、当の英祖王自身の墓は
浦添ようどれ」とされています。

 

 

なお、英祖の父は
伊祖グスクを拠点としていたと言われています。

 

 

お墓から振り返るとこう。

国道330が丸見え。

浦添大公園の所にあります。


この記事をはてなブックマークに追加

スーパー石敢當

2018年03月19日 | ・琉球歴史/文化風景

石敢當についての記事は
これまでもちょいちょい書いてきています。
(→   

 

石敢當は言わずと知れた
魔除けの石碑ですね。

 

沖縄ではいたるところにある石敢當ですが、
時々、石敢當の上に

「泰山(たいざん)」

とついたものを見ることはありませんか?

 

この「泰山」とは中国の霊山の名前で
この泰山付きの石敢當はより霊力が強い、

 

つまり、

 

スーパー石敢當!!

 

と言う事らしいです。

 

 

ところで、
建てられた年がはっきりしている(年号入りの)石敢當としては
県内最古とされる石敢當が、久米島にあります。

 

その石敢當が、

 

 

泰山入りのスーパー石敢當。

 

文字が見えにくくなっていますが、
両端には年号が。

 

 

雍正十一年(1733年)

八月吉日

とあります。

 

 

ちなみにこちらはT字路ではありませんでした。

海を眺めるように立っていました。


この記事をはてなブックマークに追加

遍照寺の今

2018年03月18日 | ・琉球歴史/文化風景

 

琉球のお寺についての話をもう少し。

首里の末吉の森に遍照寺(へんしょうじ)というお寺がありました。
尚泰久の時代に建てられ、
末吉宮の別当寺(神宮寺)として
末吉宮のすぐそばにありました。

 

元々は「万寿寺」と言う名前のお寺でしたが
近世になって薩摩の命により「遍照寺」と改名します。

 


遍照寺は組踊「執心鐘入」の舞台になった寺としても有名です。

テンペストでも主人公が晩年、
身を隠し過ごした場所として出てきます。

建物は沖縄戦で焼失。

現在は「遍照寺跡」として
一部石垣や香炉が残っているのみです。

(関連過去記事→  

 

 

なので、もう遍照寺はなくなったものだと思っていました

 

 

 

が、

 

 


ここん所の寺社マイブームで色々調べていたら…

 

 

 

…あった…!!

 

 

しかも、またもやこちらも沖縄市に。

 

 

これがあの、遍照寺なうだ!

 

 

 

 

 

…くっ…!!!(´;ω;`)

 

 

本土出身のショクバの先輩が
沖縄のお寺って、見た目が全然お寺っぽくないのにびっくりした
と言っていましたが(金武観音寺などそれらしい姿のもありはします)、
前記事の龍福寺と同様、その典型的な例でしょうか…。

 

沖縄戦のこともあるし、
台風などの自然条件、
戦後の情勢や、
寺社建築として再建築するだけの土台
(信者数やそれに関連しての資金面やサポートとか)
など、
本土とは違う事情が多くあるので
しょうがないことかもしれません…。

 

 

 

看板を見るとここは「琉球武術修道館」でもあるみたい。
館長・範士として住職の伊佐さんの名前が。

 

 

でもよく考えたら
遍照寺の霊苑のCMって前々からよくやってるよね。

遍照寺もうないものだと思い込んでいたので
今も沖縄市にあるって知るまで、
このCMの「遍照寺」と結びつくことはなかったよ…。

遍照寺かなさのホームページにもしっかりと遍照寺の経緯が載っています)


アレドモ見エズ ですね。

 

遍照寺沖縄市桃原霊苑かなさ_登川誠仁_ハワイやっさぁ篇_30秒CM


遍照寺うむい30秒テレビCM

 

今のは中尾彬が出てたりしてます。

 

中城にある遍照寺の霊苑「うむい」CM_02


この記事をはてなブックマークに追加

琉球におけるお寺の始まり

2018年03月17日 | ・琉球史散策/グスク時代

前記事の続き。

 

英祖王代、
琉球に初めて仏教を伝えたとされる
謎の人物、禅鑑。

その彼が開いたのが極楽寺です。

浦添グスクの近くにあったようで…
というのが前回までのお話。

 

さて、その極楽寺。

 

のちのち荒廃したので
「浦添グスクの西」から
「浦添グスクの北」に移転。
(尚巴志の頃ではとも考えられています)

 

しかし火事で焼失。

 

時はたち、
尚円王の時代に浦添村に移設し、
名前も「龍福寺」にチェンジ。

あの芥隠龍福寺の住職を務めています。

 

(なお、寺内には舜天から武寧までの各王様らの大硯屏があったようで
第一尚氏以前の王統の国廟的な役割もあったのかもしれません


1609年の薩摩侵攻の際、
龍福寺は焼き払われて再び焼失。

 

そして尚寧王が更に再建したのが
現在の浦添中学校のグラウンドあたり。

 

 

けっこう大きなお寺だったようです。

明治期の龍福寺の回想図がこちら。

 

 

その後の龍福寺は(おそらく官営としては)廃寺となり

大正初期に糸満市に移転。

そして大正末には更に沖縄市泡瀬に移転します。

 

 

…ん!?

沖縄市泡瀬!?

 

小中時代を過ごした私の庭でもある泡瀬。
泡瀬にお寺なんてあったっけ???

 

 

 

……はっ!!!

 

 

もしかして
ビジュルの向かいにあるアレか!!!

 

 

 

これが現在の龍福寺だ!!!!

 

 

 

 

まぎれもなく龍福寺!!!

 

外見はただの家に見えますが
立派なお寺!!

 

 

 

 

2つ隣の黄色い建物は龍福寺の文殊堂。

私が小さい時はこんなにハデな建物じゃなかったんだけどね(^^;)


建て替えられてリニューアルされています。

 

まさか、小さい頃から見ていたこの建物が
琉球で初めてのお寺の流れを汲む龍福寺(極楽寺)だったなんて……。

 

「雨城」の場所を知った時と同じくらいの衝撃。

 

これまではただの派手なちょっと異質な建物(失礼)
くらいにしか思ってなかったけど

俄然見え方が変わってきました

 

中には入ったことないんだけど、
今でも舜天~察度王代までを祀ってたりするのかな??

 

 

道沿いには立て看板もできてました。


琉球の寺の始まりって書いてるし!



参/
『琉球仏教史の研究』(知名定寛著/榕樹書林/2008)
『お欣和は仏教王国だった―仏教はなぜ定着しなかったかー』(川上正孝著/新星出版/2017)


この記事をはてなブックマークに追加

琉球における仏教の始まり

2018年03月14日 | ・琉球史散策/グスク時代

現在のマイブームは沖縄の神社と寺です。
(時々、琉球古来の神々)

という訳で、神社・寺関係の本も読み、巡り、
ブログに書きたいネタもたまっているのですが
全然更新が追いつかなくて
書こうと思っていたネタを
どんどん忘れていく今日この頃です。

 

でもインプットした物は
アウトプットして初めて知識として定着する、
ということを実感しているので
遅くなっても一つ一つ書いていけたらと思います。

 

そんな今日は、この人について。

 

渓隠&芥隠の時と同様、
キャラ(ビジュアル)化して右脳にアプロ―チ!

 

 

禅鑑(ぜんかん)です。

 

『琉球国由来記』によると
彼は琉球に初めて仏教を伝えたお坊さんとされています。

英祖王代(1200年代)のことです。


その人物像は謎で、どこから来たのかなどもよくわかっていないのですが、
琉球に流れ着いた彼は名をなのらず
ただ「補陀落(ふだらく)僧」と言ったそう。

 

球陽では彼の名前を禅鑑と書いており、
禅鑑とは後に琉球で名乗った、もしくは付けられた名前なのかな…?


そのことから「補陀落渡海」に関係のある者と考えられているそうですが、
「補陀落渡海」とは、海の遥か彼方に補陀落山という所があり
そこに観音菩薩が住んでいるという信仰の元、
この補陀落山を目指して小舟で海に漕ぎ出し、航海を続けるという行為。

 

もちろん、そのまま海に沈むことが常だったのでしょうが、
運よく(悪く?)潮に流されて、
どこぞの島にたどり着くこともあったわけです。

 

ってゆーか、彼は
たどり着いた先(琉球)が
観音様の住む補陀落山じゃなかったことを知り
落胆したのでは……
と個人的には想像するのですが
どうでしょうかね。

 

そして当時浦添一帯を治めていた英祖と会い、
英祖は禅鑑の話に感銘を受けたのでしょう。
彼のために浦添グスクのそばに「極楽寺」を建て、
禅鑑を住まわさせた…

よって極楽寺が琉球で初めの寺とされています。

 


現在、考古学の立場から浦添ようどれの前のあたりが
極楽寺跡では?と考えられているのだそうです。
(『首里城以前の王城・浦添グスクの調査』)



この極楽寺について追いかけてみたら
思いのほか面白かったので次記事に


つづく。



参/
『琉球仏教史の研究』(知名定寛著/榕樹書林/2008)
『お欣和は仏教王国だった―仏教はなぜ定着しなかったかー』(川上正孝著/新星出版/2017)
『沖縄大百科事典』


この記事をはてなブックマークに追加