がじゅまるの樹の下で。

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百十踏揚行脚~屋良グスク【裏】~

2011年09月27日 | ・『百十踏揚』を読ム

昨日の記事の続き。

屋良グスクの裏。

(ちなみに公園の遊具と案内板があるところを【表)としています)

裏に回ると、風景はガラリとその趣を変えて、
まるで森の中の散歩道のような空間になります。

隣には、比謝川。
(トップ写真)

ではここで、もうヒトツの百十踏揚行脚。

 

■屋良グスク【裏】■

 

屋良グスクは、比謝大川の南のほとりにあって、

当時は屋良大川城と呼ばれていた。

川に面した北側は険しい断崖になっていた。

阿麻和利が小さいときに捨てられた漏池(ムルチ)は、

この屋良城の崖を越えた、比謝大川の中流あたりである。

屋良按司は、大読谷山按司となった又従兄弟の護佐丸を歓迎し、
護佐丸はその夜、屋良城に泊まった。

 

「百十踏揚 262-」(与並岳生著/新星出版)

はい、その屋良按司のお墓がコチラ!

ちなみに屋良グスクに屋良按司のお墓は2つあって、
この写真は「先」大川(屋良)按司の墓。

「後」大川按司(とその一族)の墓は最近リニューアルされたのか、
とてもぴかぴかの真っ白なお墓でした。

さあ、その屋良按司ですが。

実は、屋良按司は阿麻和利の父ちゃん
だという伝承があったりもします。
(この説、結構有名ですがブログで書くのは初めてですね)

阿麻和利は屋良村生まれの孤児となっていますが、
実は父親は屋良按司だった、と。

でも生まれつき体が弱かった故に棄てられたが
後に勝連按司として大出世するわけですから、
やっぱり按司の血が流れていたんだ…というような。

また、別にはしっかりと屋良で育って勝連へ移り住んだ、という説も。

確か阿麻和利を祀った家が嘉手納にあったと思いますが、
それは『沖縄戦国時代の謎(比嘉朝進著)』によると、

屋良按司の奥さん(または側室)として阿麻和利を生んだとされる
林堂家関係者(門中)ということになるらしいです。

 

個人的には普通に阿麻和利は百姓の子で棄てられて…、
という説を取りたいですケドね。

(「百十踏揚」の説が1番ドラマ性はあるとは思うけど☆全くありえない話じゃないから面白い

 

阿麻和利の子の有無とかも色々説もあって、
一応、「阿麻和利には子なし」が通説だと思いますが…

でも「阿麻和利の子孫」を名乗る人は、
実は見たこと、聞いたこともあったりするので…

やっぱり色々と謎の多い阿麻和利なのです。

この時代、謎が多いから、面白いんだよな~。

そんな伝承や歴史を知ると、また一段と楽しめる屋良グスクなのでした。

ひと気は少ない(っていうかほぼない?)ですが、

歩道は↑の通り石畳で整備されているので
晴れた日なんかは屋良グスク【裏】を散策してみるのもいいかもしれませんよ♪

(ぐる~っと周ると結構な広さです。ウォーキングコース並?)

隣を流れる比謝川のせせらぎも実に爽やかです。

ちなみに屋良漏池についての過去記事はコチラからどうぞ。
「百十踏揚行脚~屋良ムルチ~」

同じ比謝川でもガラリと雰囲気違いますよ。

こっちの比謝川(河口)もね☆

アンダーのWB蛍光灯で撮影。

 

トップ写真と似てるけど、もう1枚掲載。

ちなみにトップ写真と同じアングルの、
ハイキーバージョンはコチラ

 

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