がじゅまるの樹の下で。

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百十踏揚行脚~屋良グスク【表】~

2011年09月26日 | ・『百十踏揚』を読ム

王朝末期(幕末)のテンペストな話題が続いたところで、

古琉球関連記事にリターン!

嘉手納町にあります、屋良(やら)グスクです!

こちらも喜屋武グスク同様、
昨年度までめちゃくちゃ生活圏内にありながらも散策できずにいたグスク。

喜屋武グスクとセットで、
やっと散策できました♪



この日は読谷村立図書館

尚巴志の墓

阿麻和利の墓

屋良グスク

鬼大城の墓

喜屋武グスク

肝高の阿麻和利
そして合間にショッピングと、スゴイ盛りだくさんの1日だったのです



屋良グスクは今では公園として整備されていますが、

まぁ、こちらも例に漏れず常に人が戯れているような公園ではなかったですね…。

でも立地的には住宅街の中で近くに団地とか高校とかがあるので
まだマシなほうではあるんですけど。

せっかくキレイに整備されているので
もうちょっとマメに清掃とか草刈とかできればいいんだろうけどな…。

屋良グスクについての案内板。

屋良グスクについてはこちらを見てください。
(手抜き)

さて、屋良グスクといえば、古琉球ですよ!
護佐丸ですよ!阿麻和利ですよ!

 

ということで、

久々の「百十踏揚」行脚記事です!

 

■屋良グスク【表】■

座喜味城時代、護佐丸はよく愛馬を駆って、領内を巡察したが、
ある時、山田時代からの旧臣、瀬名派大親を伴って、
比謝大川を越えて、屋良城へ行った。

屋良按司は、護佐丸には又従兄弟であった。

護佐丸の父の読谷山(山田)按司は、伊波按司の二男である。

先代の読谷山按司に嗣子がなかったために、
親族である伊波按司の子が養嗣子に入ったものだ。

一方、伊波按司の五男――すなわち護佐丸の父の弟は安慶名按司となり、
その二男が屋良按司であった。

 

「百十踏揚 262-」(与並岳生著/新星出版)

…人物関係、意味分かります?

図で見ると分かりやすいんだけど…。

伊波按司の二男(A)が読谷山按司の養子に入って、この人が護佐丸の父ちゃんになります。
同じ伊波按司の五男(B)、つまり護佐丸父ちゃんの弟が安慶名按司になります。

その安慶名按司の息子に、屋良按司と、そして喜屋武按司(C)がいます。

その喜屋武按司(C)の息子が栄野比大屋子で鬼大城の父ちゃんなんです。

 

伊波按司から、読谷山按司、安慶名按司、屋良按司、喜屋武按司と繋がっているというわけですね。

ちなみに、このもともとの伊波按司を、更に遡ると、
攀安知の爺ちゃん(怕尼芝(はにし))に追放された今帰仁按司(今帰仁世の主)。

……と繋がるわけです。

 

とりあえずこの系図に関しては過去記事コチラも参考までにどうぞ。

山田グスク・護佐丸父祖の墓

伊波城跡と伊波按司

安慶名グスク【2】

喜屋武グスクと鬼大城

…その、屋良グスクなんです!

構造や発掘品ではなく、
人間ドラマとしての屋良グスク、分かったかな?(笑)

(ワタシにとってはこういうのが重要(笑)。歴女的グスク巡りの楽しみ方☆)

でも屋良グスク…御嶽はあったけれど…

城壁とか遺構とかはないにしても
(屋良グスクは名護グスク同様、土のグスクとか?)
もうちょっと隠れスポット的な、いかにもグスクらしい絵になるような場所とかないかな?


…きっとあるはず!

 

グスク散策のコツはこれ!

 

道は もう一つ 裏へ。

もう一つ 奥へ。

(おや?どこかで聞いたフレーズ?(笑))

 

 

ほら、

 

ほぅら……

 

なんかありそうでしょう?

 

ってことで、発見!

 

 

百十踏揚行脚~屋良グスク【裏】~ へ続く!!

次記事では屋良按司にまつわる、アノ伝承も紹介しますよ!

 

元ネタ↓

 

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昨日の琉球史バトンのQ7で書いた早田さん。
タイムリーにも今日の沖縄タイムスの「古琉球と海域アジア」で
早田さんのことが書かれてます(笑)
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