まだまだあるある、
薩摩侵攻史跡めぐりの番外編。
こちらも運天港のすぐそばにある、
「大北墓(うふにしはか)」
北山の拠点である今帰仁グスクは、
尚巴志により落城されました。
その後、今帰仁グスクは北山地域を監視するために
「北山看守」が任命され
以後、使用され続けることになります。
(ちなみに、初代の北山看守は護佐丸らしいですよ。臨時だったそうですが)
この墓は、その北山看守たちとその一族のお墓。
主に第二尚氏、尚真王時代の頃からのものっぽいです。
碑文に「尚真様第三之御子」ってある。
碑文解説、クリックすると拡大します↑
そうとう古い、歴史を感じる碑文ですが、
よくよく見ると…
…あっ、
左三つ巴の御紋!
…じゃなくて、右三つ巴…か!?
(巴のしっぽの流れる方向で決まります)
ありっ!?
まさかのフェイント!?
写真、右に見えるよね…!?
まさかの、今気づいた事実!
(案内文の碑文イラストでも右三つ巴に見えるしー)
な、なんで?
まさか石工さんの間違い?
ぽちっと応援お願いします♪
右も左も混在してたりして?
うちなーんちゅのてーげー精神で(^皿^
思わず叫んでしまった叫びにコメントありがとうございます(笑)
何ででしょうね~~~~。
他にもこのような例がないかどうか、
今度から注意して見てみるようにします。
昔は右も左も特に細かいこだわりはなかったとか?
新撰組の土方さんの家紋もこの三つ巴なんですが、
左が一般的だけど、土方家の古い墓石は右だったとか。
で、最近新築して「左」に改めたとか。
昔のはけっこう右も左もゆるかったという仮説を立ててみました。
(百按司墓の三つ巴は左ですね…)
大事な王家の紋章を間違えるはずもないでしょうし・・・
石碑は大正時代に改築されたみたいだから、その時に間違えたのかな?
う~ん・・・わかりません。ぜひ謎を解明してください