がじゅまるの樹の下で。

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薩摩侵攻史跡めぐり~運天港~

2010年06月06日 | ・琉球史散策/第二尚氏

目からウロコの探検ツアー
~薩摩侵攻の史跡を歩く~

の記事を、自分の復習と記録も兼ねて
順を追って1つずつ記事にしていきます。

北上するバスの中で、
薩摩侵攻の背景などをざっと聞き、
最初に向かった先は薩摩軍が上陸した今帰仁村の運天港へ。


去年撮った羽地内海

運天港は、羽地内海に面した港で、
沖縄屈指の良港、かつ、重要港のひとつでした。
(ここと、もうひとつが那覇港らしいです)

その理由は、内海ゆえの波の穏やかさ、
そしてある程度水深があるため座礁の危険がない、ということ。



珊瑚礁に囲まれた島国沖縄にとって、
ここは特異な場所だったのです。

そのような情報を知っていた薩摩軍は、
80隻~100隻の大艦隊でここ、運天港に入っていました。



↑の橋は、古宇利島と本島を結ぶ橋。

この水平線にずらっと艦隊がならんだ様は
ペリー来航さながらの驚愕の風景だったのでは。



運天港には、色々と伝承がありまして、
源為朝が落ち延びて、運を天に任せてやってきた場所だから
運天港とかなんとか。

(源為朝上陸の碑も実際にたっています)

源為朝上陸の真意はさておき、
ゆえに「運天港」というのは間違いで、
昔は「うみどまり(海泊?)港」と呼ばれていたのだそうです。



後々になってやってきたバジル・ホールも、
ここ、運天港を訪れており、
あまりのすばらしさにメルビル港と名づけてナポレオンに報告しているとか?


メルビル港って(笑)



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