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阿麻和利の育ての親

2014年09月28日 | ・琉球史散策/第一尚氏


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「わしは七つの時に親に捨てられ、
海賊たちに拾われて、明国へ渡った」

 

これは肝高の阿麻和利の中に出てくる
阿麻和利のセリフ。

自らの生い立ちを語るシーンなのですが…


阿麻和利って、海賊に拾われたの?
阿麻和利って、中国で育ったの?

と思った方はいませんか?

 

この元ネタは、どうやら阿麻和利の生まれシマ
屋良に伝わる口碑にあるようです。

 

屋良大川按司と林堂家の娘との間に生まれた阿麻和利は
幼い頃あまりにも病弱だったため、
按司の命によって家臣が勝連城付近の洞穴に捨てた。

たまたまその洞穴は貿易のために勝連に来た
中華商人の宿泊する所であった。

商用を終えて洞穴に返ってきた中華商人は
あまりにも弱々しい阿麻和利を哀れに思い、
中国に連れて帰って養育した。

すると、めきめき筋骨たくましい若者に成長し、
武芸を仕込むとたちまち先輩を越して師範代を務めるようになり、
学問を教えると一を聞いて十を知るという天才ぶりを発揮。

幾年ならずして、文武両道兼ね備えた青年になって
(琉球に)帰国した。

 

参/「勝連村史」(1966)

 

ってなことらしい。

 ちなみに阿麻和利が按司になる前の海賊たちとの関わりは
「新説 阿麻和利」(嘉陽安男著/1963)に出てきます。
こちらも口碑等、あるのでしょうね。

 


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阿麻和利の育ての親は中国人!?

育った環境は中国の地!?

阿麻和利って中国語ペラペラ!?

 

どちらにせよ、
阿麻和利の育ての親はきっといるはずですよね。
(小説「百十踏揚」では屋慶名大親に南風原大親)

 


最近なかなか書けてませんでしたが、
やっぱ単なる史跡紹介記事よりも、
こういう系の記事の方がワタシらしいナ(^^;

ネタがないわけではなく、それらを自分なりにまとめるより
史跡紹介の方が楽だからそっちに流れてただけッス。
まあ、バランス…かな?

最近絵も全然描いてないしなー…。


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