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がじゅまるの樹の下で。

*琉球歴女による、琉球の歴史文化を楽しむブログ*

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護佐丸の兄ちゃん

2013年04月02日 | ・琉球史散策/第一尚氏

護佐丸の兄ちゃん

…の墓参りに行ってきました。

 

え!護佐丸に兄弟がいたの!?

 

はい。いたんです。

そういう伝えがあるんです。

 

護佐丸の兄ちゃんと言えば、
金丸派のクーデターの時に
「金丸こそ王に!」と叫んだ安里大親が有名ですが
(※安里大親は護佐丸の弟説もあり)
その安里大親ではなく、
伊寿留(いじゅる・いずるん)按司です。

伊寿留按司は山田按司の長男として生まれ、
城主になるのを好まず、
中城に移って豪農になった

とのことです。

それはそれは大層な豪農だったそうで
琉球の3大大富豪と言われてたそうですよ。

参「護佐丸一統繁栄記」(伊波盛誠著/月間沖縄社/1988)

 

伊寿留按司、安里大親、そして護佐丸の最強3兄弟。

結論、

山田按司父ちゃんすげぇ(゜∀゜)!

って話ですね(笑)

護佐丸も兄弟という枠で見てみると
また面白いですね。

※同書には山田按司の子どもは4男1女とも。
(山田子と長女・乙樽金が追加)

 

そうそう、前に聞いた話なのですが
そもそも古琉球とかの時代に
「家督を継ぐのは長男」という概念が
どれだけあるのかは疑問みたいですよ。

意外とそんなルールは全くなかったかもしれない。

なお、伊寿留按司のお墓は中城グスク内にあります。

お花の咲く小径の奥にありました。

 意識しないと見落としてしまう、有料エリアの端っこです。

中城グスクに訪れた時は
せっかくなので護佐丸の兄弟にも想いを馳せて見るのも
いいのではないでしょうか

 


久高史跡記事…まだあるんだけど…。
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2 コメント

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にーにー? (かわた)
2013-04-12 17:56:09
和々さん、
こんにちは!

ちょっと前まで例の件で浮かれた
その後、
仕事やまもりで今に至ります……

さて、
この記事、護佐丸3兄弟!
面白いですね!

当時もお兄さんの事を「にーにー」とかで呼んでたのでしょうか?(笑)
とか、
母ちゃんは一緒なの?
とか、
安里大親が護佐丸の兄ちゃんっていうのも初耳で(これは勉強不足)、
何だか私の妄想魂が、うずきます(笑)
護佐丸と金丸、金丸と安里、安里と護佐丸は兄弟……。
う~む。うずきます(笑)

って感じで、再び私に古琉球のウエーブがやってきています!

さぁ今さらながらツイッター始めよう。
今さらついでに「護佐丸の日」に始めます(笑)

それでは、また!
りゅうPON読みたい!!!
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かわたさんへ (和々)
2013-04-12 21:08:16
「にーにー」(笑)
読んでたかもですねぇ…。
母親が一緒なのかどうかは記述がなくて「?」です。
安里大親については琉球戦国列伝でも書いてありますよ☆
(相関図P28 にも)
そうそう、この二人が兄弟だったとすると
その後の金丸との繋がり云々もなんだかまた様々な憶測が悶々と…(笑)
やっぱりこの時代面白いなーっと。

ツイッター始めますか!
あ、でも今始めて護佐丸の日までにフォロワーさんとか増やしておいた方がいいかもですよ。
そのほうがより「護佐丸の日」も楽しめるはずデス!

りゅうPON、来沖された時に図書館とかで見てくださいね(^^
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