
護佐丸の兄ちゃん
…の墓参りに行ってきました。
え!護佐丸に兄弟がいたの!?
はい。いたんです。
そういう伝えがあるんです。
護佐丸の兄ちゃんと言えば、
金丸派のクーデターの時に
「金丸こそ王に!」と叫んだ安里大親が有名ですが
(※安里大親は護佐丸の弟説もあり)
その安里大親ではなく、
伊寿留(いじゅる・いずるん)按司です。
伊寿留按司は山田按司の長男として生まれ、
城主になるのを好まず、
中城に移って豪農になった
とのことです。
それはそれは大層な豪農だったそうで琉球の3大大富豪
と言われてたそうですよ。
参「護佐丸一統繁栄記」(伊波盛誠著/月間沖縄社/1988)
伊寿留按司、安里大親、そして護佐丸の最強3兄弟。
結論、
山田按司父ちゃんすげぇ(゜∀゜)!
って話ですね(笑)
護佐丸も兄弟という枠で見てみると
また面白いですね。
※同書には山田按司の子どもは4男1女とも。
(山田子と長女・乙樽金が追加)
そうそう、前に聞いた話なのですが
そもそも古琉球とかの時代に
「家督を継ぐのは長男」という概念が
どれだけあるのかは疑問みたいですよ。
意外とそんなルールは全くなかったかもしれない。
なお、伊寿留按司のお墓は中城グスク内にあります。
お花の咲く小径の奥にありました。
意識しないと見落としてしまう、有料エリアの端っこです。
中城グスクに訪れた時は
せっかくなので護佐丸の兄弟にも想いを馳せて見るのも
いいのではないでしょうか
こんにちは!
ちょっと前まで例の件で浮かれた
その後、
仕事やまもりで今に至ります……
さて、
この記事、護佐丸3兄弟!
面白いですね!
当時もお兄さんの事を「にーにー」とかで呼んでたのでしょうか?(笑)
とか、
母ちゃんは一緒なの?
とか、
安里大親が護佐丸の兄ちゃんっていうのも初耳で(これは勉強不足)、
何だか私の妄想魂が、うずきます(笑)
護佐丸と金丸、金丸と安里、安里と護佐丸は兄弟……。
う~む。うずきます(笑)
って感じで、再び私に古琉球のウエーブがやってきています!
さぁ今さらながらツイッター始めよう。
今さらついでに「護佐丸の日」に始めます(笑)
それでは、また!
りゅうPON読みたい!!!
読んでたかもですねぇ…。
母親が一緒なのかどうかは記述がなくて「?」です。
安里大親については琉球戦国列伝でも書いてありますよ☆
(相関図P28 にも)
そうそう、この二人が兄弟だったとすると
その後の金丸との繋がり云々もなんだかまた様々な憶測が悶々と…(笑)
やっぱりこの時代面白いなーっと。
ツイッター始めますか!
あ、でも今始めて護佐丸の日までにフォロワーさんとか増やしておいた方がいいかもですよ。
そのほうがより「護佐丸の日」も楽しめるはずデス!
りゅうPON、来沖された時に図書館とかで見てくださいね(^^