がじゅまるの樹の下で。

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望月按司は●だった!?

2018年02月26日 | ・琉球史散策/第一尚氏

そのうち書こう書こうとおもいつつ

何年もたってしまったあの話を、
今日は書こうと思います。

出典はこちら。

 

琉球の裏面史』
(石川文一著/琉球文庫(S49))



この本は9つの伝承(歴史)と
それに対する筆者の推測・考えがまとめらているのですが
そのうちの一つ、

〝第8話 望月按司、阿麻和利に討たる〟
より。

 

ご存知、
阿麻和利に討たれた。
酒におぼれて政治を怠っていたという
あの望月(茂知附)按司です。

 

 

この望月按司の実像に迫るというもの。

 

 

 

 


結論を先に言うと、

 

 

 

 

 

 

望月按司は女だった(!!)

 

 

 

ということ。

 

 

はぁっ!?

 

 

と思わず声を発した皆さん、
私と同じです(笑)

 

 

では、なぜ著者が望月女説を確信するに至ったかを
簡単に追ってみることにします。

 

まず、
按司と言う名称は
何も男性限定のものではなく、
身分の高い特別な女性にも
つけられている、ということ。

百十踏揚も
百十踏揚按司加那志
と書かれているように。




百十踏揚の墓標

 

ふみあがり(踏揚)もそうだけど、
身分の高い(王妃、王女、夫人など)特別な女性には
三十三君(高級神女)としての名称がつけられており
(※三十三君の名を持つ者が全て王族という意味ではない)
それには名前の後には「按司」がつくとのこと。

 

なお、王族の三十三君の場合、基本的に
尚真代に確立された聞得大君を頂点とする
ピラミッド型の神女体形に組み込まれた

祭祀をつかさどる実質的な神女というよりは
それとは別枠の、名誉職名みたいなものかなとワタシは思っています。



(『絵で解る琉球王国歴史と人物』/JCC出版部 より拝借)



「ふみあがり」や「もちづき」はその三十三君にもある名前です。

よって、
踏揚が踏揚按司と称されて存在したように、
望月按司と称されている存在も当然おり、
実際、
浦添王子朝里の次女と、
羽地王子朝武の娘(池城親方安頼の奥方となる)は
望月按司として『女官御双紙』に記録されているそうな。

 


首里、琉染にある三十三君の名前の額 もちつき や ふみあがり が確認できる。他に あふりやゑ(アオリヤエ)なども。

 

また、
男性に使う「按司」の場合も、
領地名+按司と言う風に使うのが常だが
(勝連按司、今帰仁按司、中城按司etc…)
「望月」という地名はない、と。

 

だから、「望月按司」というのは
神名である「望月」に、敬称としての「按司」がついたものであり
それはつまり女性であることに他ならない

と。

 

 

さらに、続きます。


勝連のオモロには
「もちつき」を謳ったものがいくつかあり、

 

あかる もちつきや

きみの もちつきや


で始まるオモロ(巻十六の六)には
もちつきや のところに


原註 かつれんのあまわり おなちやらを申なり

とあるらしい…!!

 

おなちゃら=オナヂャラ(ウナジャラ)=女按司・妃


つまり、


望月は阿麻和利の妻(女)だった!!

 

なにぃっ!?Σ( ̄□ ̄|||)

 

 

ただ、私はこれはもしかしたらあると思っていて。
(望月按司=女というのはひとまず置いといくとして)


というのは、
阿麻和利と、倒された望月按司は
お互いにまったく面識がなかったわけではなく
阿麻和利は元々望月按司に仕えていた(奉公していた)というのは
ちょいちょい見かけるんです。

ほんで、そのうち望月の娘と結婚し、
望月の婿養子に入った…っていうのは
小説『百十踏揚』の設定だけど
それに近い伝承だったかなんだったか、
ちょっとハッキリはしませんが、どこかで読んだような。

 

だから、
望月(一家)と阿麻和利が、かつて、
なんらかの密な関係を結んでいたのは
あり得るかな、と。

そして、
「望月按司(一家)」は
阿麻和利らに倒されてしまい、

その後、新たに妻に迎えたのが、
あの百十踏揚、と考えれば、

(もちつき が)
かつれんのあまわり おなちやらを申なり

というのもアリエナイ話ではないかな、と。

 

 

従来通り、望月按司は男性だという立場に立って
これらのことを総合して私なりに考えてみると

とりあえず、

おもろを見ると、
もちつき という名前の身分の高い神女が
勝連にいたことは確かだと思えます。

そしてその神女は、若き阿麻和利と関係があった。
(→かつれんのあまわり おなちやらを申なり
彼女の父親は勝連城主で、
神事をつかさどるものとして影響力を持ち、
おもろにも歌われている娘の「もちつき」と言う神名を
美称として自らにも「望月(の父)」として使った(記録された)
っていうのはどうかな?

(父が娘の名を借りて威を誇るってのは無理があるかな?(^^;))

そしてなんやかんやの理由があって、
彼女(もちつき)と、父(勝連城主望月)は
阿麻和利らによって討たれれる、と…。

 

 

 

 

ともあれ、
著者はこの
かつれんのあまわり おなちやらを申なり
という原註記述は誤りでは?と棚上げして、
(その理由は割愛)

女性「望月按司」は
先の勝連城主・浜川按司の奥方だったであろう
と推理しています。

 

 
勝連グスク内の案内版

 

そして、彼女は
夫である勝連城主・浜川按司が早くに死んだので、
彼に代わって政治も行うようになった…

(跡を継ぐ子(=3代目浜川按司)がいたが、
まだ幼少だったため代わって母である彼女「望月按司」が政治を行った、とも)

 しかし酒におぼれ政治を怠り、
阿麻和利らに討たれることとなる…。

 

 

 

 

さて、長々と望月按司女説をご紹介してきましたが

 

あなたはこの説、

 

あり?

 

それとも

 

なし?


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