がじゅまるの樹の下で。

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古琉球の偉人を描いてみる12

2010年09月04日 | ・琉球史散策/第一尚氏



数日前に描いた落書きで~す。

えーっと。

「勝連の人々」としておきましょうか。

小説「百十踏揚」より、
豪快な武将、屋慶名大親と
勝連の知恵袋、南風原大親です。

この2人に育てられた加那(阿麻和利)ってことで。

勝連の参謀的存在、
「屋慶名」と「南風原」は肝高の阿麻和利でも出てきますね。

もう1人が、件の「平安名次郎」なんだけど(笑)


そうそう、南風原といえば。

肝高の阿麻和利の舞台と平田大一さんを追った本、
「やる気スイッチはいつ入る?」

この本に、肝高の阿麻和利初演の様子が書かれていました。

あれやこれやてんやわんやのハプニングだらけ?の初演。

臨場感あふれる茂知附(望月)按司追放の場面。
その迫力ある演舞の波が去って一言、

「南風原(へーばらー)!守備はどうだ?」

という台詞を、

「南風原!趣味は何だ?」

と間違えたのだそう(笑)

いえ、もちろんこの初演は見てませんが、
想像はでき、1人でツボってしまいました(笑)


で、望月(茂知附)按司。

酒びたりで政治を怠った末、阿麻和利にとって変わられた、
という、9代目勝連城主。

「勝連王国」といえるほど、繁栄していた勝連ですが、
それは阿麻和利の一代で築きあげたものではなく、
前代の、この望月按司の代からのもので、
阿麻和利はそれを引き継いでさらに発展させたのだとか。

小説「百十踏揚」によれば、
望月は倭寇の流れの大和人。
一重瞼の、若い頃は端整な男であっただろう、と。

でも酒浸りになってからは絶対太ったはずね~

ってことで、↑こんなんなりました(笑)



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