『新説 阿麻和利(下)』
嘉陽安男著(光有社) 1963年発行
読了です。
昨日帰宅してから読み始めましたが、
やはり下巻はドラマチックな展開にあっという間でした。
結局は女。
その一言でしょうか。
(あえて百十踏揚とは言いますまい)
「いやなことでこざいますね。
女にとって、戦さ程嫌なものはございませぬ」
「はっははは。それは男とて同じことよ。
ただ、女は戦を作り出すことがあっても、それを利用する術を知らぬが、
男は、起こりかけた戦さで、何かを得ようと図る。」
(金丸 50-)
愛情、嫉妬心、欲望、疑心と憎悪。
ふぅ…。
それにしても女側も、その執念たるや。
昔の昼ドラか!!!
ってくらい。
阿麻和利―百登踏揚―賢雄の三角関係も、修羅場あり~の…。
阿麻和利は一貫して「イイ人」でした。
所詮は百姓としての自分と、按司(武士)としての振舞わなければならない、
相容れない性、葛藤が印象的でした。
「忠節の現れか。はっははは――悲しいものよのう。
御主加那志前にとっては父上に当たられる護佐丸様。
――子と親が、孫と祖父が、互いに信ぜず、頼まず、疑い、
憎しみ合う人たちのあり方というものの中にも、
忠義といわれる立派な言葉があるものかな」
声は笑っていたが、目からはしきりに涙が溢れていた。
(阿麻和利 71-)
「それが武士と言うものなら、淋しいことだ。」と、
声はもう泣いていた。
「でも、仕方がないのかもしれない。
宿命とでも言うべきものでその淋しい宿命が、
武士の不幸なのだな、きっと――」
―自分もそんな武士と呼ばれるものになっている―。
(阿麻和利 104-)
百十踏揚とは互いに惹かれあいつつも
悲しい運命に、遂に「幸せ」になることはできず。
「わしには自信がないのだ。
賢雄もそなたを愛している。
だが、わしは、賢雄の何倍もそなたを愛している。
このことは自信をもって言える。
だから、――と言ってそなたに分かって貰えるだろうか――。」
(阿麻和利 111-)
――阿麻和利様、私は、切なうございます。
涙は止めようがなく溢れた。
――私はあくまででも、あなたの妻でございます――
悲しい愛情であった。
阿麻和利も決して彼女を愛しないのではない。
しかしその愛情は、遂に阿麻和利が自ら努力して
葬らなければならぬ運命にあったのである。
(百十踏揚 147-)
勝連戦に際しての、百十踏揚と阿麻和利の「離別」の展開も
今までになかったパターンで面白かった♪
(自ら手放す、という点ではちょっと「月下に語る」と似てる展開に…(^ε^))
「賢雄ッ」
ぱっと、刀を構えるのへ、声をかけた男は屋慶名大親であった。
「くそッ、生命を貰いたいが、そうも行かぬ。
うなじゃらぬ前は御健在だ。
首里へお連れ申し上げろッ」
「なにっ」
「按司加那志前の御命令だ。
うなじゃらぬ前を御無事にお帰し申し上げたい、とおっしゃる」
屋慶名大親は、忌々しそうにそう言うと、
ぱっと戦闘の真ん中へ走り込んで言った。
――うみないびを首里にお帰し申し上げろ――
暫く呆然と立っていた。
恐らくは、人質に、或は、さし違えて、
いずれにしろ簡単に百登踏揚を救出出来るとは考えていなかった賢雄である。
――負けた――
そう思った。
(賢雄 229-)
そして、金丸は下巻で豹変しました
結局は自己保身と出世欲と嫉妬心。
だったか、金丸よ。
護佐丸討伐の黒幕は尚泰久で金丸は止める派だったけど、
勝連討伐は完全に金丸と安里大親の策略になってた…。
チッ、惜しい
「百姓上がりめが、恐れを知らぬ振る舞い、
今にして討たねば諸国の按司たちへの影響もどうかと思われます。」
結局はそれであった。
所詮成り上がりに対する反感が、金丸程の人も盲目にしてしまう。
それに恋の恨みを油をかけて、益々火勢をつのらせてしまうのである。
それに、根強い立身出世の欲望も加わって――。
(金丸 163-)
賢雄は出番は増えたものの武将らしい活躍はあまりみせず、
(中城戦にも出てないし、勝連戦でも阿麻和利と対決することもなく)
なんとなくカッコワルイ感じ……。
百十踏揚に対しても紳士ではなくなってしまった。
はぁ、賢雄……
――それにはなんと言って戦さを起こさねばあらぬ。
御城でじっと睨むように見つめた阿麻和利の悲しい目を思い出すとぞっとする。
――とんでもない所を見られたものだ。
阿麻和利が生きていては一生恥を忍んでいなければならぬ。
困ったことではないか――。
「阿麻和利を討たねば、わしが困る」
(賢雄 127-)
何言ってんだ賢雄のバカーっ!(涙)
そして、やっぱり出てきた御茶当真五良(真五郎)。
安里大親も。
半分は自分の好奇心、半分は安里大親にすゝめられて、
勝連に探りを入れに来たものらしい。
「考えりゃ、考える程やゝこしくなって来るなー」
(真五良 83-)
だからよ全く!(´Д`;)
…って思わず激しく同意。
個人の喧嘩も、国と国との戦争も、ひつきようは似たようなものであろうか。
原因はそう大したことでもないのに、それが次第に燃えさかる業火となって
遂にには手がつけられなくなってしまうことが普通である。
誤解を解くことを怠ったばかりに、
あたら人の善意をふみにじってしまうことも如何に多いことだろうか。
個人の喧嘩と、国の戦争との差は、強いて言えば、
相互の誤解を解こうとする努力を、前者は怠ることが普通であり、
後者は、故意に避けて戦争にしてしままうことが多い。
戦争にして勝ってしまえば何らかの利益が望めたからだ。
(178-)
護佐丸は、幼い盛親が、一振り一振りに力をこめて、
木刀を振るのに、言い知れぬ感動を覚えていた。
老いの目に、涙が沸いて来る。
――矢張り、わしは負けられぬ――
(護佐丸 54-)
「良いのだ。――これで良いのだ。
例え、舅であろうと世の主に弓を引く者は討たねばならぬ。
幸い勝連按司は利用するに足る。」
(尚泰久 60-)
とにかく、上巻の前半はやや退屈ではありますが、
後半から下巻にかけてはなかなか面白かったです。
(「百十踏揚」がやはりリアリティなどから言ってもベストではありますが)
図書館などで見かけたらちょっと読んでみるのもいいかもしれません♪
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リアルな英雄金丸像を作らねば…。
新撰組が極悪人にもヒーローにもなり得たように、
きっと金丸にも当てはめられるはず…。