がじゅまるの樹の下で。

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阿麻和利と百十踏揚と大城賢雄の三角関係説

2011年01月12日 | ・琉球史散策/第一尚氏

琉球戦国時代、最大で最強の(!?)三角関係

といえばっ!!

阿麻和利と百十踏揚と大城賢雄。

ふふふ(笑)

ということで、
この3人の関係も、
「護佐丸・阿麻和利の乱」と同じくらい謎で、
その真相についてもそりゃあもう、諸説様々あります。


では、ワタシが今まで見聞きした説をご紹介しましょう

 

 

まず1つ目。

阿麻和利と百十踏揚はお互いに深い仲ではなく、
政略結婚ゆえに百十踏揚は阿麻和利へ嫁いだが
実は元々、賢雄とデキてた(もしくは百十踏揚の片思い)説。

これがまぁ、一般的。

 

2つ目。

阿麻和利は百十踏揚を気に入っており、
百十踏揚も阿麻和利と夫婦として添ってはいたが、
実は百十踏揚の本命は賢雄だった(もしくは既にデキていた)説。

で、中城戦後、百十踏揚が賢雄と勝連脱出をしたのに嫉妬&激怒
ゆえに、
首里城攻撃。

 

3つ目。

阿麻和利も百十踏揚も賢雄もお互いに何とも思ってなかった説。
百十踏揚が単なるコマとして使われたかわいそうな解釈。

 

4つ目。

阿麻和利、百十踏揚ラブラブ説。
ワタシはこっちであってほしい(笑)
(「肝高の阿麻和利」はこっち)

 

4つ目’

阿麻和利、百十踏揚がラブラブに加えて、
賢雄も百十踏揚を狙ってた説。
賢雄が百十踏揚を阿麻和利から「奪ってやる」的な
対抗心もあっての勝連討伐。
(小説「百十踏揚」はこっち)

 

4つ目’’

阿麻和利、百十踏揚がラブラブに加えて、
賢雄は百十踏揚を恋愛の対象ではなく
自分が仕える王族として見ていた説。
(「月下に語る」はこっち)

 


5つ目。

百十踏揚、悪女説(笑)
百十踏揚が阿麻和利と夫婦になって後、
賢雄と懇ろな関係になってしまった
ゆえに、
勝連討伐。
(最初これ読んだとき、ぎゃーっ!!ってなった(笑))

この解釈した人、すごすぎ(笑)

 

まぁ…勝連討伐の直後に
百十踏揚と賢雄が夫婦になってるのを見ると、
百十踏揚と賢雄が深い関係にあった、
とも思いたくなりますわなー
(でも賢雄、別に妻子いたんだよー(笑)なお、賢雄女好き説もあり)

ちなみに、百十踏揚、
絶世の美女だったそうな。

「肝高の阿麻和利」では百十踏揚は「聞得大君」っていう設定も出てきますが、
正確に言えば「聞得大君」は第二尚氏王統、尚真の時代に整備されてできた役職なので
阿麻和利の時代には「聞得大君」っていうのはなかったはず。
百十踏揚が神女であったというのは確かですが。
(ちなみに初代聞得大君は尚真の妹の、月清(つききよら))

護佐丸の孫で、
阿麻和利と大城賢雄の妻という、
第一尚氏王統の三大武将と関係があった百十踏揚。

一体どんな女性であったのやら。

はてさて。

 

あっ、絵はくれよん画。
こういうのは雑談しながら10分くらいでガシガシ描いちゃう。
下書きなしー(だから色重ねて濁る…( ̄△ ̄;))

阿麻和利とー、賢雄。

 

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コメント (6)
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