おはようございます
今日の沖縄はひっさびさのマーク
なのに私は持ち帰ったシゴトをしないといけないので
今日は一日中引きこもりです。
肝高の阿麻和利の夜公演のために
がんばりましょうか。
さてー、写真は12月に撮ったものですが、
ずーっとずーっとご紹介できずにいたので、
肝高の阿麻和利ツナガリで
久しぶりに『百十踏揚』行脚記事、行きましょう★
■越来城跡■
「これからは、返事は、“はい”じゃ」
「うん……。あ、はい……」
父は頼りなげに、もう一度舌打ちしてから歩き出した。
思戸は、後れないよう、トコトコと、小走りに従いて行く…。
行く手には、頂に、越来城の白い城壁を、冠のように乗せ、“おもろ”で
〈鷲の嶺〉
――と尊称される越来嶺が威圧するようにどっしりと鎮座していた。
見上げる越来城=越来嶺は、いかにも大鷲のようだ。
岩山を縁取ってゆるやかに延びる城壁は、
大鷲が悠然と、翼を広げ、今にも飛翔せんとしているかにも見え、
まこと〈鷲の嶺〉というにふさわしい、威厳に満ちた神々しい姿に見えた。
厳しく聳え立つ城壁を仰ぎ見ながら、
(きょうから、あそこで…)
と考えると、思戸は自ずと、気持ちが引き締まってくるのを覚えた。
が、一方では怯み心も出てくる。
父が懸念しているように、
何も分からないトロトロしているに違いない自分なんかが、
あんな立派な御城で、果たして勤まるであろうか……と。
「百十踏揚 13-」より(与並岳生著/新星出版)
物語の最初の部分から引用しました。
少女、思戸(うみとぅ)が、越来王子・尚泰久の指名により
尚泰久の娘・百十踏揚の付き人として奉公にあがる場面です。
尚泰久は越来王子として、ここ越来城の主でありました。
が、のちに琉球王として首里に上がることになります。
越来城は尚泰久や娘の百十踏揚がかつて住んでいた場所なのです
(百十踏揚の弟、のちの尚徳王もね。『百十踏揚』では大城賢勇も一緒)
そういう背景を見ても、越来城は首里城(王家)に直結した
重要な城のひとつであったことがわかります。
しかし、今は小さな鳥居とうたき、そして解説板があるのみ。
かつての威厳に満ちた姿を消して、
ただひっそりと姿を潜めていました。
『百十踏揚』を読んで、
よし、越来城を探しに行こう!と車を走らせましたが、
最初はたどり着けず。
再びチャレンジして出会えたときは
「ぁれっ!?ここなの!?」
とびっくり。
むかしむかし、私が保育園生くらいのとき、
時々この公園に来ていたのです。
まさかここが越来城跡だったとは。
まったく埋もれてしまった、
かつての繁栄にちょっぴりしんみりしました。