がじゅまるの樹の下で。

*琉球歴女による、琉球の歴史文化を楽しむブログ*

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今年も、終わってしまいました。

2010年02月21日 | ・肝高の阿麻和利レポ

肝高の阿麻和利

2009年度卒業公演。

3デイズ5公演がすべて終わりました。

さすがに今日は、なにかと

「卒業バージョン」で最高の公演でした。

詳しくは、また明日。

今日もたくさんの元気と感動をもらいました。

 

また、

明日からもがんばれます。

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休憩中

2010年02月21日 | ・肝高の阿麻和利レポ
あっはっは

なんか今日の前半は笑えるわ~
みんな思い切ってて楽しそう


件の『へんなじらー』、フォローはいってたし(笑
思わずにやり


後半はがらりと雰囲気変わるので楽しみです
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最終公演

2010年02月21日 | ・肝高の阿麻和利レポ
とうとう、最後の最後です。

舞台裏からメンバーの歌声が聞こえてきます。

大合唱です。
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百十踏揚行脚~越来城跡~

2010年02月21日 | ・『百十踏揚』を読ム

おはようございます
今日の沖縄はひっさびさのマーク

なのに私は持ち帰ったシゴトをしないといけないので
今日は一日中引きこもりです。

肝高の阿麻和利の夜公演のために
がんばりましょうか。

さてー、写真は12月に撮ったものですが、
ずーっとずーっとご紹介できずにいたので、

肝高の阿麻和利ツナガリで
久しぶりに『百十踏揚』行脚記事、行きましょう★

 

■越来城跡■

「これからは、返事は、“はい”じゃ」

「うん……。あ、はい……」

父は頼りなげに、もう一度舌打ちしてから歩き出した。
思戸は、後れないよう、トコトコと、小走りに従いて行く…。

行く手には、頂に、越来城の白い城壁を、冠のように乗せ、“おもろ”で

〈鷲の嶺〉

――と尊称される越来嶺が威圧するようにどっしりと鎮座していた。

見上げる越来城=越来嶺は、いかにも大鷲のようだ。

岩山を縁取ってゆるやかに延びる城壁は、
大鷲が悠然と、翼を広げ、今にも飛翔せんとしているかにも見え、
まこと〈鷲の嶺〉というにふさわしい、威厳に満ちた神々しい姿に見えた。

厳しく聳え立つ城壁を仰ぎ見ながら、

(きょうから、あそこで…)

と考えると、思戸は自ずと、気持ちが引き締まってくるのを覚えた。

が、一方では怯み心も出てくる。

父が懸念しているように、
何も分からないトロトロしているに違いない自分なんかが、
あんな立派な御城で、果たして勤まるであろうか……と。

 

「百十踏揚 13-」より(与並岳生著/新星出版)

 

物語の最初の部分から引用しました。

少女、思戸(うみとぅ)が、越来王子・尚泰久の指名により
尚泰久の娘・百十踏揚の付き人として奉公にあがる場面です。

尚泰久は越来王子として、ここ越来城の主でありました。

が、のちに琉球王として首里に上がることになります。

越来城は尚泰久や娘の百十踏揚がかつて住んでいた場所なのです
(百十踏揚の弟、のちの尚徳王もね。『百十踏揚』では大城賢勇も一緒)

そういう背景を見ても、越来城は首里城(王家)に直結した
重要な城のひとつであったことがわかります。

しかし、今は小さな鳥居とうたき、そして解説板があるのみ。

かつての威厳に満ちた姿を消して、

ただひっそりと姿を潜めていました。

『百十踏揚』を読んで、

よし、越来城を探しに行こう!と車を走らせましたが、
最初はたどり着けず。

再びチャレンジして出会えたときは

「ぁれっ!?ここなの!?

とびっくり。

むかしむかし、私が保育園生くらいのとき、
時々この公園に来ていたのです。

まさかここが越来城跡だったとは。

まったく埋もれてしまった、

かつての繁栄にちょっぴりしんみりしました。


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