70才。役に立つ話が次々現われる。

世界で最低の日本人の声を改善する方法を95%まで独自に確立しました。

天才女優分散集中の達人。

2005年10月27日 17時20分21秒 | 芸能・娯楽
以前、渡辺プロから新人を10名まとめて預かった事がある。

 初めての日に私は自分が開発した分散集中の検査法を、この10名に試みた。約30分で全てを判定しランクを1,2,3,4,5,6,7,8,9,10とつけた。その記録をその日に担当のマネジャーに渡した。

 「え、どうして・・・」とマネジャーは絶句した。

 私達が正確にはテレビ朝日のプロヂュウサーの数人が3ケ月以上も掛けて調べた結果と、私が30分で出したレポートが一致しているという。

 その後、このランク通りに伸びていった。

阪神アホや監督がアカン。

2005年10月27日 09時12分47秒 | スポーツ
リーグ優勝したときに、完敗は決まっていた。
 長期のロードや最後の詰めで選手の疲労はピークに達していた。
 そこでドンチャン騒ぎ、テレビに出まくり、そして2日酔いで試合。
 これで終りであった。

 監督の仕事は
 静かにテーブルを囲んでの食事会。
 テレビは1回のみの共同出演。
 優勝決定後は全試合。控えの戦勝で消化する。
 レギュラーは、漫才とチガウでー・・・、全員休養させる。

 3日間休んだら。2日間ミニキャンプを張る。
 次は教育リーグと実戦試合。しかしここから、ボケ監督とは大きく違う。相手選手を内野5名、外野4名に増やす。ピッチャーは1mマウンドの前から投げさせる。これを3日間やる。

 次にサブマリン対策として左右のバッターボックスとキャチャーを 1m 高い台にして、横手投げのピッチャーを2m前から投げさせる。下から浮き上がるボールに打者の目を慣れさせるのだ。

 後は紅白合戦で実践感覚を取り戻す。

 これではじめて互角に戦えのだ。

 この全てを失くして、何ができるのか。
 
 スポーツ関連の監督は アホが多すぎる。みんながやることを、受け継ぐで終りや。

とりあえず、は逃げをごまかす言葉。

2005年10月26日 23時12分58秒 | みんなの未来
多くの人は「とりあえず、000をやるか」をよく使う。
 
 とりあえずは簡単に、入り易い、拒否されない可能性が強い魔法の言葉だ。
 
 今は本格的に挑みたくない、自信がないなどがある時に、とりあえずをよく使う。

 本格的に挑戦すると、痛い目にあう、辛い思いをする、立ち直れないなどの苦しみ、悲しみが想像されるから避けたいのだ。

 しかし逃げていて高みに登れるわけはない。
 、
 満足度も、収入も少ない。

 一番恐ろしいのは低いもの、技を身に付けると、本道を歩けなくなるのだ。

 こんな酷い、人生を棒に振るようなことを自分の子供にさせる親がいる。
 
 何も知らない子供は親に従うしかない。

 自分の最愛の子供をドブに捨てる殺人的行為を全然理解していない。恐ろしいことだ。


子供才能を見極めよ、母親達。

2005年10月26日 19時58分36秒 | スポーツ
 何が何でも成功させたい。

 あるいはほんの少しの切っ掛けで何かを選ぶ。

 選んだ後は続けていれば成功する。
 
 そんなに物事は甘くない。

 先ず、子供の才能を調べるべきである。

 分散集中は非常に多くの分野で才能となる。どうすればいいのか。簡単な方法で調べられるが、そんな先生は身近にいない。エレクトーンを学ばせれば良い。左手、右手、両足が異なる動きをやる。これで4ッの分散となる。

 本当の分散は5から8種類のであるが、4分散でも役に立つ。

たいなら、先ず、エレクトーンを学ばせて、短時間にマスターするようならば、サッカーを続けさせてもよいといえる。これは歌手、俳優も同じである。

 でもお金と時間がかかるので、やはり私にお願いするのが早道である。ボイストレーニングでも安くて有名な私だから、判定料も安いはずだ。

 ただ年齢が70才なのであまりご希望には添えないと思うが・・・。。


子供才能叩き売り、母親。

2005年10月26日 15時44分06秒 | スポーツ
誰でも自分が果たせなかった夢があります。

 以前、ある製薬会社のパーテーで30才半ばの綺麗な女性と同じテーブルで並びました。半分バイキングスタイルでした。飲み食いが進むうちに私がスターを育てている話になり、面倒を見た大スターに名前などおよびました。それから5分後ぐらい後に彼女は大きな声で泣き始めました。私が捨てた女と再会したのか、といやな目が周りから突き刺さりました。
 
 なんと彼女は若いころスターになることを夢見ていたが早くに結婚したので、挫折したのです。15年早く出会っていれば「自分はスターになれたのに」がどっと湧き出したのです。そして自分の代わりに娘をと懇願されました。

 その後、お会いしていませんので娘さんがどうされたか分かりません。

 亭主に半ば諦めが起きると、自分の夢の全てを子供に託したくなります。我々年寄りも「孫だけが希望の星だ」と冗談半分に言います。確かこのブログに始めに孫は声の天才と書いています。少しどこかによさそうなところがあると一段と期待は激しくなります。

 問題はその期待に応えられ才能があるかです。

 サッカーで言えば、スタミナと分散集中(運動神経の一種)に尽きます。
 俳優、歌手も分散集中が重要です。
 これらは一点集中しかできない子供であれば、潔く諦めるのです。

 ところが分散集中の能力を誰がどのようにして見極めてくれるのでしょうか。どんな有名なスポーツ専門かも、オリンピックでメダルを取った名選手も「分散集中なんて」誰も知りません。だから子供にそ能力があるか、ないかなんて判定できません。

 そこで親たちは、何が何でもどこかに自分の子供を押し込み、猛烈にお尻おをたたきます。それはまるでバナナに叩き売りのように「さあ、買った、買った」と威勢がよいのです。

 亭主に望みが薄くなった母親は、掛ける二の馬力で子供に対決します。

 形は少し違いますが、ある有名なアナウンサー、声優の養成所は約2万人、高いお金を取り卒業させています。しかし1人も目立って活躍する人は出ていません。2万人でゼロなのです。一人100万円から200万円として莫大な無駄使いをさせられました。極端に言えばそんな勉強の場はない方ほうがいいのです。もしこんな見方をすれば、日本から一つもその種の養成所はなくなるかも知れません。

 分散集中についてはかなり長い記述になるのだ何時か述べます。
 
 ただ私は15分ぐらいでそのお子さんの分散集中能力を調べられる方法を開発しています。

 子供の叩き売り二付いては私はまだまだ続けるでしょう。耳垢をほじくつて待っていてください。

 

おごる阪神、平家の二の舞。

2005年10月26日 06時49分50秒 | スポーツ
リーグ優勝で、ビールかけをやり過ぎた。
 終盤、選手の心に、おごり、高ぶり、なめるが増徴しているのを指揮官は見破れなかった。
 技の下降ではなく、心の下降が激しく水面下で進んでいた。

 人間万事最後までわからない。下駄を履くまで・・・つまり最後の試合が終わるまで・・・。

 今回の阪神は見事に、我々に教訓を再認識させてくれた。

 これで後、10年は優勝から遠去かも。

 人間とは、人生とは、恐ろしいものだ。

 たつた1回のビールかけが、これほど辛いことになるとは。

 半年以上の戦いで疲労がピークに達しているときに、ビールを掛け、飲み、騒ぐ。その後も続く。
 キャンプで蓄えたものの全てはなくなった。
 それでも試合は続く。ボロボロになる。
 そして日本一への戦い。
 もうやれる心も、体もない。
 

サッカーは日本人と違いすぎる。

2005年10月25日 23時22分02秒 | スポーツ
狩猟民族と農耕民族と分けて考えたが、ブラジルは農業が盛んだ。それでもサッカーは強い。

 どうも私の今までの論では収まりきらない。

 何人かで一つの球を取り合うと一対一で戦うとしたほうが無難かも知れない。

 重要な問題は一点集中か分散集中にある。

 比較的一点集中はやりやすい。どちらかと言うと固める方向にある。
 分散はリラックスの方向で、しかも緊張しなければならない。これが日本人には大問題である。

 手をパアに開いて力を入れる・・・分散型。
 手をグーに握り力を入れる・・・・一点型。

 ジャンケンの時、相手ががんばろうとしていると、グーを出す。
    〃      〃 楽に構えていると、パーになる。

  日本人はグーを出し易い民族と思われる。それに室内が加味されて柔道、相撲などが生まれた。
 
  片やヨーロッパなどは、特に貧困な地方では、屋外で何かをやると1ッのボールを取り合う遊びからサッカーは生まれたのだろう。20人が1ッのボールを取り合い、相手のゴールに入れる。ここで生き残る人は自ずと分散集中に長けた人のみとなる。元々底辺に分散型が多いのだから。良い選手も生まれ易い。

 ところが日本では非分散型が多いため、テクニックが優先的に発達した。しかしこれは荒々しさの前では柔道の朽木倒しのように敗北する。

 屋外で一球を奪い合う。この根本に似合わない民族が、問題点を明らかにしないで、単に時間を重ねてきたのではないか。

 初心に帰り、分散集中とスタミナがある子供を見つけ出し、育てるべきであると私は提言する。

 随分難しい話になりました。ごめんなさい。


サッカー狩猟日本農耕負当然

2005年10月25日 20時57分01秒 | スポーツ
最近日本のスポーツ競技は団体で争う、バレーボール、サッカー、野球、など負けが続いている。
 概ね、団体球技は外国で開発された。その中でも狩猟民族が始めた球技はバイタリチーに富、360度に気を配らねばならない。
 一方、農耕民族は個人で対戦するものが多く、相撲、柔道、剣道、相撲など相手一人に神経を使えば済む。ところがサッカーなどは自分の周り360度に気を配る必要がある。これが日本人には大変苦手となっている。

 日本人は一点集中に優れ、ヨーロッパ人は分散集中、数点以上に気を配れるのである。この分散集中は生まれながらの性質で後天的に身に付けるのは、至難の業である。

 この分散集中を知らないままに日本のサッカーは進行、発展してきた。しかし今、ヨーロッパから見れば「海の向こうに別のサッカーがある」が実感であろう。端的に言ってレベルが低いのだ。日本だけで通用する戦い方を身に付けたのだ。それは一点集中を改善しないで、一点集中でやれる方法を編み出したともいえる。

 農耕民族は前だけ向いていればよい。
 
 狩猟民族は左右、後ろに気を配らなければ、野獣に襲われる。特に後ろから狙われる事が多い。それで分散集中が鍛えられたのである。

 今では私によって、分散集中のレベルが計れる様になっている。
 この数値の低い人はサッカーなどは選ばないほうがよい。




スポーツ首脳陣,頭働かせて。

2005年10月25日 18時58分41秒 | スポーツ
例えば阪神タイガース。サブマリン投法は試合が始まる前から分かっている。その対策を殆どやっていない。そんな投げ方をするピチャーがいないと出たとこ勝負で挑んで見事に敗れた。
 
 この対策は簡単である。先ずバツターボクスを1m高い台を作る。サイド投げのピチャーをマウンドより1,2m前から投げさせバッテイングの稽古をさせるのだ。これをでサブマリンの名投手と同じような投球になる。何よりも目が慣れるのである。
 
 次に日本のサツカーにおける問題を述べよう。

 先ず日本人は一点集中が得意である。これはサッカーでは最悪である。360度、周りガ見えていなければやれない球技である。一点集中は視野が狭く45度ぐらいしか見えない。不足のの315度が日本のサッカーの幼稚さである。これを改善するには分散集中を学ばせるか、もともとそれが得意な子供を育てるのだ。分散集中の能力を調べる方法については私は面白いものを発見をしている。簡単にそれを調べられるのである。

 私は以前、チェヤマンに分散集中を調べ、あるいは伸ばすべきであるをかなり詳しい説明を加えてた文章で進言した。しかし何のリアクションもない。それからこの分散集中の欠如から来るミスで日本のサッカー散々な目に会っている。

 昔、バレーボールで大松と言う監督がいた。彼は回転レシーブなるものを開発してオリンピックで日本の女子バアレーを優勝させた。彼はその他、数々の工夫と、発見を生み出した。しかし成功する途中では選手達の背中がラクダのコブのように腫れ上がり、労働組合から「大松は過酷だ、止めさせろ」の抗議が社長に何度も浴びせられた。

 サッカーにしても、日本代表は9人で練習試合をさせるのだ。将棋で言えば飛車、角落ちである。
 しかも自分のキパーところから10秒以内から5秒以内と短くして相手のゴールに到達する、あるいは蹴りこむをストプウオツチで計るのだ。なにが何でもその時間内にやらせるのだ。東京女子体育大学のダンスの練習は、ミスをすると、始めからやり直す。99%までできても始めからと言う稽古がある。
 時間内に達成しなければ何度も始めからやり直させるのだ。
 現状の日本のサツカーの練習は甘いのではないか。

 ヨーロッパのサツカーは何しろスピードガ早い。日本人はボールを貰ってもノンビリと構えて次にまわす。パス回しの一つ一つにロスタイムが多すぎるのだ。
 
 首脳陣は私が提案するこんな策が何で生み

母親サッカー熱望、子供悲劇。

2005年10月25日 16時05分30秒 | スポーツ
傑作(0)
2005/10/25(火) 午後 3:54 | 無題 | サッカー







日本の母親は犠牲的な精神が強い。それはまるで鮭が産卵して全てを使い果たして死ぬかのように。
 自分の残りの人生の全てを子供に注ぎ、夢を託す。その本命はどうやらサッカーのようだ。
 
 サッカーでスター選手は日本には50名もいないだろう。現在、サッカースターを目指す子供達は100万、いや300万人を超えるかも知れない。成功確率は3万分に一である。
 
 人間、成功だけが目的では情けない。参加する事に意義がある。挑戦する事に意味がある。

 しかし、子供の人生を親の願望で歪めていいものか。

 ここから先はレールはありませんと言う荒野へ子供乗せれば、レールがなくなると走れない。
 レールがないとは「才能がない」である。それは無謀な挑戦である。

 挫折は人間の肥やしだと言う人もいる。しかし無謀はある意味で死につながる。イラクで首を切られた青年がいた。これと似た現象が、今、日本全国で、特に母親の希望で行われているのではないか。

 元々サッカーは日本人に不向きな球技である。
 
 狩猟民族で、何時、背中から野獣に襲われるかの緊張感が充満した、民族が生み出した。

 農耕民族の我々は、前だけ向いて耕し、種を蒔き、収穫すればよい。昔は熊も背中から襲う事はまれで、ノンビリと実るのを待てばよかった。だから相撲、柔道、剣道などが生まれた。

 左右、背後に常に神経を使う習慣を、私は分散集中と言う。
 サッカーの生命はスタミナと分散集中にあると私は思う。
 この二つが日本人には大きく欠けているのだ。
 3万分の1のスター選手でも、分散集中は苦手である。

 自分の子供がヨーロッパのスター選手と同じ才能を持っと思うのか。それは1、000万分の1の確率かも知れない。その天文学的確率が自分の子供にあると思うのか。
 
 趣味として、健康としてサッカーを愛好することに私は反対ではない。

 これから時々続けて行くだろう。