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江利チエミ死亡。私間に合わず

2012年12月16日 08時45分36秒 | Weblog

  国民的アイドルは一種の財産だ。そんひとを早くして失うのは悲しい。

  40才頃になくなられた故江利チエミさんにひょんなことから、ボイストレーニングをすることになった。確か彼女が38才頃か。

  私から見れば「雲の上」のスターであった。そんな方が私のトレーニングを希望された。

  トレ-ニングをはじめると彼女の体の柔らかさに驚いた。立たままの姿勢から上体を後ろに曲げて床に手がつき、また戻る。今で言えば新体操の選手のようだ。

  「何かしましたか」と私が聞くと「全然何も柔軟体操などしたことがない」とケロリとおっしゃつた。

  天才少女と言われ、国民的歌手になられた、秘密なこの柔らかさにあったのではと今でも思っている。

  さて何で私にボイトレをお願いされたのか。多分、藁をもすがる、悩みがおありのようだった。

  37才ごろ声帯ポリープになり、有名な大学病院の、一流の医師で声帯ポリープを除去する手術を受けられた。

  何故か時間を置かず2度目の手術となる。

  私がお付き合いした頃は完全に直っておられた。しかし何故か「昔の歌が歌えないんです」と悩んでおられた。だから私の出番があったわけだ。

 当時、表参道の辰村組のマンションでトレーニングは開始された。走るところがない。そこで屋上をやりくりして走った。表参道のド真ん中の道を走る勇気はなかった。吉川晃司君は超ど真ん中を走らせたが・・・・・。

  2度目の時「先生体中が痛くて、終わった後、マッサージ、焼肉と大変だ」とこぼしておられた。

  結局、6回ぐらいの個人レッスンで終わる。

  昔の歌が歌えなかったからか。

  その後、写真週刊誌などで住まいの近くの路上を走っておられる記事を見た。

  そらから1年後、ぐらいに自宅のベットで「死亡」を知った。週刊誌によれば酔って嘔吐してそれが呼吸器に詰まり窒息死であった。彼女の異変をしる人は周りにはいなかった。

 昔の歌が歌えない苦しみは深酒と言う結果を生んだようだ。  

 声帯ポリープの段階で、声帯手術の前に私とお付き合いしていれば、現在も歌手として活躍なさっていたかも知れない。

  当時は今ほど声帯手術での成功率が高くなかった。今では内視鏡などで成功率は飛躍的によくなった。

  因みにある種のトレーニングで声帯ポリープ、結節は完治します。よほど悪質でない限り。

  最後に江利チエミさんのご冥福を祈ります。            

  

                    荒谷 起吉三