滋賀と京都の境目辺り、昔の東海道逢坂関跡近くにあるうなぎ料理屋さん「かねよ」にうなぎを食べに行きました。

名物の「きんし丼」。うな丼の上に大きな出し巻き卵が乗っています。
おいしかったー。

広い日本庭園の中に茶室風の建物が点在していて、お庭を眺めながら食事ができるようになっています。
レトロな洋館もありました。創業明治5年です。

「名にしおはば逢坂山のさねかづら 人に知られで来るよしもがな」のさねがずらがありました。
まだ実が青かったけど。

左の方に見える木から垂れ下がっているかずらがサネカズラです。

「鬼の念仏」くん。
日本一のうなぎ「かねよ」
電車なら京阪京津線「大谷駅」下車すぐです。

近くに蝉丸神社がありました。
「これやこの 行くも帰るも わかれては 知るも知らぬもあふさかの関」
の蝉丸法師がこの近くに庵を結んで住んでいたそうです。

蝉丸神社の入口に、東海道に敷かれていた「車石」が残されていました。
荷車が通りやすいように、轍の幅に合わせて溝が掘られています。
いつも京阪電車か車で通り過ぎるだけだけれど、にぎやかな国道をちょっと入ると昔の街道のたたずまいを残した風景が残っていて、別世界に落ち込んだような不思議な感じがしました。このまま山を越えて京の方まで歩いて行くのもおもしろいかもしれません。

名物の「きんし丼」。うな丼の上に大きな出し巻き卵が乗っています。
おいしかったー。

広い日本庭園の中に茶室風の建物が点在していて、お庭を眺めながら食事ができるようになっています。
レトロな洋館もありました。創業明治5年です。

「名にしおはば逢坂山のさねかづら 人に知られで来るよしもがな」のさねがずらがありました。
まだ実が青かったけど。

左の方に見える木から垂れ下がっているかずらがサネカズラです。

「鬼の念仏」くん。
日本一のうなぎ「かねよ」
電車なら京阪京津線「大谷駅」下車すぐです。

近くに蝉丸神社がありました。
「これやこの 行くも帰るも わかれては 知るも知らぬもあふさかの関」
の蝉丸法師がこの近くに庵を結んで住んでいたそうです。

蝉丸神社の入口に、東海道に敷かれていた「車石」が残されていました。
荷車が通りやすいように、轍の幅に合わせて溝が掘られています。
いつも京阪電車か車で通り過ぎるだけだけれど、にぎやかな国道をちょっと入ると昔の街道のたたずまいを残した風景が残っていて、別世界に落ち込んだような不思議な感じがしました。このまま山を越えて京の方まで歩いて行くのもおもしろいかもしれません。
中井家は、仙台・京都・丹後等に出店を持ち、生糸・古手・繰綿の回送販売を主軸とする産物回し商法で巨利を得、仙台藩の蔵元として藩札発行や、大名貸し110件もしていたほんとに豪商だったようです。
屋号は日野屋・近江屋を使っていたようです。
卒業した翌年、同窓会の受付係をしたら後日「ごくろうさん会」と言うことでこちらに席を設けてくださいました。
次から次から出てくるうなぎ料理。おいくらのコースだったのでしょう? とにかくおいしかった。。。
きっとすごいご馳走だったのでしょうね。
何も知らず、きょとんとして大人のみなさんと一緒に食べていました。
あのあたりね。上栄町とか、追分とか。。
きっと電車沿にも古い建物がたくさんありますよね。 ちゃんと調べて歩くと面白いと思います。
近々親戚を連れて京都のかねよさんに行こうと思ってホムペを調べていて、はじめてこちらが本店ということを知ったところなんです(ずっと京都のお店だと思ってました^^;)。本店は鄙びたいい感じですね。洋館と鬼の念仏くんをみに一度いってみたいです。
日野の近江商人記念館(旧中井家住宅)の玄関にも車石が展示してありましたね。近江商人、太っ腹ですねえ。
滋賀の「街道を歩く」もいいかもしれませんね。
こちらでも法事のもてなしとか、団体さんの利用も多いようで、行った日も思ったよりたくさんのお客さんが次々と来られていました。
きんし丼のかたちも全然違います。こっちは出し巻風だし、あっちは丼をおおう感じ。
こっちの出し巻はやや固めだと思いました。
あっちのも食べてみなくっちゃ。
売っていたのかな?5枚組になっていたみたいだけど。
私は鬼の念仏ではなく、藤娘や鷹匠などの絵はがきを時々買います。
確か、大津の長柄神社へ行く途中に2軒、大津絵を売っているお店があったような気がします。