joy - a day of my life -

日々の体験や思ったことを綴ります(by 涼風)。

『25年目のキス』

2006年10月20日 | 映画・ドラマ



昨日、テレビで『25年目のキス』という映画をしていました。ドリュー・バリモア主演の、多分1999年ごろの映画ですね。

内容は、一流新聞社で事務をしているOLのバリモア嬢が、初めて記者として仕事をするというもの。その仕事というのが新聞の一面記事を飾っている潜入取材。彼女は新聞社のトップから命じられてハイスクールに潜入することに。初めて記者として活躍できることに喜んだ彼女ですが、しだいに高校生の頃のコンプレックスを思い出します。

そのコンプレックスとは、ようするにダサくてモテなかったということ。がり勉だった彼女はまわりからいじめられ、男の子にもてず、悲惨な体験ばかりしていました。おそらくそのコンプレックスをバネに一流大学で勉強し、若くして一流新聞社の職を得たのです。

そんな彼女も高校生の頃を思い出すと、苦しくなるほど高校生のときのコンプレックスに悩まされます。

映画は、そんな彼女が高校生になりすましてやはり昔のような失敗を繰り返しながらも、学校内の美人グループ、ハンサムな男の子たちに近づいていく過程を追います。しかし、そうやって昔のトラウマを乗り越えてみると、そんな高校生の間でのグループ意識、差別みたいなものが、ちっちゃな世界のことでしかないことを悟ります。

子供たちは社会のことを知らないから、ハイスクールで周りから羨望される美人・アイドルグループがこの世の頂点のように思えてくる。しかし実社会に出ているバリモア嬢から見れば、高校生のときのそんな世界は、卒業パーティで終わりを告げる小さな社会に過ぎないのです。


学校というのは、朝から夕方まで毎日そこで生活しなければならないという意味では、とても息苦しい場所です。そこで毎日過ごしていると、世界はそこにしかないと思い込んでしまう。

そんな場所でイジメにあえば、自分のいる社会全体が自分を辱め貶めるように見え、毎日拷問の中で暮らすような感覚になるでしょう。これは、最近のニュースをみていると、僕の子供の頃から今でも変わらない傾向のようです。

大人からみれば、子供の頃は我慢しても社会に出れば自由になると言う人もいるかもしれません。

しかし大人になっても、視野が狭ければ、自分のいる会社・職場だけがこの世界と思い込みます。ひとたび今の職場を離れても、自分は思い通りに自由に生きていくことができると思える人は多くはないのではないでしょうか。多くの人は、現在は収入が安定していても、「もし今の職を離れたら、どうやって生きていけばいいのだろう・・・」という恐怖・不安をもっているように私は想像しています。

そんな思いでいれば、職場の雰囲気もどうしても苦しいものになるように想像できます。会社によっては、学校のイジメのような圧迫を加えられているかもしれません。でもそんな職場でも、学校に通う子供たちのように、その職場だけが世界だと思い込むと、自分の嫌な状況を甘受してしまうし、そこから抜け出そうという意欲をもてなくなる場合もあるでしょう。あるいは、そういう気持ちのときに強制的に外に放り出されたら・・・


高校時代のコンプレックスや学校のアイドルたちへの羨望は大人から見れば笑い話かもしれません。その頃の価値基準である「ルックス」は、大人になればそんなに大きな意味をもちません。しかしそのかわりに、「社会的威信」「収入」「身分」など別の要素が価値基準として人々の頭を占めるようになります。

そんな価値基準を、この映画の主人公のように、思い出して少し悲しくなりながらも、手放せたら、と思います。


涼風


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4 Comments

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (Rumiko)
2006-10-20 20:49:11
このBlogを知人たちに紹介いたしました。

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わたしは、平和な印象の文を読むのが好きです。

宗教色の本を好むのも、そこに平和があるからです。

攻撃的な文章や激しい文章は好みません。



私がずっと好きで読んでいるというか見ているBlogがあります。

彼の客観的な文体も好きですが

写真がお気に入りなんです。

P心理学で出会って、時々自社に来てくれる方です。



普通の景色を写しているのですが

そこに「自然さ」「普通である」「平和」「安らぎ」「日常」という印象を受けて、毎日見て、実は癒されています。



皆さんに彼のBlogを紹介します。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~

いつも癒される写真をありがとう♪
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Unknown (涼風)
2006-10-21 00:14:55
Rumikoさん、写真、お褒めいただいてありがとうございます。(^_^)



最近想うことは、自分が何かを感じてもいないのに、気に入る写真は撮れないんだろうな、ということです。



本当は対象に感動していないのに、構図かなにかを考えて「こうすれば“いい写真”になるかな」って思って撮った写真は、やっぱり後から見ても退屈なんですよね。



写真も勉強し始めれば、たくさん自分の撮り方に“改善点”が見つかってしまうかもしれません。



でも、まずは撮ろうとする対象に自分が何かを感じないと、自分の気に入った写真って撮れないんだろうな、と思います。



だから、いいカメラをもつよりも、まず世界を楽しむことですね。



と言いつつ、家電屋に行くと一眼レフを手にとってしまうのですが・・・(^^)
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Unknown (pinkghost)
2006-11-05 02:02:04
僕も日本とアメリカで一回ずつこの映画を見たことがあります。ドリュー・バリモアは「ウェディングシンガー」に出てたころから好きな女優ですがこの映画でも可愛らしいですね。

それはさておき、私見ですがこの映画の面白さというか恐ろしさは多くの人が知っていても口に出せなかったアメリカの子供社会の側面=冷酷なまでの階級社会、を暴いたところだと思います。女の子だったら容姿や活発さなどを含めたチャーミングさ、男の子だったらスポーツに秀でているか、そこで人気者グループに入るか除け者にされるか決まってしまいます。そして高校の卒業儀式であるプロム(prom, フォーマルなダンスパーティー)にしても、人気者中心で主催されることから、そこにいるのは当然人気者グループの面々が中心であることが多いわけです。
バリモアが演じたジョジーはモテナいグループの代表、その弟は人気者グループの代表例と言ってもいいでしょう。

もちろんほとんどの人にとって高校時代というのは人生の極一部でしかないのですが、高校生にとっては高校での生活や人間関係がほとんどすべてで、そこで冴えない立場の子たちは息苦しさを感じて生活してるのかなと思うと胸が苦しくなります。恥ずかしながら僕も高校ではそんな冴えないガキで、高校で自分の居場所がないものだからバイト先や予備校で友人を作ってましたね。まだ僕の場合は予備校などの逃げ場があったからよかったですが、そういう逃げ場のない人にとってはこんなに辛いものはないのではないでしょうか? 学校での冴えない自分を知っている人がいない所に行かないと、心の解放は難しいですからね。
人生トータルで見れば学校での苦しい思いなんてチッポケなもの、というのは大人になったから言えることで、社会にでたことがない子にそれは通じないでしょう。

本当はこんなことに悩むのは生産的でもないしバカらしいのでしょうが、かといって簡単に脱却できるものでもないわけですよね・・・

とりとめのない話になってしまいすいません。
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Unknown (涼風)
2006-11-05 09:35:19
pinkghostさん、おはようございます。 いろいろお話してくださって有難うございます。

たしかにこの映画を見ると、アメリカの高校ってとても息苦しい世界なんだろうなと思いますね。プロムなんて華やかな習慣のように見えるけど、じつは多くのモテない子が惨めさを感じていて、楽しんでいるのはごく一部だけなのかもしれません。

もちろんそれは日本も同じで、中学や高校では一部の「恋愛エリート」だけが学校生活を楽しんで、他の子は劣等感を感じて暗い想いをしながら学校に通っているというのが実態かもしれません。

いわゆる「一流大学」出身の人で僕が知り合った人たちと話をしていると、「高校時代に友達はいなかった」「嫌なことが多かった」と話す人が複数いて驚きました。

僕から見れば、彼らは受験社会の中で陽の当たる道を歩いてきたように想像していたのですが、本人たちの内面には複雑なものがあるんですね。

僕の大学時代の友人も、予備校で初めて青春を味わったとよく言っていました。

僕自身も高校のときは友達を自分から作らずに孤立していました。

よく「会社人間になってはいけない」と言われるけど、「学校人間になってはいけない」とは言いませんね。

でも、会社にしても学校にしても、その世界が唯一だと思ってしまうと自然に息苦しくなります。

学校の存在自体を否定する必要はないでしょうけど、学校以外の場・価値観に子供が世界を持てるようになれたら、とも思います。
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