淳一の「キース・リチャーズになりたいっ!!」

俺好き、映画好き、音楽好き、ゲーム好き。止まったら死ぬ回遊魚・淳一が、酸欠の日々を語りつくす。

「海峡の7姉妹」。畑澤聖悟の演出に流れているセンチメンタリズムこそが正義である。

2015年05月20日 | Weblog
 だいたいにおいて、小説や映画や演劇や音楽を表現媒体として自ら創り出し、それを公けに向かって発表するという行為それ自体、誤解を恐れずに言い切ってしまえば、ある意味、狂気の沙汰としか思えない行為である。

 それは、虚構だろうが想像の産物だろうが、現実の写生だろうが真実の吐露だろうが、なんら変わりはない。
 どれであれ、結局は自分自身を曝け出すことであり、焙り出すことであり、恥ずかしさを大衆の面前に露にする行為にほかならないからだ。

 たとえばそれは、私小説だから曝け出していて、フィクションだから曝け出していないという、そんな短絡的なことでは勿論ない。
 公衆の面前で、精神のおちんちんを見せるという行為、これは徹底的な恥ずかしさと、それと同じくらいの快感を得る、とてもアンビバレントな行為なのである。

 だからこそ、プロの芸術家は命懸けなのだ。
 死さえ賭している。
 心が粉々に破壊される。

 だからこそ、日々苦しくて、日々悶えていて、日々楽しくて、日々醒めていて、日々淋しくて、日々怒っていて、日々哀しいのである。

 畑澤聖悟作・演出による「海峡の7姉妹~青函連絡船物語~」は、津軽海峡を跨いで青森と函館との間を、80年間にわたって日々往復していた青函連絡船の物語だ。
 津軽丸や八甲田丸や十和田丸など7隻を7姉妹に見立て、その物語は進んでゆく。

 畑澤聖悟の「海峡の7姉妹~青函連絡船物語~」は傑作である。

 青森市新町にある「渡辺源四郎商店しんまち本店2階稽古場」、5月19日火曜日夜7時半からの回を観た。
 観客席が舞台をぐるりと囲んでいる。
 もちろん、場内は満員である。

 時間にして約1時間30分。
 青函連絡船を演じる女性たち7人が圧倒的に素晴らしい。
 ラスト近く、観客席からすすり泣く声が聞こえて来た。

 清々しいくらいにセンチメンタル。
 女優たちの瑞々しさが観る側にも伝播する。

 畑澤聖悟の演出に流れているセンチメンタリズムこそが正義である。
 それから、ドラマターグ、演出助手である工藤千夏に流れているセンチメンタリズムもまた、正真正銘の正義である。

 「海峡の7姉妹~青函連絡船物語~」は、痛々しくて、儚くて、とてもセンチメンタルな物語だ。
 そして、それは絶対的に正しい物語だ。

 言葉も、日本の近代史も、デフォルマシオンされた青函連絡船も、すべては時間の経過とともに壊されてゆく・・・。

 美は乱調にのみ存在している。







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