淳一の「キース・リチャーズになりたいっ!!」

俺好き、映画好き、音楽好き、ゲーム好き。止まったら死ぬ回遊魚・淳一が、酸欠の日々を語りつくす。

「金曜日の夜の悲しいプッカ」

2009年06月19日 | Weblog
 仕事がめちゃめちゃ忙しい。
 色んな案件が目の前を飛び交い、時間だけが獲物を追い駆ける餓えた豹のように猛スピードで過ぎ去ってゆく。

 ああ。
 遊んでいたい。疲れるまで遊び呆けていたい。享楽の限りを尽くして朽ち果てたい。
 一生、ジョージ秋山の漫画「はぐれ雲」のように生きていけたら幸せだろうなあ。ただ流れるままに。気ままなその日暮し・・・。

 そういえば、今日は「桜桃忌」。太宰治生誕100周年である。
 太宰も改めて全部読み返そうと思っていたのに、こうして仕事に追われ、結局叶わない。
 小説も書けず(それは単なる言い訳だけど)、本も読めず、ジムにも通えず、時だけが無情に流れてゆく。

 なんていうか、時間の感覚がない。
 変化がないのだ。のっぺらぼうな日常。
 日々、ひたすら忙しいだけで、そこに濃淡も、機微も、変化も何もない。

 毎日が日曜日だったころが懐かしい。
 東京で暮らしていた頃は、毎日が日曜日だった。
 よく遊び、全然勉強などしなかった。
 朝まで起きていたので、昼と夜がまったく逆になり、朝刊を読んでからベッドに入って眠ったものだ。

 それにしても毎日よく眠ったなあ。何であんなに眠れたのだろう。
 10時間は寝てただろうか。起きると飯を食い、街に出て、ひたすら遊び呆けた。
 東京の街はひかり輝いていた・・・と単純に思い込むのは、単に懐かしさから来る記憶の嘘なのだと重々認識してはいるんだけれど。
 ノスタルジィは虚構でしかない。だから青春という名の日々だって、記憶が嘘をついているだけだ。あの頃も今と同じように、本当は辛くて孤独で切なかった。

 なんてことを、ぼんやり考えながら、オフィスで独り、仕事をしている。
 時間は、とっくに夜の11時を過ぎている。6月19日金曜日の夜。
 ビルの大半は電気が消えている。真っ暗な夜空には、星さえ見えない。

 こうして、一つずつ僕は歳を取る。
 そしていつのまにか、振り返ってもそこには誰もいなくなる。

 夜の静かなオフィスに、僕が叩くパソコンのキーボードのカタカタという乾いた音だけがこだまする。
 しーんとしている。ほかに何も聞こえない。

 夕食も食べてない。でもお腹は全然減ってない。
 デスクの引き出しを開けたら、今朝売店で買っておいた、明治製菓の「プッカ」が入っていた。仕方がないのでそれを摘んだ。
 むしゃむしゃむしゃ。
 切ない音だなあ。

 悲しくなってきた・・・。






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