考えるための道具箱

Thinking tool box

10月10日(木)のつぶやき

2013-10-11 00:55:37 | ◎目次

アフリカで道に迷ったアルトゥーロ・ベラーノが、フランス語で書いてある世界中のあらゆる詩人たちに関する短い文章を集めた概要書である『一九四五年以降のフランス語現代詩』を読み、一人ひとりの詩人の作品と肖像写真についての記憶と妄想を連綿と(ある意味くどく)語り続ける短篇が「写真」⇒


⇒「あるいはジャン=フィリップ・サラブルイユ、……俺のことを死の側から薄笑いを浮かべて見つめながら、俺か、この本を持っていたアフリカの読者に向かって、だいじょうぶだ、人の魂の浮き沈みに目的などない、だいじょうぶだと言っている……」といったような幻想が続く。⇒


⇒つまりこれはいま私の手もとにある『サロン・ドット・コム 現代英語作家ガイド』のようなものを読みながら、自分のテキスト体験に思いを馳せ短い文章を書くようなものなのだけれど、これで一篇の小説が書ける、小説となってしまうのが驚きではある。⇒


⇒同時に、ボラーニョの他の小説と同じく、詩の言葉の力が、ある時代のチリやメキシコにおいてここまでアクチュアルなものだったのか、というのは、日本の感覚からするとたとえ1968年ごろに戻ったとしても理解できない部分ではある。⇒


そんなことを考えながら、もし生前の彼が『カムイ伝』、『忍者武芸帳』なんかを読んだらどんな感想をもったのか知りたいと思った。


話は変わる。そんなこともあって『サロン・ドット・コム』をパラパラ捲っていると、目についたのがリチャード・パワーズの項。⇒


⇒去年今年とパワーズの新しい作品が翻訳されているが、じつは『黄金虫変奏曲 The Gold Bug Variations』とか『さまよえる魂作戦 Operation Wandering Soul』なんかがいっこうに訳されないのはどういう事態なのか。誰かが途中で投げ出した?