そのころ、世に数まへられぬ古教授ありけり。

この翁 行方定めず ふらふらと 右へ左へ 往きつ戻りつ

3月4日(水)その2

2009年03月04日 | 昔日記
 夕方、麻布十番のお稽古事に行く。今月下旬の拙著CD録音の練習を中心に行っていただいた。まことに恐縮。時間も15分ほど延長。初心者講習は私の担当で、21:00まで30分ほど6名を相手に行ったが、ベテランの人が多かった。

 ムーミン大のOさん、Nさん、それにウチの院生Sさん、Eさんと「萬力屋」へ行く。「山忠」は満員だった。彼らは私の初心者講習に付き合ってくれたわけで、ご馳走せにゃならん。Nさんには、CD録音でもお世話になるので、ご主人へと「豆源」の「おとぼけ豆」をお土産に差し上げておく。

 Sさんと二人で紹興酒のボトルを1本空ける。フロアのオジさんは、聞けば昭和35年生まれだとか。東京タワーがモスラに折られたことをご存じだった。麻布十番周辺にも被害があったらしい。よくぞこれだけ復興したものである。オジさん、いつの間にか私のことを「先生」と呼ぶ。レジ近くの水槽の亀が、興奮して動き回っていた。名前を教えてもらったが、失念した。

 去年の今ごろはNYだった。苺白書大学で集中講義。今年は同僚T教授が、下高井戸大学教授の奥さんと一緒にあちらへ行っている。

3月4日(水)

2009年03月04日 | 昔日記
 小倉優子は「ゆうこりん」で、「こりん星」から来たということになっているらしいが、これは「こりんさん」と何か関係があるのだろうか? 東輝次『防諜記』を読了。「こりんさん」は、吉田茂の妾だった「坂本喜代子」の「代名詞」であった。まあ、関係ないかな。

 再来週、関西へ実地調査に行くことを計画している。それで、私有地内にある遺跡を見せて欲しいと依頼状を郵送したところ、今しがたメールで許可する旨の返事がきた。ありがたいことである。関空の対岸あたり。飛行機の方が安いので、今回は羽田―関空の往復チケットをとった。