そのころ、世に数まへられぬ古教授ありけり。

この翁 行方定めず ふらふらと 右へ左へ 往きつ戻りつ

5月22日(土)6:30@Seattle

2010年05月22日 | Seattle日記
 バンクーバーにあるBC大学のLさんからメールがきた。彼女がおいでなら遊びにいったところだが、東京でサバティカル中なので、行っても仕方がない。今、訪問学者として受け入れている韓国の国立大学教授Pさんも、BCにいらしたことがある。韓国人に言わせると、バンクーバーは「この世の楽園」であるとか。シアトルに暮らしてみて、NWは夏は本当によさそうだなと思う。海産物とワインは素敵だ。Lさんは6月はじめ、いったんカナダ・アメリカへ戻るとのことだが、中旬に再び日本に来るそうで、東京で会いましょうと約束する。

 さて21日の授業は、教室変更があった。どうも勝手が違ってまごつくも、A先生から特段批判はされなかったので、胸を撫で下ろす。なんでも学生会館を建て直しのため取り壊すことになり、そのお別れイベントとやらでドラムをガンガン叩くのが聞こえる。

 夕食は鰻丼を作った(画像)。Uヴィレッジのスーパーで買ってきた鰻の蒲焼は2$だった。それをいったん洗って、スチームケースで加熱してから切り、小丼の御飯の上に載せる。たれは、つゆの素に赤ワインを加え、砂糖も入れて煮詰めた。鰻の処理は関西式で、蒸してないのでちと泥臭いか。小骨も残っていたがご愛嬌だ。「旬」で食べた鰻重にさほど遜色はない。

 NYに滞在していた時には、鰻重が食いたいがどこにも無く、日系の食料品店で真空パックを1度目にしたくらいだった。アメリカでは鰻重など食えんものと覚悟して来たが、シアトルではそうでもない。逆にNYに蕎麦屋があったが、シアトルでは見かけない(宇和島屋へ行けば乾麺は売っている)。といってもユニバーシティ・ディストリクトからほとんど出ない生活だから、どこかにあるのかもしれない。ラーメン屋は多い。あとは、ベトナム系の方が比較的多いせいか、フォーのお店はたくさんある。

 天井の電球が切れているのを、自分で取り換えた。シンクのライトを直しに来てくれた時、なぜか予備の電球をたくさん置いて行ってくれたから、今後は自分でせいという意味だったのだろう。人を呼んでチップを渡すのも面倒くさい。1$札は節約せねばバスに乗れない。今日はいくらなんでも床屋へ行くつもり。

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