そのころ、世に数まへられぬ古教授ありけり。

この翁 行方定めず ふらふらと 右へ左へ 往きつ戻りつ

6月2日(火)6:30@Seattle

2010年06月02日 | Seattle日記
 昨日の大学院ゼミはテクストについてのディスカッションで、次回木曜はペーパー提出のための院生各自の発表となるから、実質上最終まとめの回となった。仏教学のT先生も臨席していらっしゃるので、天台本覚思想や末法といった言葉が飛び交う。最後に日本から持ってきた古語辞典や新大系を院生諸君に1冊ずつ差し上げ、A先生には室町後期写新古今集残欠本からカットした1葉、簡略にを額装して進呈した。それぞれ喜んでいただけたようだ。

 ゼミの後、17:00から、DECAホテル地下の「The District Lounge」へ。A先生とSさん、それに受講院生諸君全員とお食事をした。事実上の送別会を開いてくださったのである。A先生、「デカ地下」などとシャレをお飛ばしになる。私のおやぢギャグが相当伝染したみたいだな。(笑

 お礼に「天国と地獄」のスナック芸を伝授したら大いにウケた。調子に乗って「日×10」のクイズもお教えした。皆さんからは記念品として「Fireworks」の掛け時計を頂戴して恐縮する。ここのクラフトは気が利いていて、娘の土産にTシャツをもとめたりしたから、私も存外目が肥えているのかもしれない。

 ところで、「The District Lounge」へと向かう道すがら、院生のEさん(シアトル生まれの女子学生)から、美作市の「百々」を「どうどう」と読むのは何故ですか?との質問を受けて、即答ができなかった。こちらの院生さんのレベルの高さ、推して知るべし。後で調べてお返事をしますとかわす。どうやら回数が多いことを表わす「度々」の「どど」に、意味の上から「百百」の字を当てたものらしい。日本各地に地名や人名が分布しているし、この読みは『書言辞考節用集』に載っている。Eさんは語学的な関心が高い人だなあ。

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