そのころ、世に数まへられぬ古教授ありけり。

この翁 行方定めず ふらふらと 右へ左へ 往きつ戻りつ

11月7日(日)

2010年11月07日 | 昔日記
 出身高校東京校友会の総会に行く。名簿によれば参会者112名中、私は序列(年齢順)81位で、同期の出席者はいなかった。まさしく老人会。

 校長先生がお見えだったので、一応は大学教授としてご挨拶申し上げたが、なにしろ県立高校というのはものすごく国公立志向が強いわけで、勤務先の私大なんぞ、ふんと鼻であしらわれた。まあ、仕方が無いわな。

 東京出雲学生会にお入りの方々とは顔見知りなので、幾人かに声を掛けられた。昨日、神田で行なわれた国文研の公開講義に出たという先輩から、質問を受ける。後鳥羽院の話だったそうだ。講師は教授と准教授の方というので、それは寺島恒世教授と海野圭介准教授でしょう、寺島さんは後鳥羽院がご専門ですからと申し上げる。後鳥羽院は隠岐で崩御したから、島根県出身者には関心があるのだ。後で確認したら、その通りだった。NHKの偉いさんであらせられる某先輩からは、S堂のお嬢様?を紹介された。

 隣の隣にお座りになった先輩(昭和38年卒)は、ご実家が松江城二の丸の茶屋であったそうな。今では撤去されて櫓が再現されているが、幼少のみぎり花見に行って、茶屋で桜餅を食べた記憶がある。かつて二の丸には小さな動物園?があり、日本猿の檻があった。私はその猿に手を引っ張られたことがあるんですよと、先輩にお話しした。大手門を入ってすぐ左に椎の木があって、よく実を拾ったという話が通じたのは、嬉しかった。校歌はさすがになつかしかった。作詞は土岐善麿。私はなぜか、浅草で行なわれた善麿の葬儀の受付係をやらされたのだが、因縁を感じたものだ。

 現役学生の姿も見えたが、肩で風を切っているのは帝大生ばかりである。というわけで、私大出身者はなんとも肩身の狭い思いをしながら、早々に帰宅したという次第。

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2 コメント

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さる (0社長)
2010-11-08 09:48:14
校友会で多くの人が集まるのは、羨ましい限りです。

サルの話しが出たと思ったら、木下で椎の実を拾う話しになるとは...


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でも (亭主)
2010-11-08 14:52:34
出世して天下を取るまでには
行きませんでしたなあ。
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