海杉ブログ 木材を中心に書き残したいことを投稿します

日々、気づいた事、エクステリアウッドのテクニックを書き綴ります。やりたい時、書きたい時だけ、疲れるので笑笑

中国木材進出について2

2007年06月30日 08時21分16秒 | 地元のこと
宮崎の山が禿山だらけになっている。

再造林をしていない山が、荒れ果てて山肌が土色でむき出しになっている。

誰のせいだろう。
誰が禿山をつくっていくのだろう。
誰も禿山になる山を食い止めることはできないのだろうか!

中国木材が日向に進出すると宮崎の山が禿山だらけになると言う反対派の意見は、的が少しずれているように思う。再造林を可能にする原木価格が維持できれば、大方は、解決するとみられているからだ。本当の問題は、再造林できる原木価格になっても林業者が再造林をするかわからない状況があるということだ。

私は、林業者のプライドの問題だと思う。山を愛し、山に自分の人生と家族と将来を託すことができなければ、山は荒れ放題になる。どんなにきつい山仕事も将来があればこそ、目標があればこそ、その苦労をいとわないものだ。

子どもや孫のため、そして自分を育ててくれた祖先の山のために最適と思う木々を植林する。そんな、プライドがもろくも崩れていった状況を誰が救うのかと言う問題だ。

海杉は、決して中国木材がこの状況を救ってくれるとはとても考えられない。企業である以上、会社の繁栄、存続が第一条件だ。

ましてや、行政や政治家は論外である。

海杉が考える林業者のプライドの復活は、極々一般の消費者の方々だと思っている。その間にボランティアや環境、まちづくりに目覚めた人たちが絆を結んでくれるのだと信じている。

「搾取」は、いつの時代でも弱い人たちに強い人たちがおこなってきた行為だ。さらに大きな力に変わってもその行為は変わらないことは、歴史が物語っている。

海杉は、林業に携わる多くの人が、エンドユーザーの声に耳を傾けることが禿山を無くす最良の手段だと思っていいる。
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ミート○ープ

2007年06月29日 08時53分41秒 | 木材
ミート○ープが、これもやった、あれもやったと驚くべき事実がマスコミを通じて流れてくる。

これらの報道に「ちょっと待った」を言いたい。ミート○ープを擁護するわけではない。同様なことが再び起こらないようにするために議論は必要だし、同社の手口を詳しく検証する必要もある。

問題は、「食の安全」をマスコミがどう捉えているかという点だ。守るべきものは、何なのか、じっくり考えないととんでもないことをしているような気がする。

まずは、購入者、消費者の安全の確保が最優先されるべきで何十年も前のことをいまさら報道されても安全対策になるのかと言う点だ。


しかも、報道は、行政の主導なのか薄皮を一枚づつ捲るかのようにその手口が一日づつ明らかになっている。興味本位の報道が続く原因だ。

消費者に直接伝わりにくいのは、自社ブランド、プライベートブランドで販売している点にある。問屋をいくつも経由していると生産者が問題である会社であることに気付くのが遅くなるのだろうか?

加工会社が全て違法だとは言わないが、コレだけのことを長期にわたって行うことができた制度は、現代では通用しないと国民ははっきりと認識したはずだ。

法律上の罰則規定と点検、審査体制の強化が求められる。

木材でも違法木材追放、合法木材の認証制度がはじまった。しかし、製品にしていく過程で合法材であるかがわからなくなるみたいだ。(笑い)この問題を指摘すると食物と違って目くじらを立てる必要もないのではという答えが返ってきた。

今回の食品加工偽装事件もそうだが、産業廃棄物の不法投棄も行政は、何処まで介入できない状況があったのだと思う。問題になったから改正、罰則強化ではなく、その体制以前の問題なようのな気がしてならない。

ひとつは、教育。倫理観や正しい知識と善悪を判断する価値観が少しづつどこかで削られてきているのかもしれません。「この位までは・・・」という自分が持っている境界線が少しずつ広がっている(自分の都合の良い方に)。

木材に関して海杉の考えは、原木市場がその役割を大きく担うと考えています。

原木市場が合法木材しか入れないとして買い手の信頼を築くことが解決策になるのです。その際、第三者機関を通してチェックした原木に限ることがポイントです。買い手側にも抜き打ちのチェックをして、違法な行為に対しては原木市場との取引停止処置もありうるという制度です。(とても、業界には受け入れられませんでしょうが・・・)

考え方の基本は、馴れ合いの業界が、姿勢を正すとができなければ、再びやってくる外国産材の攻勢防ぐことはできないということで、馴れ合いの認証制度は、腐敗を招き、業界自体を奈落の底に陥れることを早く気付くべきです。
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アフリカの話

2007年06月28日 00時00分29秒 | なんでも
努力しているのに・・・・。こんなに尽くしているのに・・・。相手は気づいてくれない。

日本人は、努力をすれば報われると常に教えられてきた。

教える方も楽でいい。

でも、日本人の常識もアフリカでは通用しない。

アフリカ人が貧しいのは、働かないからだ。いつもビールばかり飲んで、怠けて勤労の精神がない。日本からきた青年はそう考えた。

まずは、日本人である自分が見本となって勤労から得られる報酬をアフリカの人に見せようと畑を作り始めた。

ところが、アフリカの人は、畑を見て笑う。口々に「やめろよ!」と笑いながら・・・。

なにくそ!換金性の高い、おいしいキャベツをたくさん作ってみんなに見せればきっと自分のことを・・・。

たくさんのキャベツが結球、もうすぐ収穫だ。

朝、起きてみると象の足跡が・・・・。

キャベツは全て象の胃袋の中。
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チェンソーアートの限界

2007年06月27日 09時12分34秒 | 日向木の芽会
チェンソーアート大好き人間だ。

何の変哲もない丸太が、まったく別のものなるのだ。すごい。

チェンソーアートが日本中に広まることを願う。

森林のことや木材のことを机の上で理解しろと言う役所の人では到底、考えつかないパワーと魅力が存在する。

しかし、いくつかのチェンソーアートを見てきたが、チェンソーアートにも流派があるように思える。

自分たちでルールと言うか縛りをなんらかつけているみたいだ。一向に構わないのだが、アートは、自己表現だと私は考えている。

今まで見てきたチェンソーアートの限界は、大きさ、形にどうしても制約ができている。資金の問題もあるだろうが、本当にチェンソーアートしたいものが丸太でなかったら作れないということだ。格好いいイーグルが翼がどうしても上を向いたものになってしまう。つまり、形でT字などはどうしても無理がある。

次の限界は、置く場所だ。通常、大きなものほど価値があると思うのだが、室内にはどうしても、置けないものになる。屋外に設置すると腐れや虫食いの心配をしなければならない。ブロンズや大理石とは違う。

いっぺんに書くとしんどいので続きは次の機会に
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自分を表現できる作風の蓄積

2007年06月26日 02時57分01秒 | まちづくり・ボランティア
久しぶりにライブ&バーにはいった。

タマチャールズという大御所レイチャールズのコピーを中心に聞かせる音楽が良かったですね。

彼は、東北の方で津軽弁が妙に親近感を湧かせるおしゃべりで楽しい時間を過ごせました。

東北にもいましたので懐かしい東北弁を楽しんでしまいました。

このライブの中で日本のレイチャールズと言う触れ込みで米国でコンサートをした話になりました。多くの方が、レイチャールズのナンバーを喜んでくれたそうですが、サザンの「いとしのエリー」は、「何だ!この曲・・・!!」ということみたいでした。

つまり、日本では、レイチャールズ「いとしのエリー」は、有名すぎるほどメジャーなのですが、米国では、まったく無名の曲なのかもしれません。

サザンの悪口を書くつもりはありません。

武田鉄也は、サザンがデビューした「勝手にシンドバット」の曲を聞いて「一発屋だなあ」と感じたそうです。

しかし、セカンドの「いとしのエリー」を聞いて「こいつら自分のメロディーもってやがる」と評価を変えたことを言っていました。

全てのことに当てはまることではないのですが、自分の作風を確立することの難しさを知ることは大切なことです。自分が極めたもので自分が表現できたらどんなことでも通用するものです。その蓄積がアーティストの命です。

アーチストと呼ばれる人たちは、常に自分だけにしか作り出すことのできないオリジナルで勝負しています。

まちづくりがアートと認識される日も近いと思います。

まちづくりアーティストそんな人いないかなあ。

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株の動き 怪しい経済学

2007年06月24日 17時26分16秒 | 経済・社会
最近、日本の株式が好調なようだ。日本の小さな動きは、アメリカの株式と連動している。

多くのトレーダーが米国の株式の動きを見て、日本の株を売り買いをしている。つまり、まったく主体的に動いていないのが日本の株式の現状だ。

言い換えれば、小さな動きは、アメリカの動きにあわせれば済む事でそれであれば誰でもできることなのだ。

実際は、違う

上場会社の株の性格が一つ一つ違うのに同じに考えること事態が無理がある。でも、この方式を取りたがるのには訳がある。日本の株式の大部分が輸出で成り立っている。つまり、外貨を稼ぐ企業だ。その殆どがアメリカであるわけで当然、アメリカの動向が気になる。

今までは、国の経済を向上させるには、輸出が大きく伸びなければ、高い経済成長は望めなかった。ところが、輸出が伸びるにも限界がある。それから先の経済成長を何でしなければならないのか、ここが考えどころだ。

私は、東アジアの連合体が、共通通貨を作り出した時に更なる成長があると考える。中国をただ単に大きな市場として捉えるのではなく、日本は、アジアと言うカテゴリーで共通の国際通貨を作らないと世界でやっていけなくなる。米国と日本の株式が連動するのではなく互いに補完できる機能が必要だ。経済エリアのユニット化をどのように構築するのかを探っていきたい。
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株の動き 怪しい経済学

2007年06月23日 08時18分19秒 | 経済・社会
最近、日本の株市場が活発化しているらしい。でも、この動きは、6月いっぱいで止まるのではないだろうか?

時々考えることがある。
クレジットカードとか、電子マネーなどは、実際の通貨ではないため、日銀が管理する許容を超えているのではないだろうかと言う問題だ。
言い換えるなら、月給30万円の家庭で子どもたちが、子供銀行と称しておもちゃのお金を流通させているのではないかと言うことだ。家庭内だけなら影響はないが、子どもたちが自分たちのネットワークをつくりその中でも流通させたら、貨幣と同等の価値をもつことになる。ひとつの家庭内で総額が1000円でも100人の子どもがいれば、10万円になり、家庭の30万円の3分の1になる。そのお金が一軒の家庭に集中したらその家庭の経済は崩壊するだろう。

わかりにくい話で申し訳ないが、パン屋が自分のところだけにしか通用しない商品券を1000円づつ100人に無料配布した。100人がいっぺんにその商品券だけで1000円ずつパンを買ったらそのパン屋さんは大きな赤字になると言うことだ。

電子マネーに誰も疑いはしていないが、信用不信が生まれた時この連鎖破状が起こる可能性がある。この手のシステムには幾重にもセーフティネットをかけておかなければならない。でも、システムそのものに甘さがあると私は考えている。
信用という名のクレジットのお金が集約化して世界中を動き出している現状は、日本がその担保をきちんと背負えるかと言うところに掛かってきている。

日本が作り出した資金が、日本に跳ね帰ってきた時、どのように対処するのかまだ策はない。

わかりにくい話かなあ。

選挙後、間違いなく公定歩合が引き上げられる。思ったより、金利が上昇したら、日本から出て行った大量の資金が思っていたより以上、日本に帰ってくるだろう。
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まっとうな価格

2007年06月18日 07時47分12秒 | 経済・社会
宮崎は、椎茸も2位らしい。

5年位前に林業者との懇談会があった。椎茸を生産している方が、安い中国産の干し椎茸にシェアを奪われ生活が苦しくなったと訴えていた。

私は、「まっとうな価格」の話をした。「日本の椎茸の価格は生産者の生活できるコストもいれている。子どもを大学に入れるまでの教育費や家族の保険の費用その他もろもろの目に見えない諸経費がはいって椎茸の価格になる。税金だってそうだ。消費者に直接、価格の話をして理解してもらうべきでその直接理解していただく手法を見つけるべきだ。

ところが、今の日本ではどんなにがんばっても中国の椎茸には安さでは敵わない。ビニール袋にいっぱい詰め込んで100円なんて日本のしいたけでは考えられない。

私は、児童労働の話をした。途上国の多くが幼い子どもたちに教育を受けさせないで労働力としてモノを生産している。中国の椎茸がそうだとは言わないが、まっとうな価格の話をできない生産者は、市場から立ち去るべきだと思っている。かたや自分の子どもを大学まで入れることのできる椎茸の価格と子どもに教育の機会を奪う椎茸の価格とどちらを消費者が選ぶだろう。

経済のひずみは、モノが人の手から人の手に渡るときに起こる。多くの人には「安い」という言葉が、経済で最強のワード何かもしれないが、「安心」「安全」「安寧」は、経済を語る前に人間として生産者としての心構えだ。そして、生産者は、最終消費者は見過ごしてはならないと言う警鐘と自分たちの価格に誇りをもてる理解力がほしい。

最近、別の機会にその時の会合の方にお会いしました。椎茸の価格の話をしたら、「国内産と偽って表示した中国産椎茸のニュースで価格が持ち直しました」

直接、消費者に売ってほしい。そして、消費者と対話をしながら生産をしてほしいと思った。

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築地

2007年06月17日 17時37分11秒 | まちづくり・ボランティア
杉コレクションのPRに東京へ行ってきました。

都城の木青会の仲間と「早朝、築地市場に行こう!」となり、行ってきました。

築地で感じたのが外国の観光客の多いこと、多いこと。さすが、日本の台所、世界最大の魚マーケットということなんでしょうが、外国の観光客が喜びそうなものが全て揃っているなあという感じです。

「早朝と言う時間帯」「粋な兄さん」「安い買い物」「文化」

その中でも外国の方が日本を知るとき「寿司」と言うキーワードは、どうしても外せないものです。叉、日本を理解するためのアイテムとし「寿司」はこれ以上のものはありません。単純にして奥が深い料理ですし、生を食する日本人の究極の形が、寿司です。その総本山を「築地」として観光スポットにすることはとても重要ですね。

宮崎県が観光立国として学ぶものにこの築地のアイテムがあると思います。

外国人が行きたくなるスポット
観光のための観光スポットでないこと。
他の観光地でない時間帯こと。
食があること。
安いが前提であること。
日本の一面が理解できる場所であること。
などです。

それにしても、寿司屋のオヤジさんがものすごく愛想が良いのには、びっくりしました。
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二番煎じの空威張り

2007年06月16日 08時56分52秒 | 日向木の芽会
宮崎県は、いつも一番がないと思っていた。

ふぐは、日向灘でもたくさん取れるが、下関向けに出荷するという。どの位の量かわからないが、相当量が、下関産で全国に行くのだという。

お茶は、宮崎では、増産につく増産して活気あふれている。しかし、それは、「国産茶」という表示をするためのもので「宮崎県産」という産地名はつかない。

県は、緑茶メーカーに宮崎県産名を入れるように指導すべきだ。その代わり、知事がCMに出てもいいと言う条件でどうだろう。

牛肉もそうだ。子牛は、宮崎で生まれ、育ったところでせりにかけられ全国の有名地へ行く。どんなに立派な牛でも松坂牛や神戸牛にはかなわない。
これも生まれたところをキチンと表示すべきだ。生まれ故郷に錦を飾れない可愛そうな子牛たちに代わって。

養豚もブロイラーも一位じゃない。

一位をとっても有名じゃないのに杉がある。

せったく日本一なのだからもっと存在価値を挙げるべきなのに・・・。
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宮崎杉戦略

2007年06月16日 08時40分48秒 | 日向木の芽会
東京に行ってきた。

杉コレクションの宣伝活動だ!行き当たりばったりでアポなしのところもあったが、ほとんど好意的に受け入れていただいた(つもり・・・)

宮崎の杉の動きは、大手の広告代理店に負けないアイデアと実行力で動かしたい。

数年前、建築雑誌が一斉に国産材を取り上げた時期があった。

どの本にも宮崎の事例や宮崎の杉の話はなかった。本当の話である。国産材の事情は、何処の地方も同じと建築雑誌編集者は思っているのだろう。建築雑誌編集者の責任ではないものの、取材力の薄さにちょっと情けなく感じたのは、私だけでないはず。

本音が見えてこなければ、対策の打ちようがないにもかかわらず、うわべだけの取材が目立つのは、読者にも責任の発端がある。編集方針に読者は入れないが、部数を決めるのは読者である。今月号が買うに値するかきちんと本屋で判断しなければならない。なんとなく、惰性で毎月買っていると言う雑誌ではだめに決まっている。良い本を作るのは読者であり、それに支えられている雑誌編集者の宿命だろう。

近頃、コレはすごいというものがないのも残念でならない。

私は逆にコレはチャンスだと感じた。今、売り込めば、相当その窓口を広めることができるはず、杉日本一と宮崎県内で騒いでも日本中の建築関係者は知らない。宮崎には、情報と技術そして豊富な素材があるこのことを売り込む手法をみんなが身に受けてもらいたいと願っている。宮崎は宣伝上手、売り込み上手と早く言われたい。

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連載

2007年06月16日 06時18分54秒 | まちづくり・ボランティア
月刊杉で連載が決まった。
そこで何を書くかが今後の課題になった。何を書こう?月刊杉の編集長は、「まちづくりの仕掛けのようなもの」を期待しているとのことで「ああ、それも面白いかなあ」と考えた。

あらゆる事柄を緻密に計算して仕掛けるまちづくりなんて、かっこいいけど何処にもあるはずがない!
行き当たりばったりで、その場その場対応のほとんど事後処理、目クラ滅法で葉茶滅茶な私に理路整然と連載ものができるのだろうか?
しかし、この企画暴露してしまうとある意味嫌味になるかもしれない。
う~ん悩むかもしれない。

さらにこれを杉と絡めることがポイントになってくる。
結構、難しい条件の連載ものになりそうだ。
まあいいか、連載は私の希望だったし、面白くなければ、打ち切り、模様替えすればいい。あまり深く考えないことにした。

連載で大切なことは、ネタだ。連載の数だけあるといいけど・・・。

それには、心配いらない!
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大断面集成材

2007年06月12日 06時42分56秒 | 経済・社会
大断面集成材を作る会社が自己破産した。日向市の第3セクターだ。いまさら、責任論や経営論はない。そこで働いていた人たちのことを考えると他人事ではない。
この会社の最大の売りは、今まで培ってきた大断面集成材の技術的ノウハウだ。個々技量だけでなく、集合体のソフトは、数字には表せない価値があると言っていい。世界的な技術力を失うことの恐ろしさを誰が知っているのだろう。

日向市には知られざる木材の技術が脈々と生きているその価値は計り知れない、しかし、評価する人間があまりにも少ないことが、今の現状であることを知って欲しい。

森林の価値も大切だが、技術の価値もそろそろ評価を受けていい時期だ。

本当は、山の人たちが広めなくてはならないのだが・・・。

宮日も「川上と川下の連携」と言いながらやっぱり、山側を中心に考えすぎ。それでは、うまくいかない。

公の施策が山を中心にしているしているため取材すればするほどそちらの方に目がいく従来のパターンを抜けきらない貧相な企画特集になってしまった。

「バランスとタイミング」このさじ加減が大切なのだが?
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まちづくりは地元だけのものなのか

2007年06月11日 10時46分15秒 | まちづくり・ボランティア
まちづくりで多い問題が、地元の方との衝突だ。

まちづくりの体験ではありませんが、もう、20年前の話。

「海外青年協力隊」あれッ?「青年海外協力隊」だったけ??

まあ、協力隊にいて、ボランティアをするんだと意気込んだ時代が私にもありました。今思えば、当時は、「ボランティア」という言葉に現代とは比べモノにならないくらいギャップがあったことを感じます。

アフリカに行くんですよ。もう20年前の話だから話しますけど「死に行くような覚悟はありましたね」
「自分に何ができる」という感覚はなくて「何かやろう」という意気込みは、充実していました。行く前は・・・。

ところが、現地に着いて現場に行き、活動をすると自分が期待されていないことに気付く訳です。

どちらかと言うと隊員に付いてくる日本の援助みたいなものがほしくて希望するところが多いみたいで、協力隊の事務局も心得ていてまったくと言っていいほどそのような援助はしないんです。「自助努力」と言う言葉で片付けられていました。

そこで、かなりの隊員がトラブルを起こすわけです。

求めるものが違う現地と大きな期待を膨らませてきた隊員とのギャップ。活動の仕事がうまくいかないと自分のせいにするのではなく、現地の人に当り散らす人がいました。(一部の人ですよ)

「自分はこの国のために来てあげているんだ」と言う意識の強い人に多かったですね。だから、「協力しろ!」

確かにお金儲けじゃない自分の貴重な人生の一部を割いてアフリカにいるのだから当然と思うのでしょう。

でも、多くのアフリカの方は、援助慣れしているんです。日本では協力隊員は、特殊な、貴重な考えの人かもしれませんが、極々当たり前のことなんです。しかも、ボランティアできている他の国の人たちは、純粋と言うか宗教が入っていてすごいんです。そのバックアップも協力隊とは違うものでした。

ある国会議員が、協力隊を創設するに当たってどうしても譲れない文言があったそうです。協力隊員を国の予算で送り出す理由に「日本の若者の研修の機会」という言葉があるそうです。
国の予算を使うのだからと言う理由だそうです。現地の要求する援助がないのも納得します。

「日本の若者のための研修なんだから・・」

ボランティア活動は、確かに貴重な経験をしてくると思います。

でも、要求をそのまま受け入れることが全てうまくいく訳でもありません。時には自分お考えを主張することも必要なのです。タイミングが大切です。

まちづくりも地元の人との衝突が時々あります。「よそもんに何がわかる!」と言う例のあれです。

「分かるわけない」と私は思います。分かるまでとことん付き合って時間をかけることも必要でしょう。でも、時間がない場合もあります。

協力隊は、任期が2年まででした。2年間で何かをその国に残そうなんてどだい無理な話です。やれることを限定しなが一つひとつ片付けるようにしました。トラぶっている暇はありませんでした。

でも、現代は、多くのボランティアに関わる人たちは「地元のためにしているんだから」と言う意識の方が少なくなってきたように思えます。ボランティアという定義が20年前と変わってきているのでしょう。

変わっていないのは、地元の意識かもしれません。ボランティアを受け入れる度量があまりにも小さいのです。本当に困っている時にはボランティアはありがたく受け入れるものですが、今よりも良くしたいという極限感のないニーズの時にこの問題が起こるものです。よく調べてみると今までやってきたことを否定される、その方の自尊心を崩すものだったり、直接、間接的に自分たちの商売(事業)の妨げになることようなモノであったりします。

どれも他愛もないことです。でも大切なことなのです。不思議なことに地元で一番ネックだった問題が、他のところから来た方がいっぺんに片付けてしまうと発生することが多いのです。

地元に良いことをしたよそ者とある一部の地元の人との軋轢が生じる場面ですね。

コレは日本人特有なのかもしれません。立場が逆ですが、20年前の協力隊員とちょっと同じところがあります。

物事を多元的に見る学習をしてこなかったために起こるのでしょう。もっと本質を見極めるトレーニングが必要なのですが、今更という感はあります。

ですから、よそ者ボランティアの方が早くそのような人たちとうまくいく技術を身につけてもらわなければなりません。

あと10年は掛かるでしょう。でも大切な技術です。
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福祉

2007年06月09日 00時12分54秒 | 経済・社会
建設業もいよいよ大転換期を向かえ、生き残る手段を模索し始めた。宮崎県は全国のトップを走ることになるだろう。他の県は、宮崎を事例にその対応策を練るのだろう。矢面に立たされている宮崎県の建設業はこれからどのような道を自らがみつけるのだろうか。人事ではない状況が続く。

医療関係の方が、「建設業がどんなに苦しくても、福祉関係には、絶対、手を出すな」と遺言を残していた。

今回の厚労省の「コムスン」の処罰は、まさしくこのことかという思いがした。決してコムスンを庇う訳ではない。処罰は当然でコムスンは許されない違法行為をし
ている。

介護保険制度は、理に沿わない制度である。正すところが根本的に間違いであって、本来の問題から国民の目を逸らせている。無理に作った法律がコムスンという小悪魔を巨大化させ、どこかで誰かがいい思いをしているに違いない。

支持率が下がったことや年金問題でナーバスになった桐が、感情を顕にした見っとも無い対処法だ。

優先されるべき手段は、まず最初に被害者となる介護を要する人たちの救済が先に来るべきで、処罰はそのあと厳罰にするべきだった。

コムスンの処罰をして、コムスンが法の目を掻い潜るようなことを発表して慌てて感情的にその行為をやめさせるなど良い様に操られているように見える。

第三者の救済機関を政府が臨時に立ち上げ、コムスンの事業所の権限を強制的に取り上げ、介護を要する人(弱者)が困らない救済処置をすることが、厚労省にやるべき、姿だったですね。

許認可制度は、何か起きても必ず国は責任を取らない。姉歯事件も同様だ。桐は、別件で逮捕してでも国民の怒りを収めて欲しいと願っているのだろう。
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