海杉ブログ 木材を中心に書き残したいことを投稿します

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まちづくりは地元だけのものなのか

2007年06月11日 10時46分15秒 | まちづくり・ボランティア
まちづくりで多い問題が、地元の方との衝突だ。

まちづくりの体験ではありませんが、もう、20年前の話。

「海外青年協力隊」あれッ?「青年海外協力隊」だったけ??

まあ、協力隊にいて、ボランティアをするんだと意気込んだ時代が私にもありました。今思えば、当時は、「ボランティア」という言葉に現代とは比べモノにならないくらいギャップがあったことを感じます。

アフリカに行くんですよ。もう20年前の話だから話しますけど「死に行くような覚悟はありましたね」
「自分に何ができる」という感覚はなくて「何かやろう」という意気込みは、充実していました。行く前は・・・。

ところが、現地に着いて現場に行き、活動をすると自分が期待されていないことに気付く訳です。

どちらかと言うと隊員に付いてくる日本の援助みたいなものがほしくて希望するところが多いみたいで、協力隊の事務局も心得ていてまったくと言っていいほどそのような援助はしないんです。「自助努力」と言う言葉で片付けられていました。

そこで、かなりの隊員がトラブルを起こすわけです。

求めるものが違う現地と大きな期待を膨らませてきた隊員とのギャップ。活動の仕事がうまくいかないと自分のせいにするのではなく、現地の人に当り散らす人がいました。(一部の人ですよ)

「自分はこの国のために来てあげているんだ」と言う意識の強い人に多かったですね。だから、「協力しろ!」

確かにお金儲けじゃない自分の貴重な人生の一部を割いてアフリカにいるのだから当然と思うのでしょう。

でも、多くのアフリカの方は、援助慣れしているんです。日本では協力隊員は、特殊な、貴重な考えの人かもしれませんが、極々当たり前のことなんです。しかも、ボランティアできている他の国の人たちは、純粋と言うか宗教が入っていてすごいんです。そのバックアップも協力隊とは違うものでした。

ある国会議員が、協力隊を創設するに当たってどうしても譲れない文言があったそうです。協力隊員を国の予算で送り出す理由に「日本の若者の研修の機会」という言葉があるそうです。
国の予算を使うのだからと言う理由だそうです。現地の要求する援助がないのも納得します。

「日本の若者のための研修なんだから・・」

ボランティア活動は、確かに貴重な経験をしてくると思います。

でも、要求をそのまま受け入れることが全てうまくいく訳でもありません。時には自分お考えを主張することも必要なのです。タイミングが大切です。

まちづくりも地元の人との衝突が時々あります。「よそもんに何がわかる!」と言う例のあれです。

「分かるわけない」と私は思います。分かるまでとことん付き合って時間をかけることも必要でしょう。でも、時間がない場合もあります。

協力隊は、任期が2年まででした。2年間で何かをその国に残そうなんてどだい無理な話です。やれることを限定しなが一つひとつ片付けるようにしました。トラぶっている暇はありませんでした。

でも、現代は、多くのボランティアに関わる人たちは「地元のためにしているんだから」と言う意識の方が少なくなってきたように思えます。ボランティアという定義が20年前と変わってきているのでしょう。

変わっていないのは、地元の意識かもしれません。ボランティアを受け入れる度量があまりにも小さいのです。本当に困っている時にはボランティアはありがたく受け入れるものですが、今よりも良くしたいという極限感のないニーズの時にこの問題が起こるものです。よく調べてみると今までやってきたことを否定される、その方の自尊心を崩すものだったり、直接、間接的に自分たちの商売(事業)の妨げになることようなモノであったりします。

どれも他愛もないことです。でも大切なことなのです。不思議なことに地元で一番ネックだった問題が、他のところから来た方がいっぺんに片付けてしまうと発生することが多いのです。

地元に良いことをしたよそ者とある一部の地元の人との軋轢が生じる場面ですね。

コレは日本人特有なのかもしれません。立場が逆ですが、20年前の協力隊員とちょっと同じところがあります。

物事を多元的に見る学習をしてこなかったために起こるのでしょう。もっと本質を見極めるトレーニングが必要なのですが、今更という感はあります。

ですから、よそ者ボランティアの方が早くそのような人たちとうまくいく技術を身につけてもらわなければなりません。

あと10年は掛かるでしょう。でも大切な技術です。


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