日々、土器実測(仮)

発掘された遺物の図化作業メインのお仕事ブログのはずが、日々の徒然・スピ話ばっかりになっちゃってる日記。

その道の

2011年02月06日 | Weblog
専門職の人はプライドばかり高くて扱い辛いと云うような事を聞いた事があります。
ですね、ホント。
専門職と云われるぐらいですから専門の知識がある訳ですが、それが厄介なんですね。
自分は特別と云うような妙なプライド、これはホントに厄介です。
人間性まで優れていると、本人が勘違いしちゃってる場合は手がつけられない。
でも、如何に専門的な知識があると云っても、それをちゃんと活かせるかは全くの別問題、どの世界にも向き・不向きってもんが確実にあります。
専門職の最高峰?医者にだって、ヤブってジャンル?が存在しておりますからね(爆)。
その世界にいる人誰もが、みんなそれなりのレベルかと云ったら、それはどうかってね……。

私が仕事をしている考古学の世界は専門職ワールドではありますが、考古学や史学のバックボーンのある人ばかりが携わっている訳ではありません。
考古学のコの字もない全くのド素人がそこそこ研修を受けて担当者として従事していると云うところもごろごろあります。
下っ端とは云え、私だってそうですからね。

スピと云うかセラピストやカウンセラーも立派に専門職だと思いますが、嫌な思いをしたり後々面倒臭い事が多い人は、やっぱりかなり独特ですよね。
専門職独特の扱い辛さとはまた別の、何か違う特権意識みたいなものをリアルに感じる。
これは能力とは全く別のレベルの話ですが、実は能力より重要なところでもあると思われ……。

私が少し関わっている事を主催している方の文章にハッとさせられましたが、まずは「卑屈と謙虚はまるで違う。計算した腰の低い処世術も違う」、これねえ、ホントそうですよね。
この方はセラピストと云うかヒーラーと云うかサイキックと云うか……、レベル的にはぶっ飛んじゃってるところにいる方ですが、人間性と云うか人間力と云うか、人としてと云う話になると、とっても人間くさくて、おっしゃる事は本当に地に足がついている。
人を癒す仕事をする人は、本来こう云う人だよなと思います。
「俗っぽい人こそが、高次や天使の世界にあこがれる」と云うのは、とっても耳が痛い言葉ですが、その通りです。
まさしく私の事でございます(チ~ン)。

「堂々と謙虚に生きれてこそ、光のエネルギーを正しく扱える」
「能力におぼれず、幻想の天使の世界に逃げず、人としていきながら高次の世界とつながる」
何とまあ含蓄の深いお言葉でしょうか……。
この方が目指し、私がちょっぴり学んだ事は、「高次の世界とつながりつつ、今ここで人としてまっとうに生きて学ぶお仕事」と云う説明ですが、聞けば聞くほど私には無理だなと思われます。
技術は学びましたし、この点については日々訓練で磨かれて行く事は可能でしょう。
でももっと深いものがある……。
そこをある程度クリア出来ない人には出来ない、と云うより、やるべきでないと思います。
向かない人は向かないんですよ、幾ら好きで専門に学んだって。
活かしようってもんがありますもんね。
ある1つの事から派生して行く事は沢山あって、必ずしもその核心にいる必要もない訳で、派生した枝の先の先っちょであっても、その事がベースになっているのならよしではないのかな、なんて事を、超俗っぽい私は思ったりします。
って、活かす道すら見えてないんですけどね、私は……。

必要のないもの

2011年02月04日 | Weblog
最新版のラファエルカード以外、ドリーン博士のオラクルカードは全部持っていて、年末にももう1つ、他のオラクルカードのプレゼントに当選しました。
「セルフセラピーカード」と云うものも持っていますし、1番最初、中学の時に母に買って貰ったタロットカードは今も大事に持っています。
とにかく昔からこう云うものが好きなんですね。
でも捉え方が悪いのか、自分でやるオラクルカードは当たる当たらないで云えば当たらないし、カードから何か感じるとかそう云う事も全くありません。
好きこそものの上手なれと云うことわざがありますが、私は下手の横好きの方みたいですしね。
でも少し前までは、何と云う事がなくても毎日のようにカードを引いていましたが、今ではカードがある事すら忘れていると云うか、そんな具合です。
嬉しくいとか楽しいではなく、私にとっては嫌な気持ちになる事の方が多いオラクルカード、どうしたものかなと思っています。

使う人のエネルギーがこもると云うか、そう云う代物なので、もし手放すにしても、誰かにあげるとかそう云う気持ちにもなれません。
魂抜きじゃありませんが、エネルギー抜きの方法はあるのですが、でも何となくね……。
あげるよりは捨ててしまいたいと云う気持ちが強かったりします。
私にとっては無用の長物と化しているオラクルカード、持っていても意味もないし、恐らく必要もないのではと思います。
元々天使とかそう云う存在との繋がりもないし、そう云う人はやっても意味ないんですよね、これ。

求めても欲しても私には何の印も見えて来なくて、むしろどんどん遠ざけられているみたいだし、だったらもう頼りにしない、そのような高尚なものは私に元々いないと思っている方が余程マシかなと思います。
求め過ぎるからいけないと云われた事があるけれど、過ぎずにちょうどいいベストな感覚と云うもが私には分からない……。
それに昔から自分で考えて決めて生きて来たのですから、願っても祈っても答えて貰えない事にすがっていたって同じ事です。
最後の希望、ここならきっとと思えた事でしたが、叶わないなら心のよりどころどころか、ますます落ちて行くだけですから。
なんて云うと、日常に溢れているメッセージに気付こうとしないあなたが悪いとか云われそうですね(爆)。
でも思うんですが、気付けない事ならそう云う事でしかないんじゃないのかね。
ってか、普通の人なんてそんなもんじゃないんだろうか。
これは何かある、メッセージだと確実に感じられる事でもなければ、大抵の事はスルーしてしまう。
ちゃんと繋がれている人ならどんな些細な事でもメッセージとして受取れるのでしょうけれど、自分が出来るから一般人にも出来ると思う事無かれ。
そこは普通、開かれていない部分ではと思います。
自分はこう云う道へ進むべきかと迷っている最中、何度も悩んでいる事に関連した事を目にするとか云うなら、明確にメッセージと受け取れるでしょうが、何もない、方向が見えないような時、凡人にメッセージが来たとして果たして分かるのか?と思うのですがね。
これってこの前も見たかもと無意識に認識出来るぐらいの頻度で現れるか、或いは本当に啓示的にもたらされるか、そうでもなければなかなかピンと来る事ってあるんですかね……。

スピ系の人の云いようって、出来ないクライアントに罪悪感を抱かせるようなもが本当に多いと思います。
そう云う考え方だからマイナスを引き寄せるとか、そう云う考えのそう云う思考の中でしか生きられなかった人に、イキナリだからダメなんだと云ったってね、まずはそう云う状態から抜けるところから始めなくちゃいけないんだけど。
出来てる人には分からない、出来なかった時代の事は綺麗さっぱり忘却の彼方なんですよね。
自分を責めてしまう結果になるのでは、いい方へなんて向きませんよ、そうそう。

折角レイキもサードまで伝授を受けたけど、これも私にとっては無用の何とか。
大枚はたいて受けなきゃよかったなと、貧乏真っただ中の今は後悔のみです。
こんな状況ですからね、助けて貰えないと分かっていても、祈っちゃったりするんだよね。
本当にこんな自分が情けなくて、とことん惨めですね。

100均で

2011年02月03日 | Weblog
朝一で納品へ行きまして、無事お仕事も終了です。
その後は野暮用を済ませましたが、さ~て、この先どうしますかねえ。

先日、新春プレゼントで当選した興味深いセッションで、自由に表現すると云う事が表面に浮かびあがって来ました。
イメージとして、クレヨンとか落書きとか、そう云うものが出たのですが、自由に表現すると云っても何をどうしたものかと思い、とりあえずイメージで出たクレヨンとスケッチブックを買ってみる事にしました。
まあ急場しのぎなので、100均で調達です。
しかしまあ100均のクレヨンと云うか、ものの充実ぶりには、毎度の事ながら感心しちゃいますね。
クレヨンだけでも結構な種類があり、直ぐ選ぶ事が出来ませんでした。

子供の頃は絵を描く事が大好きで、漫画家になりたいと思っていました。
本当によく書いていて、時間さえあれば絵を書いていると云う状態。
もっと小さい頃は粘土であれこれ作るのが好きでしたが、どっちにしても作ったり書いたりと云うのは、かなり小さな頃から好きだったなと思います。
まあどんな人でも、子供の頃は想像力があるものですからね。
それが大人になっても続けばお芸術家と云うところでしょうか。

今回のセッションでは、表現すると云う事の他にも色々出て来ましたが、書くと云う事もその中の一つでした。
書く・描く、どちらもありと云う事でしたが、それで表現すると云うのが、分かり易い解釈として成り立つかなと思います。
早速買って来たクレヨンで落書きをと思っても、これがなかなか描けないもので。
好き勝手に自由に描けばいいのに出来ないんです。
頭が凝り固まっているからかもしれませんね。
でも時々無性に絵を描きたくなる事はあるのです。
これは文章にも云えて、とにかく描きたい・書きたいと云う衝動にかられる。
でもさあ書くぞとなると、何も出て来ないんですね。
この感じは何なんだろうと何時も思います。
そうしたいのに出来ない、もどかしいです。

で、もどかしいと云うのとはまた違いますが、最近妙な事に気が付きました。
この先の自分と云うものを想像する時、全く一切、何もイメージが出て来ないんです(汗)。
元々夢も希望もなく、ただその場を生きているので、この先どうなりたいと云うものがありません。
と云うか、以前は多少なりとも何か思うところはありましたが、数年前からどーでもよくなってしまった。
でも、薄っすら何か楽しい事をしている自分とか、そう云うものは思い浮かびました。
実際ちょっと先に、出来事の中で想像する事だとか、とにかく何かしらはあったのです。
ところが最近は真っ暗で、とにかく一切思い浮かぶものがない。
漠然とした、もうダメだろうなと云う感じだけで、絵として浮かぶものがありません。
これはどう云う事なんだろう。
もう終わってもいいと云う事か……。

あ~あ

2011年02月02日 | 仕事
今日からトレースで、量が少ないので修正も観察表も全部終わっちゃったんですが、担当者が不在で納品の連絡が取れない。
まあこれと云った申送りもないので、明日は納品に行く予定ですが。

それにしても、大き目の甕に入っているナデやハケ目を書くのって、ホントに大変です。
フリーハンドで真っ直ぐの線を引くのがまず大変ですが、更に調整は線と線との間隔の問題もあるし、器形に沿った単位で書かなくてはならないので一層に面倒。
今日は暫く振りのトレースと云う事もありましたが、なかなか上手く書けずに難儀をしました。
と云うか、自分の下手っぷりがほとほと嫌になりましたよね。
こう云う作業って、その日の調子に左右されたりもするので、妙に調子よく書ける時と逆の時がありますが、今日は調子が悪かったと云う事でしょうか。
それにしてもね……。
調子が悪い中でも、何とか最大限の努力をして書きました。
久々の仕事、何とか無事終われてよかったです。
さて、また先の見えない無職状態に突入ですが、どうしますかねえ。

今日も雪

2011年02月01日 | 仕事
午前中野暮用につき、午後から依頼先へ出かけて来ました。
少し注意点があると云うので直す気満々で出かけましたが、1か所、どう解釈をするかと云う事だけの指摘で、図そのものを直す必要はなし。
なのでとっとと戻って来られるはずでしたが、元館長が来ていて担当者との話が一向に終わらず。
合間を縫ってちょちょっと手短に確認をして、やっと戻って来ました。
こっちの話の方が短いんだから、先に済ませてくれたらいいのにと思いつつ……。
戻ってからは、トレース用の図面チェックとトレペの貼付まで終了。
明日からトレースに入ります。

誰でもお税金を支払わなくてはならない訳で、今年も申告の季節到来ですが、私はちゃっちゃと終わらせて郵送しました。
後から1年分をまとめて計算するものもありますが、大きなところは毎月〆てその都度合計を出しているので、基本的には大きな手間ありません。
でもやっぱり面倒だし憂鬱ですね。
それに、収入少な過ぎ……。
仕事してないから仕方ないでしょと云われそうですが、そうです、その通り。
返す言葉もございません状態です。
が、それにしてもなあ……。
生きるってホントに大変ですね。
辛くて泣きたい……。

それにしても、朝起きたら今日も雪の多さに唖然……。
昨日も1日中降り続いていましたが、夜も一晩中止まなかったと云う事ですな。
ここ数年ちょっと見た事がないぐらいの積雪です。
相変わらずお隣は、向かいの家の塀に雪を押し付けるのみ。
それもある程度まで行くと積み上げられずにただ押し付けるばかりなので、道路の幅がそこだけ狭くなっています。
他の人たちが雪捨て場にせっせと運んでいるのを見ても押し付けるのみなんだから、どう云う神経してるんでしょ。
この一帯の迷惑野郎だよ全く。
怠け者具合、流石の私も叶いませんね。
明日は少しは天候が回復するでしょうか。
暖かくなるなんて云っていたけど、思ったほどの事もないし。
あ~、冬にはもう飽きた。