日々、土器実測(仮)

発掘された遺物の図化作業メインのお仕事ブログのはずが、日々の徒然・スピ話ばっかりになっちゃってる日記。

必要のないもの

2011年02月04日 | Weblog
最新版のラファエルカード以外、ドリーン博士のオラクルカードは全部持っていて、年末にももう1つ、他のオラクルカードのプレゼントに当選しました。
「セルフセラピーカード」と云うものも持っていますし、1番最初、中学の時に母に買って貰ったタロットカードは今も大事に持っています。
とにかく昔からこう云うものが好きなんですね。
でも捉え方が悪いのか、自分でやるオラクルカードは当たる当たらないで云えば当たらないし、カードから何か感じるとかそう云う事も全くありません。
好きこそものの上手なれと云うことわざがありますが、私は下手の横好きの方みたいですしね。
でも少し前までは、何と云う事がなくても毎日のようにカードを引いていましたが、今ではカードがある事すら忘れていると云うか、そんな具合です。
嬉しくいとか楽しいではなく、私にとっては嫌な気持ちになる事の方が多いオラクルカード、どうしたものかなと思っています。

使う人のエネルギーがこもると云うか、そう云う代物なので、もし手放すにしても、誰かにあげるとかそう云う気持ちにもなれません。
魂抜きじゃありませんが、エネルギー抜きの方法はあるのですが、でも何となくね……。
あげるよりは捨ててしまいたいと云う気持ちが強かったりします。
私にとっては無用の長物と化しているオラクルカード、持っていても意味もないし、恐らく必要もないのではと思います。
元々天使とかそう云う存在との繋がりもないし、そう云う人はやっても意味ないんですよね、これ。

求めても欲しても私には何の印も見えて来なくて、むしろどんどん遠ざけられているみたいだし、だったらもう頼りにしない、そのような高尚なものは私に元々いないと思っている方が余程マシかなと思います。
求め過ぎるからいけないと云われた事があるけれど、過ぎずにちょうどいいベストな感覚と云うもが私には分からない……。
それに昔から自分で考えて決めて生きて来たのですから、願っても祈っても答えて貰えない事にすがっていたって同じ事です。
最後の希望、ここならきっとと思えた事でしたが、叶わないなら心のよりどころどころか、ますます落ちて行くだけですから。
なんて云うと、日常に溢れているメッセージに気付こうとしないあなたが悪いとか云われそうですね(爆)。
でも思うんですが、気付けない事ならそう云う事でしかないんじゃないのかね。
ってか、普通の人なんてそんなもんじゃないんだろうか。
これは何かある、メッセージだと確実に感じられる事でもなければ、大抵の事はスルーしてしまう。
ちゃんと繋がれている人ならどんな些細な事でもメッセージとして受取れるのでしょうけれど、自分が出来るから一般人にも出来ると思う事無かれ。
そこは普通、開かれていない部分ではと思います。
自分はこう云う道へ進むべきかと迷っている最中、何度も悩んでいる事に関連した事を目にするとか云うなら、明確にメッセージと受け取れるでしょうが、何もない、方向が見えないような時、凡人にメッセージが来たとして果たして分かるのか?と思うのですがね。
これってこの前も見たかもと無意識に認識出来るぐらいの頻度で現れるか、或いは本当に啓示的にもたらされるか、そうでもなければなかなかピンと来る事ってあるんですかね……。

スピ系の人の云いようって、出来ないクライアントに罪悪感を抱かせるようなもが本当に多いと思います。
そう云う考え方だからマイナスを引き寄せるとか、そう云う考えのそう云う思考の中でしか生きられなかった人に、イキナリだからダメなんだと云ったってね、まずはそう云う状態から抜けるところから始めなくちゃいけないんだけど。
出来てる人には分からない、出来なかった時代の事は綺麗さっぱり忘却の彼方なんですよね。
自分を責めてしまう結果になるのでは、いい方へなんて向きませんよ、そうそう。

折角レイキもサードまで伝授を受けたけど、これも私にとっては無用の何とか。
大枚はたいて受けなきゃよかったなと、貧乏真っただ中の今は後悔のみです。
こんな状況ですからね、助けて貰えないと分かっていても、祈っちゃったりするんだよね。
本当にこんな自分が情けなくて、とことん惨めですね。