日々、土器実測(仮)

発掘された遺物の図化作業メインのお仕事ブログのはずが、日々の徒然・スピ話ばっかりになっちゃってる日記。

してもらったから

2011年02月18日 | Weblog
私は結婚しない事で、親戚連中から本当に云われたい放題云われました。
流石に今は収まりましたが、そこまで云うか?と云うぐらい酷い云われようで、私にはいいも悪いも選択する意思などない、とにかく結婚しろ、そんな感じ。
軽く人格否定ですね。
本当に腹が立ち、親に思わずやつ当たりした事が多々ありましたが、その時親に云われたのは、あんなに可愛がって貰ったのにそんなに悪く云うものじゃないと云う言葉……。
昔とっても可愛がって貰ったから、何をどんな風に云われても我慢しなさい、そう云う事です。
どう考えても理不尽な云いようですが、私の怒りを沈める術が分からなかったのかもしれません。
この手の話になると、石になるか瞬間湯沸かし器状態だったので……。

仕事関係の年上の人で、私にとても理不尽な事を云って来る人がいました。
それが10年以上続き、半ノイローゼになっていましたが、我慢の限界を超えた時、その人に自分の気持ちを正直に云ったら、私があなたにどれだけの事をしてあげたと思っているのと云うような事を云われました(ち~~ん)。
出たよ……と思ったのが正直な気持ちでしたけど、こう云う事を云われると何時も思うんです、自分がして貰った事は何処へ行っちゃったんでしょうねえって。

してやったから、して貰ったのだから、だから耐えろ、我慢しろと云う具合によく使われる言葉ですが、じゃあどれだけ恩に着せられていなくてはならないのでしょう。
して貰った事を延々とありがたく思い続けて、そう云う人からは何を云われてもされても我慢するなんて、全くおかしな話だと思います。
大体私が親戚連中から可愛がられたなんて話、赤ちゃんやら子供の頃の私に記憶にない時代の話が殆どで、一体それを何時までありがたく思い続けなくてはならないと云うのでしょう。
なんて云うと、恩知らずと思われそうですが(まあ事実そうなんですけど)、自分の記憶にある範囲内では、して貰って嬉しかったりありがたいと思った事には、出来る範囲でお返ししたり、何かしらお礼として出来る事はしているつもりです。
当然、云うべき時にはありがとうと云う言葉もちゃんと云ってます。
100%お返しする事は一生かかっても無理だと思いますが、こう云う事は出来る事をやって感謝の気持ちを伝える事ではいけないのだろうか、それでは足りない分、傷つけられるような言動にも耐えなくてはいけないと云う事なんてあるんでしょうか。

親戚から云われた事に対する親の反応はまあともかくとしても、これが友人関係だった場合、恐ろしいですよね、ホントに。
して貰ったらすぐして返さなくては、あの事へのお返しがないと思われてしまう。
それが積み重なって、あんなにしてあげたのに!なんて事になっちゃうんですよ、間に色々したとしても。
でもこんな損得勘定で友情って成立つんでしょうか。
ってか、これは友情とは云えないのではなかろうか。
自分がどんな状況でも、友だちが困難な時は全力で助けるとか、その言動の発信源はあくまでも好意であり、断じて損得ではないと思うのですが、違うのかなあ。
友人とは思いやりや信頼で結ばれていると思っていますが、友人の皮を被ったそうではない人もいると云う事、心しておかないといけないのかもしれません。
が、そう云う事を考えて付合うなんて出来ませんよね、少しでも友だちと思い始めた人に……。