日々、土器実測(仮)

発掘された遺物の図化作業メインのお仕事ブログのはずが、日々の徒然・スピ話ばっかりになっちゃってる日記。

2011年02月16日 | Weblog
自分の生きた証が残せないなんて……、と聞く事があったりしますが、みんながみんな生きたと云う実績(ってのも変な云い方ですね・汗)、証を残したいものなのでしょうか。
戦争など理不尽な死を強要される場合は、生きた証が何としても欲しいと思う事は十二分に理解出来ますが、今普通に生きていてこれと云う事もない人生でも、やっぱり?
私が変なのかもしれませんが(いや、確実に変なのでしょう、きっと)、私は死んだら何もかもなかった事にして貰えないものかと思っています。
私の事は即刻忘れて貰って、アルバムや記録からも全て抹消、生きた証と云うものをみんな消し去って貰いたい。
と云うか、最初から私なんていなかった事にして貰えないものかと思います、生まれて来なかった事に……。
まあ殆ど存在感のない人間なので、関わった人の記憶から抹消して貰うと云う点においては、自然消滅で心配の必要はないかもしれませんが。

私は自分の家のお墓には更々入る気がなく、出来れば骨は、火葬の後は粉砕して捨てて貰えないものかと思っています。
散骨やらお墓に入らない方法は幾つもありますが、お墓に準ずるものがあるのはやっぱり嫌かなと。

何か功績を残せるような人生であれば、証を残したいと思うのだろうか。
実際そう云う事がないのでその辺は全く想像出来ませんが、何かしらの事があれば、嫌でも記録なり記憶には残ってしまいます。
そうなった時、今と同じように人生抹消願望をどう感じるのかなと云う純粋な疑問は残りますが、そんな大それた事には絶対ならないので余計な心配ですな。