日々、土器実測(仮)

発掘された遺物の図化作業メインのお仕事ブログのはずが、日々の徒然・スピ話ばっかりになっちゃってる日記。

新しい波?

2010年10月21日 | Weblog
ここ数日と云うより、今年に入ってと云った方が正しい気がしますが、私がお世話になったり、今も心の支えに
なってくれているセラピストやヒーラーが次々、自分たちが仕事に携わるにあたり、まずは人としてどうあるべきか、
原点に立ち返るような事を、ブログ等で発信されています。
人を助ける仕事をしている人間の何たるか、どう云う姿勢、立ち位置でクライアントに関わるべきか、どう云う言葉で
伝えるか等々、私が長い事ネチネチと書続けているとんでもセラピストやヒーラーが、絶対自分から向合う事を
しないであろう、人を癒す事を生業にする人が当然持っているべき資質(人間性)について、改めて真摯に考え
直すべきと云う姿勢の方ばかりが目につくのですよね。
こう云う事をセラピスト自身が自分から書き、また表に出て来ていると云う事は、もしかしてスピの新しい波かも、
と思いました。
ここで一旦大掃除と云うか、天職としてやるべき人と、人間性から見直さなくてはならない人との淘汰が起きる、
何だかそんな気がするのですが……。

正直、飽和状態だと思うんですよね、スピ業界。
本来するべき人にだけ、仕事としての道が開けて欲しいのですが、現状はとてもそうとは思えません。
まあスピ界では、自分がワクワクしたり好きな事が天職と云う考え方もありますから、そう云う流れで仕事にして
いる場合もあるかもしれませんが。
猫も杓子も学校と一緒、学んで卒業出来たら即開業も出来ますよってな具合。
勿論何の資格を有しなくても出来るお仕事です。
でも本来1部の人しか持っていないと思われている力と云うのは、人間全部が内包しているものだと思います。
しかし問題は、まずはそれが開かれているか否か。
次に開かれている中で、その力がどの程度のものか、そしてどう使い活かしているか。
元々備わっていると云っても、開かない人は一生開かないままでしょうから(ワタクシもです・涙)、開いていない
人間にとっての力を使える人は立派にサイキックです。
で、自分にはない力を駆使し、苦しんでいる人を助けるのですから当然いい人、悪い人であるはずがない、と云う
思い込みが自然に発生するのは人情でしょう。
ところは蓋を開ければインチキ、眉唾、力はあっても人として最悪と、こう云う事をお仕事にしちゃいけないでしょと
云う人がゴロゴロいる訳です。

こう云う人に、どんなに酷い目にあわされても、クライアントと云うのはほぼ傷つき損でお終いです。
まあ泣き寝入りってやつですね。
変な宗教団体みたいに、多額の金銭が絡んだりすればまた話は別ですが、自分自身が傷つけられて苦しむ事に
対しては、救済なんぞはありません。
どんなにセラピストに訴えても、大方スルーされて終わりです。
でも最初に書いたように、最近信頼のおける方々が、次々とセラピストやヒーラーの資質についての問題提起の
ような発言をされ始めています。
時期的にも重なるので、とても不思議な感じにとらわれる……。
これは遂飽和状態が来て、表面張力決壊の時が来て、そう云う輩の大淘汰・大清掃が始まるのでは?と、私の
勝手な希望的観測です。