日々、土器実測(仮)

発掘された遺物の図化作業メインのお仕事ブログのはずが、日々の徒然・スピ話ばっかりになっちゃってる日記。

叶わないのは

2010年10月12日 | Weblog
上がりかけたのですが、最近また落込んでしまっていて超弱気です。
体調が悪いせいもあるのか、体調が悪いからますますなのか、どっちにしても弱気で下がって前を見られず。
いや、元々こんな状態で明るい気分でいる方がおかしいのであって、今迄が変だったのです、多分。
もう本当に頑張れそうもなくなって来ましたが、どうしたらいいか全く分かりません。
何の確信も持てないものを信じるしか術がないなんて、もうお終いだよな。
と云うか、一寸の光も見えて来ないのだから、先がないと云われているのと同じなんですよね。
いい加減覚悟を決めろと云う事なのかもしれません。

現実として、私は両親以外の誰からも必要とされていないのは事実です。
それに、やりたい事も生きる目的もな~んにもありません。
と云う事で、私がいなくなっても、親以外困る人もいません。
この人たちの為にだけ生きると云うのもありかもしれませんが、今それに近い状態なのかなと思います。
でも今の私の存在は、親にとっては心配のタネが尽きない状態であるのも事実。
であれば、いっそいない方が楽になるのではと云う気もするのですよね。


自分では友だちだと思っていても相手はそう思っていなかった、と云う経験をした事があります。
私は性格が悪いので友だちがいないのですが、若い時分はそれを認める事が出来ず、明るくて友だちが多いのが
自分だと必死で思いこもうとしていました。
でも元来陰気で人と上手く付き合えないのですから、いくら必死で思い込んだところで性格そのものが変わる訳では
ないし、否が応でも認めざるを得なくなっただけの話。
認めると楽になって道も開け始めると云いますが、こう云う事は別物ですよね。
友だちがいない事を認める、性格が悪い事を認める、自分が出来損ないであると認める、これらは表向きには認めて
いなかったけれど、奥底では分かり切っていた事だし、改めて認めて実感したところで、一体どう云う変化が起きると
云うのでしょう。
相当救いようがない自分を実感し、どど~んと落込むだけではなかろうか。
ここから、自分を変えようとか思えるのかな。
思える人だけがいい人生を歩む、と云う事でしょうか。

生きなくてはならないと云いますが、生きる為に色んな事をした結果上向く気配もないと云う場合、もういいよと
云われているのかもとふと思いました。
見えない世界の人が得意のまどろっこしいやり方で、気付かない人は一生気付かないと云うやつですが。
流石にハッキリは云えないから、ピンと来るとか直感と云う感じで、終わっていいと伝えているのかもしれません。
だって、ここまでまともな事がないなんて、どう考えてもおかしいもんな。
生きる必要のある人なら尚更。
もういいよと云われているような事しかないなんて、その通りに受取る以外にないですもんね。
これはありがたいメッセージと思えばいいのだろうか。
生きる目的もないのに生きなくてはならないのは、地獄ですからね……。