日々、土器実測(仮)

発掘された遺物の図化作業メインのお仕事ブログのはずが、日々の徒然・スピ話ばっかりになっちゃってる日記。

勘弁してくれ

2024年07月29日 | Weblog
一切自分の非は認めない、悪いのは自分以外。
そう云う思考は、どこから来るんだろう。

突如、時期すら曖昧なぐらい大昔の事を持ち出して来て、
あの人があーだった、この人があーだったと云い出す。
そう云う自分はなんなん?

ツッコミどころ満載、突っ込み出すと、次々と話が変わる。
本当に笑えるぐらいコロコロと変わる。
自分を守るために、どんどん嘘が重なって行く。
当然辻褄は合わなくなって行く一方。

揉めると厄介、そう思って、面倒臭い人は放置されているけれど、
だからこその増長と云うか、自分は悪くな状態の継続には、
段々腹が立ってくる。

とは云え、云ったところで、非を認める訳もなく、恐らく堂々巡り。
だから何も云わずに聞き流す、しかないんだろうけれど、
時々、ガツンと、当分立ち直れないぐらいに攻撃してやりたくなる。
それすら、のらりくらりの、暖簾に腕押し、かもしれんが……。

どーしよーもない人と云うのは確実に存在する。

みんな、ストレスが溜まってきている。
よくないのよ、これ……。

変な

2024年07月28日 | Weblog
どうしてこんな教えを信じられるのか、一般人にとっては謎でも、
信仰している人にとってはありがたいのだからどうしようもない。
お陰で、全く関係のない周囲の者にとっては大迷惑な事この上なし。

変な宗教に凝り固まった身内がいると、何かにつけて気苦労が絶えない。
自分達だけで勝手にやってくれればいいのだ。
そう云う人だけで、宗教村でも作って、そこから出て来るなよ。

誰が勧めた訳でもない、自分で進んで改宗したんだから、そっちの世界で
好きに生きてくれ。
自分の都合で、異教のこっちに関わってくれるな。

我々にとっての宗教は、時節の心の拠り所であれ、生きるすべてではない。
弱さや辛さからの逃げ口実に宗教に走った人の、何かにすがりたい気持ちは
分からないでもないけれど、なんでそれが宗教なのか。
結局自分で乗り越えていく以外にないんだから、辛さも苦しみも。
信仰と云う名のもとに逃げても、最終的にはどこかで向き合い、折り合いをつけない限り、
それはずっと追いかけて来るからね。

祈りの力は大きいし、祈るのは大変結構。
でも、自分は一切何もしない、緩く楽な事だけ信じていたって、変わる訳がない。
それに気付かない限り、死ぬまで苦しみが続くだけよ。

幸せぶっていても全く幸せではない、そんなの傍目からも丸分かり。
それでも貫きたい信仰なら、お好きにどうぞ、だ。
その代わり、我々には一切かかわってくれるな。
他人でないだけ厄介で、簡単に縁も切れないんだから。