ユニバーサル開発設計事務所のブログ

自動車業界における開発、設計、原価低減、品質信頼性向上を対象とした開発設計業務を行っております。代表三谷のブログです。

旧式建て方による露天風呂(Ⅱ)

2011-07-29 21:16:32 | Weblog
 前回、ビシャと言う方法で柱の下石の表面をたたいて滑らかにすると報告した。それでも機械加工(研磨)したように平面度は出ない。そこで、下石と材木の間に厚さ5mmくらいの鉛を敷き、鉛の変形により表面粗さの吸収をしている(写真)。

 これは高野山で取り入れていた方法で、棟梁自身がこの寺を見学後、自分の建築する建物に採用している。

 実際私も手伝ったが、表面の凸凹がこの鉛で吸収できるようなものではなく、木を削ったりして相当苦労した。プロはうまいのかなとは思うが。
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旧式建て方による露天風呂

2011-07-26 22:23:24 | Weblog
 私の道楽で永年の夢だった一人用露天風呂が完成に近づきつつある。今から15年位前から、自前の露天風呂にゆっくり浸かり夜の星空を眺めるとどんなに幸せだろうと夢見てきた。喧騒から逃れた場所での妄想は一体何を生むのだろうかと考えてきた。

 それが周囲の全員反対で、実現できずに来た。その代わりに、孫のプールをかねた大人が数人使える足湯を作ったが、私の気持ちは不完全燃焼のままだった。

 ところが先日、偶然ある人(棟梁)と会い意気投合し、その人に露天風呂を造ってもらうことにした。

 善は急げである。思い立ったら吉日でもある。今週日曜日にスタートし、湯船まで出来上がった。

 この棟梁も自分の思いをこの露天風呂に詰め込んでいる。たとえば、こまいを支える柱の下石の表面を平らにするため、ビシャと言う工法で石の表面をたたいた。写真がその作業中のものだが、たたいている道具の表面が碁盤の目のようになっているのがわかる。今はグラインダーで磨けば終わりだ。昔は、下石一個ごと人が入れ替わり打っていたようだ。

 風呂は土壁とし、マキを炊いて沸かす。完成したら写真を載せる。
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ラジオ体操指導者講習会に参加して

2011-07-17 14:15:08 | Weblog
 今日、午前10時から福山市体育館で、全国ラジオ体操連盟主催の標記講習会が開催された。

 開催場所が私の自宅のすぐ前の体育館であり、又連盟福山の常任理事をしていること、更に来年秋に発行予定の福山市ラジオ体操連盟創立30周年記念誌の編集委員であることなどから、早くから参加した。

 静岡のほうからもこられていると言うことだったが総勢155名の参加者だった。福山の連盟からは80名くらい参加されているはずだ。

 講師はTVやラジオでもおなじみの多胡肇さんでアシスタントは今年4月入社の松下亜美さんだった。

 多胡さんの丁寧でユニークな説明と松下さんの美しい体操ににひきつけられて2時間15分があっという間に過ぎてしまった。その後の質疑応答も白熱し、現場での経験に基づいた質問があり、終わったのは予定を1時間オーバーしていた。

 冷房や扇風機もないうだるような暑さの体育館だったが、水分補給を適宜しながら、小学生から80歳代の高齢者まで、講習会にひきつけられた。

 なかなか体験できないラジオ体操を見直すいい勉強になった。

 多胡さん、松下さん、お世話になった関係者の皆さん、ありがとうございました(写真は講習中の1ショット)
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震災後、温泉地に異変…変色→我が家の井戸にも!?

2011-07-16 08:10:37 | Weblog
 読売新聞 7月15日(金)15時33分配信記事だが、
「東日本大震災の後、各地の温泉地で「異変」が起きている。
 急に湯が出なくなったり、温度や色が変わったりし、廃業した温泉旅館もある。一方で、住宅近くで突然、湯がわき出たケースも。地殻変動が原因とみられるが、自噴が止まった温泉への救済措置はなく、支援を求める声も出ている。・・・・・・」

 実は、私の第2事務所がある場所に江戸時代からの古い井戸がある(写真)。深さは5mくらいで、夏冬問わず水温は22℃一定で、渇水時でも涸れたことがないという井戸だ。

 数年前、井戸の水を全部くみ出したところ、井戸と言ってはいるが、底部は岩をくりぬいてあり、その岩の裂け目から水がちょろちょろと湧き出ていた。いわゆる岩清水である。この水を専門機関に調べてもらったら、ラドンが温泉規定量のほぼ半分含まれているといわれ、又別の人に調べてもらったら六甲の水と同じ水質だと言われた。

 この水は果物の木やその他庭の木に、夏に水を撒くくらいにしか使ってなかった。

 3月11日の東日本の震災のあと、関東地方に住んでいる2家族が、現在空き家となっているこの家にしばらく疎開していた。

 その時、井戸水がにごっているとクレームがついた。数年前に調べたときの結果は無色透明だった。

 指摘を受けたときはなんとも思わなかったが、今でも水が薄い茶色になっている。

 この読売の記事を読んで、九州や四国でも震災の影響があると書いてあるので、私のとこの井戸も、近日中に水質検査をしようと考えている。
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珍しい扇風機

2011-07-14 22:10:59 | Weblog
 昨日知り合いのお宅を訪ねたら、すごいレトロ調の扇風機が回っていた(写真)。1時間ほど話をして、帰り際、この扇風機は本物ですかと尋ねたら、なんと本物だとのこと。

 俄然興味がわき、何時ごろ作られたのかと聞くと昭和10年ころだと言われる。おまけに三菱電機製といわれて、ますます興味がわき、沢山写真を撮った。

 名板を調べたら、次のように書いてあった。
「交流電気扇 登録新案**** 登録意匠**** 100~110V、50~60サイクル 719523 三菱電機株式会社」

 三菱電機の博物館にこのように古いものがあるのかどうかわからないが、もしなければ、寄付してほしいと申し出ておいた。

 来週詳しく調べてみよう。
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蚊取りせんぽう

2011-07-12 22:01:10 | Weblog
 今連載中の話題と異なるが、暑くなり蚊も沢山出てきだしたので、最近私があみ出した出来るだけ確立よく蚊を取る方法について書きます。ご参考にしてください。

 蚊が私たちに止まり針を突き刺す。この段階では、痛くないので(理想的な注射針)ので、私たちは気がつかない。

 血を吸い始める。まだ気がつかないが、吸う血が固まらないよう特殊な液を出す。これがかゆい。この段階で、「えい」とばかり、蚊をたたこうとするが、成功率は低い。蚊は逃げてしまう。

 そこで私が編み出した方法。ここ数日間トライしているが、ほとんどうまく行った。かゆいと思ったら、いきなりたたかず、2~3秒じっと蚊を見つめてやる。そして、蚊がとまっている箇所を動かさないよう、反対の手で蚊のいる場所をたたく。

 たいてい成功する。理由は蚊が血を吸い動きにくくなっているためだろうと思う。

 わずかの時間差攻撃で、うるさい蚊から解放される。

 皆さん一度トライしてみてください。蚊が群れのようになって飛んでくるとこではこの方法は使えません。
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草戸・川西街道漫歩(5)

2011-07-05 21:30:35 | Weblog
 時間のある時、草戸のことをよく知っている高齢者の方の体験談を聞いて歩いている。先日書いた草戸の芦田川の惨状が更に強くリアルに迫ってきた。

 8月8日の福山空襲のことは以前書いたが、さらに惨状を付け加える。こういうことから目を背けるのではなく、やはり現実として捉えることが、私たちが今後の平和を維持するために必要ではないかと思う。

 警戒警報発令 午後9時45分  空襲警報発令 午後10時5分 空からの焼夷弾攻撃を受けながら、市民は、家族の手を引き、水でぬらした薄い布団を頭からかぶり、蚊帳を持って逃げまわった(何故蚊帳を持って逃げたのか?かなりの人が書いているが、理由が分からない。蚊帳がひとつの生活母体であったのか。冷房もない暑い夏をすごすための知恵かもしれない。東日本大震災で被災された方々へのひとつのヒントになるかもしれない。然し今蚊帳は売ってないかも)。

 米軍機は照明弾を落とし、続いて空からガソリンのようなものをまき、その上で焼夷弾を落とした。福山には「あかつき部隊」というのがあって、応戦はしたのだけど、折角サーチライトで敵機の姿を捉えても、高射砲がぜんぜん届かず、撃っても、線香花火みたいに途中で炸裂し、その破片が市内に落ちた。今日会った人は近所の畑に落ちていたと話している。地上では、米軍の落とした焼夷弾が地面に突き刺さり、火を噴いていた。それに水をかけたり、布団で覆い消した。(焼夷弾の攻撃を受け蔵が焼けた私の家にも不発の焼夷弾が数個あったが、昭和20年代後半に、駐在所の巡査に渡した。)

 翌日被害の少なかった郊外の人たちは、大八車に、藁とコモと縄を積んで山を越え被災した福山市街地に向かった。

 そこで死体をコモに巻き、4箇所縄で縛り、大八車1台に4人乗せ草戸町の草戸大橋と当時300mくらい川下にあった鞆鉄道の鉄橋の間に運んだ。

 そこには土手に直角に長い壕が掘られていた。壕は幅1m、深さも1mくらいで、中には木の枝や藁など燃えやすいものが入れてあった。壕の上には、兵隊が担いでいた鉄砲がある間隔で置いてあった。

 コモで巻かれた死体を鉄砲の上に並べて、松根油をかけて火をつけたが、なかなか燃えず、無残な状況だった。


 今でも壕を掘った後の場所は生えている草が違うと言う。そんな悲劇は人々の記憶から消えても、苦しみながら亡くなった人の怨念は何時までも消えることはない。
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安全はお金で買おう

2011-07-03 10:10:45 | Weblog
 昨日掲載した「草戸・川西街道漫歩(4)」は短時間の間に400件を超えるアクセスがありました。ありがとうございました。

今朝の新聞ニュースである。

「東京電力福島第一原子力発電所の事故を受けて、原発存続の行方が注目される中、日本学術会議の分科会(委員長=北沢宏一・科学技術振興機構理事長)は、原発の撤退から現状維持・推進まで六つの政策の選択肢ごとに、標準家庭(1か月約6000円)の電気料金が、どれくらい増えるかの試算をまとめた。(読売新聞)」

 新聞記事からもう少し書く。読売新聞の一面トップの見出しは「原発撤退で電気代2121円増」なっており、学術会議が原発推進をしているように読み取れる。記事の中身は、来年夏までに全原発を停止した場合、2016年の値上げ額は752円、現状維持した場合、120円の値下げ、50%程度まで原発にした場合、125円の値下げとある。

 これはあくまで試算であり、いろんな制約条件があると考えるが、皆さんはどれを選択されますか。


 蛇口をひねるといくらでもでる質のいい水道水、スイッチを入れれば便利さがすぐ手に入る電気、黙って吸えばいくらでもな吸えるきれいな空気、私たちは安全は当然のものとして、自由を謳歌していないだろうか。

 後世の安全を担保にいれ、現在の快適さを追及するのではなく、後世の安全のため現在の多少の不自由に耐えなければならないのでは。
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草戸・川西街道漫歩(4)

2011-07-02 21:47:28 | Weblog
福山市の草戸町を流れる芦田川(1級河川)の川原は何も語らない。しかしそこには多くの悲劇があった。

今は、商業施設「ココローズ」となった元福山歩兵41連隊の訓練は、この芦田川の川原を中心に行われた。41連隊のあった緑町から、ラッパを吹きながら行進した兵隊たちは、この川原で戦いの訓練をした。敗戦色が濃い昭和19年頃から、この訓練はますます厳しさを増していった。芦田川にかかる草戸大橋から市民が見守る中、ムチを持った上官が兵隊を殴りつけ、若い兵隊が悲鳴を上げる様子は、この世のものと思えなかった。部隊は、この川原と近くにある明王院(国宝)山の陸軍墓地に分かれて、持ち運んだ組み立て式の大砲で、お互い空砲を撃ちながら、やがてやってくる米軍の攻撃に備えた。

米軍は昭和20年8月8日に予告どおり、B29約90機で編成を組み、夜10時ころ福山を焼夷弾で攻撃した。今の競馬場に設置された地上からの攻撃砲は、米軍の飛行機まで届かず、無残にも地上に落ちていって、米軍機を一機も打ち落とすことは出来なかった。この時の死者は300人を超えたが、この死者の遺体を荼毘に付したのもこの芦田川川原であった。その後その川原で、福山市は死者を弔い毎年8月に花火を打ち上げた。

時は流れ、この芦田川川原の惨事も、人々の記憶から消えていき、それを知っている人も少なくなった。長年続いた花火の開催場所も、今の市長は自分の地元の近くに移動した。歴史は人々の記憶から消えていくが、亡くなった人の怨念は今も川原に残っているのではないだろうか。

私たちはそれを忘れてはいけない。草戸・川西街道設立のため、お年寄りの方にいろいろお聞きしているとき感じた。
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