ユニバーサル開発設計事務所のブログ

自動車業界における開発、設計、原価低減、品質信頼性向上を対象とした開発設計業務を行っております。代表三谷のブログです。

足元をしっかりと

2008-05-28 19:16:07 | Weblog
 6年前に植えた薔薇が、今年はかってないほど豪華絢爛に咲いた(写真)。ツル薔薇で、黄色とピンクの両方が咲き、色が変わっていく。
 私の住む市は5月に薔薇祭りがある。私の家の前を通る人が足を止め、「ここにこんなに綺麗で見事な薔薇があるのなら、わざわざ薔薇公園に行く必要ないですね」とまで言ってくれた。昨年から少しだけ肥料をやったのと、天候がうまく薔薇に働いたのかもしれない。
 親戚の方が、あまりに綺麗だとこの写真を撮ってくれた。ところが、2日後の朝、薔薇は三分の二ほど折れてしまった。前夜の雨で、その重みに耐えられなかったのではないか。この写真が唯一薔薇の咲いた証拠となった。
 折れた薔薇を見ながら、身の丈に合わないことをすると、この薔薇のように折れてしまうよと言うことを教えられた気がした。薔薇の幹や根に対し、地上の花があまりにも多すぎた。あまりにも見事すぎた。少し間引いておき、一つ一つを見事に咲かすようにすべきだった。
 薔薇は自ら折れて、この世の生き方を教えてくれたようだ。 

コメント

クリスタル・チルドレン (はせりん♪さんへ)

2008-05-16 21:59:24 | Weblog
  下記のコメント有難うございます。

 「2008-05-16 10:29:49

1995年以降に誕生した子どもたちは
今生では
クリスタル・チルドレンとして
転生してきているという説があります
こういった(スピリチュアルな)話に興味なければ
読み飛ばしてくださいネ 」

 クリスタル・チルドレンがなぜ今になって生まれてきたのでしょうか。社会があまりにも物質に頼りすぎ、精神的な価値軽視しつつあるからでしょうか。それとも、以前からクリスタル・チルドレンは存在していて、今になって注目され始めたのでしょうか。
 そのどちらでも私はいいのですが、こういう子どもが、その特異な才能を異常としてでなく、素晴らしい才能として社会や学校や家庭で認められ、周囲を癒していく、素晴らしいことだと思います。
 存在自体が周囲を癒し、元気にしていく、そのため普通の人とは少しだけ違う才能を与えられている。そういう子ども達が少しずつ社会を変えていく。
 私としては、クリスタル・チルドレンの存在を信じ、彼らを認めてやり、そうして彼らに地球を救うことを期待したいですね。
 先日私のブログを読んだ人から、自分の子どもは2歳だけど、今でも親が理解できない行動をとると話されていました。
 はせりん♪さん、お会いした時、一度、このあたりのお話をしませんか。私は、純粋な技術者として理屈で飯を食ってきましたが、理論や数式があまりにも世の中で正当化され、絶対視化されていることに、最近懸念を感じています。
 
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Unknown (たくや) さんに

2008-05-06 18:21:18 | Weblog
 「2008-05-06 17:56:54 うちのこもそうです… 」というコメントを頂いた。
 子どもの不思議な能力の話しを、東京のある会社で昼食をしながら話したら、「実は内では今でもそうです」と言う方がいた。小学生の低学年だが、親の見えないものが見えたりするそうだ。時間の関係で、詳しくは聞けなかったが、一般的な大人の常識で、異常視して、その能力の芽をつぶすのはきわめて危険だ。
 大人の判断で決め付けるのではなく、まず常識の殻を破り、真剣に子どもの目線でいっしょに考え、育ててやる事が親の務めではないだろうか。
 学校に入れば、多くの日本の学校では、団体を優先し、個の能力は残念ながら消されてしまう。
 それを大事に育てられるのは、親しかいない気がする。
 Unknown (たくや)さん、コメント有難うございました。
 
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子どもの神力

2008-05-05 21:21:14 | Weblog
 以前どこかで書いたような気がするのだが、今日のこどもの日の読売新聞一面「編集手帳」に私と同じ考えが載っていたので、もう一度書くことにした。
 「編集手帳」の内容を一部掲載する。“かって「七つ前は神のうち」と言われていた。子は数えの七歳まで人より神に近い存在とされていた。大人達は「畏敬の念」を持って「神の子」を育て、その日々の成長を大きな喜びとした。”とある。文中には、アンケートで我が子に体内記憶が「ある」と回答した保護者は33%にも上ったとある。「記憶」の多くは、成長とともに失われるらしい。
 私の二人の孫は、今ともに二歳と数ヶ月だが、生まれて数ヶ月間の挙動に不可思議な事があった。まだ泣くことしかできない状況の中で、時々部屋の一点をじっと見つめ、そして、にっこりしている。二人ともである。まだにっこりと言う表情が出来るコミュニケーション能力は、母親とさえも乏しい頃にである。遠くに離れて住んでいる息子と娘がいずれもそのような話しをするので、偶然とも思えなかった。
 私は、生まれたばかりの赤ちゃんは、大人が見えていないものが見えているのではないかと言う仮説を立てた。人の見える波長の範囲なんて、その全域に比べればきわめて狭い。たとえば、先祖が私たちの周りに浮遊しており、亡くなった先祖の誰かが、その赤ちゃんをあやしているのではないかなどと考えた。他にも成人した大人では想像できない事があり、それを偶然と片付けるのは、大人の思い上がりではないだろうか。成長とともに、その能力が消えていき平凡な常識的な大人になるのではないだろうか。
 占い師と言う職業の人がいるが、多くはまやかしだと思うが、中に生まれた時の能力を持ち続ける人がいて、普通の成人では出来ない判断をしてくれるのではないだろうか。
 子どもの日の今日、もう一度子どもへの接し方を考えねばならない。
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歴史に見る福山の人災

2008-05-04 19:23:57 | Weblog
人の上に立つ人は、高い識見と将来に対する深い展望と厚い人望が必要である。これらを備えた多くの人たちのおかげで、今が有ることを歴史は示しているし、逆にこれらを備えない人のため多くの人の命と歴史を失ったことも、歴史は示している。
 福山市には、一級河川の芦田川と言うのが流れている。私が幼い頃、清流でシジミを掘り、透明な海老を取り、フナやドジョウなどを追いかけていた。それが、今、中国地方の汚さ一の汚名を継続している。実際今年も、クロユスリカの大量発生に、周辺に住んでいる人は悩まされている。福山市の工場に工業用水を供給するため芦田川河口に水をせき留める堰堤を造ったためだ。これは同時に、草戸千軒と言う平安から室町時代にかけての遺跡も水の下に埋めてしまった。
芦田川を制しようとして、その自然の力に人々の生活が奪われた事が、福山の歴史に刻まれている。
大正二年浜本氏による郷土史「まこと」に私欲が多くの人に被害をもたらした史実が載っている。現代語に直し、要約する。
『福山藩家老上田玄蕃が川幅(芦田川)を狭くして、数千頃の肥えた土地を造ろうと図った。中山外記はこれに反対して「私利を謀ると必ず弊害が出る。肥えた土地が欲しいため、川の幅を狭めるとそのうち堤防が壊れると言う目に会う」と忠告したが、玄蕃はこれを聞かず、寛文十年(1670年)竣工させた。その三年後に大雨で岸が決壊して、肥えた田と千軒の町家を流失させた。人は皆外記の達識に感服した。その後、この土地には人が住まなくなった。』
私欲が市民のかけがえのない財産を奪い、歴史に汚点を残し、後世まで語り継がれ、その子孫はそれに耐えて生きなければならないことを、為政者は肝に銘じて決断すべきである。
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泥沼化か?福山市の文化論争

2008-05-02 13:54:12 | Weblog
 今朝(5/2)の読売新聞備後版に“福山城遺構保存問題「文化庁協議」は公文書 市長「流出経路、徹底調査へ”と言う記事が出ている。
 私の4/20のブログに写真つきで掲載した遺構の保存に関してである。新聞によると、市長は保存プロジェクトが報道陣に公表した「市教委と文化庁との協議内容」に関する文書は、市教委が保存する文書と同一だったことを明らかにし、「情報公開制度の根幹にかかわる、憂慮すべき問題」と指摘し、流出経路の徹底調査の考えを示し、事前相談が無かったことに対し、「信頼関係を損なった」と批判し、「協議を継続するかどうかも含め、内部で検討したい」と延べ、場合により、協議を打ち切る可能性を示唆したとある。
 他方、プロジェクト側は、「非公開にしたことが逆に、市民の信頼を損ねているのではないか」としている。
 流出してしまった問題の文書を入手したので、そのURLを下記する。読みにくいので、少し拡大すればいい。http://www.sannomaru.com/ishigaki/information.htm

 明治初期の歴史的な過ちを今又繰り返すのかどうか、福山市民の文化度がいままさに試されている。8月には市長選挙があると言う。現市長も選挙が済むまでは、この問題を玉虫色にしておき、当選後市民の賛同を得たとして、遺構の撤去・移設に行きたかったのではないか。市長も利権が絡むしがらみが有り、苦しい立場だと思うが今回の公表が波紋を投げかけたのは事実である。

 私としては、犯人探しをするよりは、遺構をどうするのかにエネルギーと知恵を使って欲しいのだが。
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